立命館アジア太平洋大学(APU)副学長・今村正治+糸井重里
はたらく場所はつくれます論。
大分県別府市の山の上に、おもしろい大学があります。
立命館アジア太平洋大学(APU)と言います。
昔ながらの味わい深い温泉街に
世界各国からたくさんの学生が集まってくる、おもしろさ。
英語を軸に、さまざまな言語が飛び交う多様性。
世界各国の料理がずらりとならぶ、学食のワクワク感。
そしてなにより、
APUで学び暮らす学生さんたちの、いきいきとした感じ。
でも、この素晴らしい環境を「ゼロ」から立ち上げるには
やっぱり、たいへんなご苦労があったそうです。
そのあたりのことをとっかかりに
開学準備にあたった大学職員・今村正治さん(現副学長)と
糸井重里が
「はたらく」について、自由に話し合いました。
先日、梅田ロフトで開催された
「はたらきたい展。OSAKA」トークショーの模様です。
全8回の連載として、おとどけします。
あの会場で感じた疾走感、知的な興奮、おもしろさが
少しでも共有できたらいいなと思います。 もくじ
第8回 ハタチをどう迎えるか。 第7回 食っていくだけじゃ、イヤだ。 第6回 うれしいから、はたらく。 第5回 ビジョンに共鳴する時代。 第4回 反対運動もあった。 第3回 教員の構想力、職員の実行力。 第2回 学生を集めに200回以上韓国へ行った。 第1回 とんでもない大学をつくる。


第1回 とんでもない大学をつくる。

糸井 大学職員という仕事の中身については
一般的には、
あまり知られていないと思うので、
今村さんのことを
いったい誰なんだというところから‥‥。
今村 はい。
糸井 いまはAPU、
立命館アジア太平洋大学の副学長、ですね。
今村 はい、この1月から。
糸井 副学長に就任した、大学職員の側の人です。

みなさん、大学の先生というイメージは
あると思うんですけど、
「職員の人たちがいるんだ」ってことを、
僕はあまり意識したことがなくて。

というのも実際、
自分の大学生活が短かったこともあって
よく知らないけど
学生課というところがあるとか‥‥。
今村 ええ(笑)。
糸井 先生と職員の比率って、どのくらいなんですか?
今村 職員は、教員の「2分の1」くらいですかね。
うちの大学で言いますと。
糸井 なるほど。
今村 だいたい僕自身も、
学生時代、
学生課の窓口で「学割ください」とか言うくらいで、
「ラクそうでいいな」くらいのイメージしか
持ってなかったんですが(笑)、
実は、いろいろな仕事があるんです。

図書館、財務部、総務部、入学センター‥‥
大きな大学であればあるほど、
たくさんのセクションが仕事をしています。
糸井 知らないものですよね。

鉄道といえば運転手さんしか思いつかない‥‥
というようのと、同じというか。

だから僕は
「大学には、大学職員がいる」ということについて
今村さんと会って話しているうちに、
そう言えばそうだよなあと、思いまして。
今村 あはは(笑)。
糸井 で、お話をうかがっているうちに
そうか、大学というのは会社と同じような組織で、
運営する仕事の人がいて、
先生というのは、その中の「アクター」なんだと。

それ以外の職員という人たちが、
大学を建てたり、授業などの計画を立てたり、
どうやって食っていくかを考えたり。

つまり、経営に関わるさまざまなことについては
「職員の人たちがやってたんだ!」
ということに思いいたったとたんに、
俄然おもしろくなったんです。
今村 そうですか。
糸井 そもそも今村さんとは、僕のところに
「こんど、
 こういう学部をつくりたいんですけど
 どう思いますか?」
ということでいらしたときに、
はじめて、お会いしたんですよね。

まだ秘密でしょうから
それが何なのか具体的には言えないんですが。
今村 ええ、スミマセン(笑)。
糸井 そのときの質問が、すでにおもしろかった。

まだ秘密なのでデタラメに言うと、
「動物園学部をつくったらどうでしょう」と
考えてみましょうか。

すると、
「動物を見物することの意味」
だとか
「動物と人間との関係から学べること」
というふうに、
大学で教えるとなったとたんに
「動物園」についての
仕事の量が、ぐーんと増えるわけです。
今村 ええ、ええ。
糸井 その「広がりかた」が、おもしろかった。

で、そんなに広がるのかって想像したら、
すっかり楽しくなっちゃって。

「そんな仕事を、ずっとやってきたんですか」
と、僕が訊いてばかりになってしまいました。
今村 はい(笑)。
糸井 そのなかのひとつが
立命館アジア太平洋大学(APU)という、
とんでもない大学。

温泉地・別府の街を見下ろす山のてっぺんに
急にできた、
日本人が半分しかいない学校なんです。

つまり、半分が外国人。
それも「世界50カ国」から集めてる‥‥。
今村 今は「約80カ国」ですね。
糸井 あ、そうですか(笑)。

つまり、最初に「50カ国以上から集める」という
決まりをつくったんですよね。

‥‥その決まり自体おかしいでしょ(笑)。
今村 そうですねえ(笑)。

別府に大学をつくろうといったときに
「3つの50」という、
何の根拠もない公約を立ててしまった。

それは
「50カ国以上から学生を集めます」
「50%は留学生です」
「先生の50%も外国籍です」という。

そんな公約を掲げちゃったんで、
もう、やらざるを得なかったんです。
糸井 そんな大学が、この先どうなるだろうって
考えただけで、おもしろいでしょ?

で、その大学をつくるにあたっての物語が
あまりにも濃くておもしろいので、
今日のテーマである
「仕事の場所は、つくれます」ということの
ひとつの典型例だなと思ったので、
まず、そんな無理な大学をつくった男の話を
聞いて頂きたいと思います(笑)。
今村 はい、よろしくお願いします(笑)。

<つづきます>


2013年の秋に
ほぼ日全員で見学したときに聞いた
APUこぼればなし。


「50%は留学生です」
今回の対談で
「50%は留学生です」という
今村さんの言葉がありました。
昨年の10月に私たち「ほぼ日」が
APUを訪問させていただいたとき、
今村さんは、こんなこともおっしゃっていました。
「大学をつくるときには、
 文部科学省の設置基準どおりにやっていきます。
 APUも当然それを守っていますが、
 留学生が半分いるとか、
 しかも50ヶ国以上から来るとか、
 英語と日本語の両方で授業をするとか、
 そういうしくみはこの大学の規模では
 考えられないものでした」

日本の大学における「留学生」は、当時は
まず日本人学生の定員があって、そこからの
「上積み」という考え方だったそうです。
APUははじめから
留学生で学生数の半分を集めるのですから、
(集めなければいけない留学生の数は
 当時で400人だったそうです)
荒唐無稽なアイディアだと思われていました。
留学生を集められなかったら、
大学を開くことそのものが不可能になるのです。

(このコラムもつづきます)


2014-03-04-TUE



  このコンテンツのトップへ つぎへ





感想をおくる ツイートする ほぼ日ホームへ
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN