もくじ
第1回四つ葉のクローバー、見つけた。 2016-06-28-Tue
第2回「優等生」を生きていた。 2016-06-28-Tue
第3回「神さまの声」が聞こえた。 2016-06-28-Tue
第4回はじめて「自分」になった。 2016-06-28-Tue
第5回「好き」が仕事になった。 2016-06-28-Tue
第6回幸せのかたち、見つけた。 2016-06-28-Tue

1991年、
東京都生まれ。
フリーライター。
キャラクター絵本、
大学の広報用
パンフレット、
webマガジン等の
ライティング・
編集を経験。
ディズニーと
椎名林檎と
温泉について
考えているときが
わくわくします。

四葉少女に聞いた、
「幸せのかたち」。

担当・馬場 澄礼

第2回 「優等生」を生きていた。

——
じゃあ、小学校に入ると周りの目を気にして、
四つ葉のクローバーがすきということを
隠すようになったんですね。
生澤
そうですね。
もともと感受性が強いほうだし、
親や先生の言うことは
素直に聞いていたので…
「みんなと一緒」じゃないと
生きていけないんだろうなとおもってたんです。
——
他にも、人には言えなかったこととか、
周りに合わせていたことってありましたか?
生澤
昔から自分のイメージや想いを
かたちにすることがすきだったので、
小学校2年生くらいのときに
将来は芸術家になりたいと考えてたんですけど。
——
おお。
絵を描いたりとか、ものをつくったりとか。
生澤
そうです。
でも、親から
「芸術家になれる人なんて一握りだよ。
いい大学に入って大企業に就職しなさい」
と言われたことを真に受けて、
諦めたりもしましたね。

——
そうだったんですね。
自分の幸せを願ってくれているからこその
アドバイスだったとしても…
大人が発する言葉の影響力って大きいですよね。
生澤
そうなんです。
だから幸せになるには勉強をがんばって、
安定した道を目指すしかないんだなって
信じこんでいました。
——
それが苦痛になったり…
反発したくはなりませんでしたか?
生澤
反発とかはしなかったですけど…
最初は、親や先生が言うことを聞いていれば
間違いないんだろうなっておもってたんです。
でも中学に入ってから、
周りが決めたことと自分の幸せは
違うんだなって気づきました。
——
何かきっかけになる出来事があったんでしょうか。
生澤
中学生のときに2回転校を経験したんです。
それで「友だちできるかなあ」とか
「嫌われないようにしなきゃ」って
余計に周りを意識するようになってしまって。
——
わあ、2回も環境が変わったんですね。
生澤
大変でしたね。
あまり気の合う子が見つからなかったし、
いじめもあってすごくカルチャーショックでした。
——
たしかにわたしも中学のときは、
学校が荒れていて戸惑うことがありました。
生澤
そういう年頃ですよね。
環境の変化にうまく適応できなかったんですけど、
それでも1人になるのが嫌で
毎日友だちをつくろうとがんばってました。

——
一匹狼でいこう、とはおもわなかったんですか?
生澤
はい。
やっぱり周りの目が気になったし、
親や担任の先生から
「友だちできた?」と聞かれると、
友だちがいない自分はだめなのかなとおもって…
——
うーん、そうだったんですね。
生澤
自分の根底に、
「幸せに生きたい」
という考えがずっとあって。
でも、みんなと一緒に仲よくするとか、
そういう社会から刷りこまれた
「幸せ」の定義が全てだとおもっていたので…
身動きがとれなくなったんですよね。
——
なるほど。
生澤
あと自分は転校生だったので、
いろんなグループとの
距離の取りかたに悩んでしまって…
もうどうやって人間関係を築いたらいいのか
分からなくなったんだとおもいます。
——
ああ、周りが見えすぎるゆえに、
自分の身の置きかたに
悩んでいたのかもしれないですね。
生澤
ほんとうにそうですね。
もうとにかく思いやりのない空間がつらくて、
学校に行きたくなくて。
いじめをしている子が
感情のままに悪口を言ったりとか、
特定の人を仲間はずれにしたりとか…
そういうマイナスのエネルギーが
自分にくっついてしまうことが嫌だったんです。
——
生澤さんはエネルギーの
かたまりのような方という
イメージがあります。
生澤
そうかもしれないです(笑)
いじめられている子に罪はないのになって。
色んなことがショックだったし、
自分の力ではどうにもならないことが多すぎて、
何がどうつらいのかも
分からなくなってしまいました。

——
そうしたつらい日々のなかで、
自分自身に変化はありましたか?
生澤
はい。
明るい性格だったはずなのに、
隣の席の人に「教科書を見せて」と
話しかけることもできなくなりましたね。
あとは成績がものすごく悪くなったり、
得意だった運動もできなくなったり、
すきだったピアノも弾けなくなったり…
——
1人で抱えこんでしまったんですね。
生澤
いま思い返すと周りを頼ればよかったんですけど、
でも学校は絶対行かなきゃいけない場所だから、
1人で泣いて苦しんでました。
——
弱音を吐いたり、SOSを発信することに対して、
抵抗があったんですか?
生澤
そうですね。
明るくて何でもできていた小学生時代の
自分に負けたくなかったのかもしれないです。
いつも笑顔でいなきゃっていうか、
つらいと言ったり周りに迷惑をかけるのは
よくないなとおもってました。
——
ああ…優等生の自分でいないと、
周りに受け入れてもらえないんじゃないかって
不安になりますよね。
生澤
はい…
そうしないと生きていけないだろうなって。
——
どうやって当時を乗りこえましたか?
生澤
ノートに1日1ページ、
その日あった嫌なこととか
誰にも話せないことを書いていました。
最近は明るいこともたくさん書いているんですけど、
日記は全部で18冊くらいあります。

——
そうだったんですね。
あとは、四つ葉を探して元気を出したりとか?
生澤
いえ、もうその頃は部活がほんとうに忙しくて、
四つ葉を探したり植物と触れ合う時間は
全く持てなかったです。
——
パワーチャージできる時間が少なかったんですね。
生澤
はい。
全国大会に行くような吹奏楽部に入っていたんです。
平日は時々朝練と、毎日放課後練があって、
土日もみっちり部活でした。
本当は…美術部に入りたかったんですけど。
——
あれ、どうして美術部を選ばなかったんですか?
生澤
うちの学校の美術部は
週に1回しか活動がなかったので、
母からもっと本格的に打ちこめる
部活をすすめられたんです。
当時は基本的に親の言葉を信じていたので、
そこまですきじゃないことに
たくさんの時間を割いていました。
——
そうだったんですね。
生澤
そんな毎日が続いて、
とうとう何もがんばれなくなってしまって…
もう生きていることがつらいなって
おもっちゃったんですよね。
——
生澤
いつか報われるときがくるって
信じたかったけど、
気持ちがどんどん大きくなって…
当時住んでいたマンションの部屋が
20階にあったので、
ベランダに出て地上を見下ろしながら
いろいろなことを考えてしまって。
——
うん、うん、うん…
生澤
でも、もうだめかもしれないっておもったとき、
いきなり言葉が降ってきたんです。
部活からの帰り道の出来事でした。
あ、これは神さまの声なんだって、
直感で分かったんです。

(つづきます)

第3回 「神さまの声」が聞こえた。