もくじ
第1回仕事をする勇気。 2016-05-16-Mon
第2回業界のために働く。 2016-05-16-Mon
第3回震災と共に働く。 2016-05-16-Mon
第4回仕事への姿勢を間違わないために。 2016-05-16-Mon
第5回面白い人を紹介するための場所作り。 2016-05-16-Mon
第6回自分の最期までコンテンツになるために。 2016-05-16-Mon

カメラマン、映像制作をやっています。23歳です。人が喜んでもらえるコンテンツを作ることが好きです。

第3回 震災と共に働く。

古賀
以前、糸井さんが3年後についての話を
今日のダーリンに書かれていたじゃないですか。
糸井
はい、書きました。
今までは、
「1年後なにがあるかわからないのに、
3年後がわかるものか」と言っていたんですけど、
最近は、わかるところもあるんじゃないかと
思えてきたんですよね。
外れても曲がっても、「どっちに行くつもりか」を、
語り合えるような日常が大切なのだと思う、
ということを書きました。
古賀
3年後という設定をしているのが、凄く大事で。
見えもしない10年後や20年後を語りたがる人は、
嫌じゃないですか。
糸井
そうですね。
古賀
そこで満足してる人たちというのは、
若い人たちにも、ある程度年齢がいっている人たちにも、
結構たくさんいると思うんですね。
今日や明日しかわからないじゃんという人も多くて、
私もどちらかと言うと、そういう立場だったんですよ。
でも、そこでしっかりと考えたら、
3年後にこっちに向かっているとか、
大きなハンドルを切れるようにするというのは、
深く胸に突き刺さりましたね。
糸井
それを、僕は今の年齢でわかったわけです(笑)。
古賀
あー、なるほど(笑)。

糸井
大きな震災があったり、
最近はいろいろな事件があるじゃないですか。
だから、今日を充実させていこうというのも、
立派な考え方だと思います。
なので、そこにしっかりと重心を置いたうえで、
3年後はわからないから、
今日を精一杯しっかりと生きようというのは
説得力がありますよね。
古賀
そうですね。
糸井
たぶん僕も、
以前は3年後のことなんかわからないと、
本当にそう思っていたんですよ。
それを繰り返していたら、
「今後どうしましょう?」と聞かれることが
多くなるじゃないですか。
そのときに、
「俺もわからないけど…」と言ってきたけれど、
3年前からしたら、
今日ぐらいのことはわかってたなと
思うようになってきたんですよ。
古賀
なるほど。
それってあれですか。
震災とか気仙沼に関わってからというのはありますか?
糸井
震災は大きいですね。
震災は、やっぱり長い目で見なければいけないので。
その中で、僕がずっと思っていることは、
みんなが優しくしてくれているときに、
震災の被害を受けた方々は、
素直にその行為を受け取れるかどうかなんですよ。
だから、震災にあった人たちと友達になりたいと
言い続けていたんですね。
その理由は、
友達が言ってくれたことは聞いてくれるじゃないですか。
古賀
そうですね、うんうん。
糸井
被災地の方々が、
友達ではない人からいろんなことを言われたり、
優しくしてもらっても、
「ありがとうございます」なんだよね。
「ございます」が付いちゃうんですよね。
古賀
ああ、なるほど。
糸井
感謝されるようなことを、
やればやるほどいいという人もいるじゃないですか。
でも、僕はそれとは違う考え方なんですよね。
古賀
そうなんですね。
糸井
最近は、現地の人が僕に、
普通に「ありがとう」と
言ってくれるような関係になったかな、と思います。
あるいは、僕が普通の「ありがとう」以上のことを、
恩着せがましくしてたら、現地の人は、
そうは言わないと思うんですよね。
そういう関係に、変わってきたと思います。

古賀
震災のときに、糸井さんが当事者じゃなさすぎるという
言い方をされていたじゃないですか。
特に福島との付き合い方とか、距離感の問題とか。
私たちが当事者になることは、やっぱりできないので、
そこのきっかけが、友達ということになるんですかね。
糸井
そうですね。
もし被災地に震災の前から知ってる人がいたとして、
こういう付き合い方をしたいなというのが
理想かもしれない。
古賀
その距離感は確かにいいですね。
糸井
僕にとって、親戚という考えもダメなんですよ。
ちょっと違うというか、意味がないというか。
家族は、もう明らかに当事者に近いんですね。
だから、友達がいいのだと思う。
友達なら、ちょっとした悪口も言えるし。
古賀
確かに言えちゃいますよね。
糸井
「お前それはマズイよ」と言いながら
やりとりできるんですよね。
こういう考え方になりましたね。
古賀さんはそのあたりの考え方どうですか?
古賀
私は、とある本を作っているときで、
2011年5月に発売の予定で
入稿目前の時期だったんですけど、
ここでこのまま震災に何も触れずに出版するのは、
明らかにおかしいよねという話をして。
その本のテーマとは全然関係がなかったんですけど、
とりあえず現地に行って取材しようと言って、
著者の方を含めて3人で
2011年4月に一緒に現地を回りました。
そのときに思ったのは、瓦礫だらけだったんですよ。
糸井
4月だったら、
まだ瓦礫の撤収作業も全然できていない状態ですよね。
福島に行くだけで大変でしたよね。

古賀
そうですね、交通手段も限られているような状態でした。
そのときに感じたのは、
今のこの状況は、自衛隊の方々とか、
そういう人たちに任せるしかなくて、
東京にいる私たちができることは、
自分たちが元気になることだなと思ったんですよね。
自分たちがここで下を向いて、
自粛をしたりだとか、つまらない本を作ったりだとか、
そういうことをするべきではないと感じました。
糸井
うん、うん。
古賀
東を向いて何かをやるよりも、
西に向かってちゃんと頑張ろうよと言って、
私たちがやらないと東北の人達も立ち直ることが
なかなか難しいだろうから、
意識を逆に西に向けていましたね。
それぐらい、瓦礫を見たときの迫力が・・・
糸井
あの光景はね、なんというか、無力感ですよね。
古賀
そうですね、ええ。何も出来ないと思いました。
糸井
あの、何もできないという思いは、
今でもずっと形を変えて、
小さく僕の中にも残ってますね。
それと、瓦礫を撤収してくださった方々に対する感謝とね。
古賀
本当に、そうです。
20年ぐらいかかるだろなと思っていました。
糸井
今、瓦礫ないですもんね。
本当に、ありがとうございます。

(つづきます)

第4回 仕事への姿勢を間違わないために。