- ──
-
2003年に、山形で
国民文化祭が行われたときに、
先生が振り付けした
「紅・燃ゆ」(くれない・もゆ)という作品を踊りました。
- 絢子先生
- ゆきちゃんは、高校1年生だったね。
- ──
-
はい。
高1で参加させてもらいました。
あの作品は、
クラシックバレエと
コンテンポラリーの動きが融合していて、
まさに登先生らしい振り付けが
たくさんあったと思うのですが、
どのような思いで作られたのですか?
- 登先生
-
あれはまさに、「集大成」のような作品だったなと。
テーマがふるさとの「山形」だということも、
振り付けに関しても。
山形に戻って教室を開いたのも、
元々はこっちで、
子ども達に踊りを教えたいと思ったからだし。
山形のことを想って、副題には
「山のむこうに もう一つの日本がある」と
つけました。
- ──
-
山形の豊かな自然と、
そこで暮らす人々を表現した作品でしたもんね。
- 登先生
-
駐日アメリカ大使だった
ライシャワー博士という人が、
山形を「もう一つの日本」と表現したんです。
自然のなかに心地よい生活空間があるのが、
日本本来の姿を思い出させる美しいところだと言って。
- ──
- なるほど。
- 登先生
-
それから、
イザベラ・バードというイギリス人女性が書いた、
『日本奥地紀行』という
明治時代の東北旅行記を読んでいたことも
影響が大きかったと思うなぁ。
山形を縦断して巡った農村の美しさについて、
描写されていたことが強く頭に残っていたみたい。
- ──
-
山合いの村で少女たちが舞う場面や、
野生の鹿が力強く
足を踏み鳴らす場面がありましたが、
そういったパートは、
今お聞きしたようなことからインスピレーションを受けて、
振り付けや編曲を考えていったんですね。
- 登先生
- はい、そうだね。
- ──
-
約15年前のことなのに、
今でも踊れる部分があるくらい、
私は振りや音楽を覚えているんですが・・。
この作品が色々なものーー
先生自身の思いや、先人から得た知識から
作られていたことを知れて、改めて
踊れて良かったなぁと思います。
- 登先生
-
うん、うん。
- ──
-
話は変わりますが、
何回かコンクールに出場した時は、
また一味違う指導をして頂きました。
- 登先生
-
コンクールで
ヴァリエーション(*4)を踊る時は、
発表会とは違う教え方になるね。
- ──
-
テクニック面の指導も違うんですが、
一番感じていたのは、
生徒の個性に合ったヴァリエーションを
選んでもらっていたなぁということです。
私はどちらかというと・・控えめな性格だったので、
「ジゼル」を選んでもらった時は
とても嬉しかったんです。
- 絢子先生
- あぁ〜、似合ってたよね。
- 登先生
-
採点されるのがコンクールだし
テクニックも大切なポイントになるけど、
ヴァリエーションを踊る時は、
僕はそれがどんな場面での踊りなのか、
「物語」を理解しなさいとよく言っている。
そうでないと、
振りをなぞるだけになってしまうから。
- ──
-
確かに、そうですよね。
「ジゼル」のヴァリエーションは、
優しい村娘が、
大好きな恋人の前で踊る喜びを表す場面だから、
それを考えなさいと、何度も話してもらいました。
- 登先生
-
テクニックや、
自分の見せ方だけを考え始めると、
柔軟さが失くなるというか、
ある枠の中でかたまっちゃう子も多いからね。
- ──
-
今はコンクールが増えているから、
余計に気をつけたい点かもしれないですね。
- 絢子先生
- そうだね。
- 登先生
-
コンクールが増えて
挑戦する機会が多くなったことで、
今の子達は「出たい!」って意思を
主体的に言う子も多くなった。
だと僕たちも「じゃあ頑張ろうね」って
一生懸命練習を見て、応援している感じ!
- ──
- 生徒たちにとっては、心強いですね!
- 登先生
-
その分、やはり日々のレッスンは
本当に大事。
基礎のステップやアンシェヌマン(*5)を
丁寧に指導することをいつも考えています。
- ──
-
はい。
シンプルなステップ一つを取っても、
レッスン中に先生に直してもらうと、
体の使い方でこんなに変わるんだな、と
気づくことがよくありました。
- ──
-
最後に、最近のこともお聞きしたいのですが、
一緒に指導にあたっている
息子の崇太先生の作品に
出演することも増えてきたと思うんですが、
ご自身との作品の違いは感じたりしますか?
- 登先生
-
そうだなぁ。
タカ先生はお芝居出身ってこともあるし、
新しいやり方で作品を作っているけど、
僕が思っているのは、
出させてもらう時はパーツの一部として、
ちゃんと踊りますよと(笑)
- ──
- (笑)
- 崇太先生
-
出てくれて嬉しいけど、
自由だから、登先生は(笑)
- 登先生
-
勝手にね、体が動くの。
でも外しちゃいけないタイミングは
合わせるように、頑張ってるよ(笑)
- 崇太先生
-
いやぁ、夢中になってて
外す時もあるけどね!
- ──
-
そうお聞きしていると、
やっぱり登先生は、
ご自分で踊りたいダンスとか、
作品にしたいモチーフがまだまだありそうですね?
- 登先生
-
ふふふ、やっぱりそうだね。
いつもふとした時に、
振り付けとか、どんな会場で、とか考えちゃう!
空想して、止まらなくなっちゃうんだ。
- ──
-
創造力が枯渇しない・・・・。
素敵ですね、羨ましいほどです。
- 登先生
-
考えるの、楽しくってね。
自分で止めるのが大変(笑)
- ──
-
(笑)
2004年に文翔館(*6)のホールを舞台にした
個人リサイタルも素敵でしたし、
3年前、教室60周年の祝賀会で踊られたダンス(↓)も
素敵でした。
また、舞台で先生の踊りを見たいです。
- 登先生
-
うん、まだ踊りでやりたいこともあるのよ。
あとは、日々思ったことを
つぶやきにして書いているから、
それをまとめて本にもしたいし。
- ──
-
書き留めているんですね。
つぶやきとは、ツイッターみたいです(笑)
- 登先生
-
何年か前のを読み返すと考えが変わっていたりして、
面白いんだよね。
- ──
- 今もどんどん、変化されているんですね。
- 登先生
-
考えが変わることはあると思うけど、
踊りを考えることは、
きっと死ぬまでやってると思う。
- ──
- (天職なんだなぁ・・。)
- 登先生
-
今日話せなかったエピソードも
たくさんあるなぁ〜。
- ──
-
長いバレエ人生ですから、まだまだありますよね。
またお話聞かせてもらえたら、嬉しいです。
- 登先生・絢子先生
- うん、またいつでも帰っておいでね。
- ──
- はい!
-

(最近は専ら「観る専門」でしたが、やっぱり踊りたくなりました!)
(終わります)
*4
ソロでの踊り。バレエ作品内では主役・準主役級のダンサーが踊る見せ場となる。
*5
「鎖で繋ぐ」という意味で、バレエでは複数のステップを組み合わせて一連の動きとすること。
*6
山形市にある、大正5年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りの建物。国の重要文化財。
http://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/