- ——
- じゃあ、小学校に入ると周りの目を気にして、
四つ葉のクローバーがすきということを
隠すようになったんですね。 - 生澤
- そうですね。
もともと感受性が強いほうだし、
親や先生の言うことは
素直に聞いていたので…
「みんなと一緒」じゃないと
生きていけないんだろうなとおもってたんです。 - ——
- 他にも、人には言えなかったこととか、
周りに合わせていたことってありましたか? - 生澤
- 昔から自分のイメージや想いを
かたちにすることがすきだったので、
小学校2年生くらいのときに
将来は芸術家になりたいと考えてたんですけど。 - ——
- おお。
絵を描いたりとか、ものをつくったりとか。 - 生澤
- そうです。
でも、親から
「芸術家になれる人なんて一握りだよ。
いい大学に入って大企業に就職しなさい」
と言われたことを真に受けて、
諦めたりもしましたね。
- ——
- そうだったんですね。
自分の幸せを願ってくれているからこその
アドバイスだったとしても…
大人が発する言葉の影響力って大きいですよね。 - 生澤
- そうなんです。
だから幸せになるには勉強をがんばって、
安定した道を目指すしかないんだなって
信じこんでいました。 - ——
- それが苦痛になったり…
反発したくはなりませんでしたか? - 生澤
- 反発とかはしなかったですけど…
最初は、親や先生が言うことを聞いていれば
間違いないんだろうなっておもってたんです。
でも中学に入ってから、
周りが決めたことと自分の幸せは
違うんだなって気づきました。 - ——
- 何かきっかけになる出来事があったんでしょうか。
- 生澤
- 中学生のときに2回転校を経験したんです。
それで「友だちできるかなあ」とか
「嫌われないようにしなきゃ」って
余計に周りを意識するようになってしまって。 - ——
- わあ、2回も環境が変わったんですね。
- 生澤
- 大変でしたね。
あまり気の合う子が見つからなかったし、
いじめもあってすごくカルチャーショックでした。 - ——
- たしかにわたしも中学のときは、
学校が荒れていて戸惑うことがありました。 - 生澤
- そういう年頃ですよね。
環境の変化にうまく適応できなかったんですけど、
それでも1人になるのが嫌で
毎日友だちをつくろうとがんばってました。
- ——
- 一匹狼でいこう、とはおもわなかったんですか?
- 生澤
- はい。
やっぱり周りの目が気になったし、
親や担任の先生から
「友だちできた?」と聞かれると、
友だちがいない自分はだめなのかなとおもって… - ——
- うーん、そうだったんですね。
- 生澤
- 自分の根底に、
「幸せに生きたい」
という考えがずっとあって。
でも、みんなと一緒に仲よくするとか、
そういう社会から刷りこまれた
「幸せ」の定義が全てだとおもっていたので…
身動きがとれなくなったんですよね。 - ——
- なるほど。
- 生澤
- あと自分は転校生だったので、
いろんなグループとの
距離の取りかたに悩んでしまって…
もうどうやって人間関係を築いたらいいのか
分からなくなったんだとおもいます。 - ——
- ああ、周りが見えすぎるゆえに、
自分の身の置きかたに
悩んでいたのかもしれないですね。 - 生澤
- ほんとうにそうですね。
もうとにかく思いやりのない空間がつらくて、
学校に行きたくなくて。
いじめをしている子が
感情のままに悪口を言ったりとか、
特定の人を仲間はずれにしたりとか…
そういうマイナスのエネルギーが
自分にくっついてしまうことが嫌だったんです。 - ——
- 生澤さんはエネルギーの
かたまりのような方という
イメージがあります。 - 生澤
- そうかもしれないです(笑)
いじめられている子に罪はないのになって。
色んなことがショックだったし、
自分の力ではどうにもならないことが多すぎて、
何がどうつらいのかも
分からなくなってしまいました。
- ——
- そうしたつらい日々のなかで、
自分自身に変化はありましたか? - 生澤
- はい。
明るい性格だったはずなのに、
隣の席の人に「教科書を見せて」と
話しかけることもできなくなりましたね。
あとは成績がものすごく悪くなったり、
得意だった運動もできなくなったり、
すきだったピアノも弾けなくなったり… - ——
- 1人で抱えこんでしまったんですね。
- 生澤
- いま思い返すと周りを頼ればよかったんですけど、
でも学校は絶対行かなきゃいけない場所だから、
1人で泣いて苦しんでました。 - ——
- 弱音を吐いたり、SOSを発信することに対して、
抵抗があったんですか? - 生澤
- そうですね。
明るくて何でもできていた小学生時代の
自分に負けたくなかったのかもしれないです。
いつも笑顔でいなきゃっていうか、
つらいと言ったり周りに迷惑をかけるのは
よくないなとおもってました。 - ——
- ああ…優等生の自分でいないと、
周りに受け入れてもらえないんじゃないかって
不安になりますよね。 - 生澤
- はい…
そうしないと生きていけないだろうなって。 - ——
- どうやって当時を乗りこえましたか?
- 生澤
- ノートに1日1ページ、
その日あった嫌なこととか
誰にも話せないことを書いていました。
最近は明るいこともたくさん書いているんですけど、
日記は全部で18冊くらいあります。
- ——
- そうだったんですね。
あとは、四つ葉を探して元気を出したりとか? - 生澤
- いえ、もうその頃は部活がほんとうに忙しくて、
四つ葉を探したり植物と触れ合う時間は
全く持てなかったです。 - ——
- パワーチャージできる時間が少なかったんですね。
- 生澤
- はい。
全国大会に行くような吹奏楽部に入っていたんです。
平日は時々朝練と、毎日放課後練があって、
土日もみっちり部活でした。
本当は…美術部に入りたかったんですけど。 - ——
- あれ、どうして美術部を選ばなかったんですか?
- 生澤
- うちの学校の美術部は
週に1回しか活動がなかったので、
母からもっと本格的に打ちこめる
部活をすすめられたんです。
当時は基本的に親の言葉を信じていたので、
そこまですきじゃないことに
たくさんの時間を割いていました。 - ——
- そうだったんですね。
- 生澤
- そんな毎日が続いて、
とうとう何もがんばれなくなってしまって…
もう生きていることがつらいなって
おもっちゃったんですよね。 - ——
- …
- 生澤
- いつか報われるときがくるって
信じたかったけど、
気持ちがどんどん大きくなって…
当時住んでいたマンションの部屋が
20階にあったので、
ベランダに出て地上を見下ろしながら
いろいろなことを考えてしまって。 - ——
- うん、うん、うん…
- 生澤
- でも、もうだめかもしれないっておもったとき、
いきなり言葉が降ってきたんです。
部活からの帰り道の出来事でした。
あ、これは神さまの声なんだって、
直感で分かったんです。
(つづきます)