立命館アジア太平洋大学(APU)副学長・今村正治+糸井重里
はたらく場所はつくれます論。


第5回
ビジョンに共鳴する時代。

糸井 立命館大学が
学生を迎えて春夏秋冬を繰り返してるところには、
新しい仕事は、とくに生まれない。

「出る人がいて、入る人がいる」だけの循環です。

でも「滋賀に新しいキャンパスをつくろう」って
決めたときから、仕事がどんどん増えていった。
今村 ええ。
糸井 言い換えれば、仕事が「つくれた」わけです。

APUにしたって
「別府でよけいなことをはじめる」ことこそが
「仕事をつくった」と言わるわけで。
今村 そうですね。
糸井 もうひとつ特徴的だなあと思うのは
ここまでは「大学の話」なので
極端に言うと「もうけが要らない」んですよね。

つまり、企業の場合には
「別府の山の上に大学つくるって言うけどさ、
 それっていくらもうかるの?」
と、かならず問われるじゃないですか。
今村 ええ、ええ。
糸井 でも、大学の場合には
「こんなにも、もうかりますよ」って説明は要らない。
ここが、重要だと思うんです。

つまり
「利益を出さなければならない」という使命があると
安易に仕事が「はじめられなくなる」んですよ。

別府の山の上の大学が、
地元の人、学生、職員みんなによろこばれながら
十分に利益も出すというのは、
実際はどうあれ
計画している段階では難しいと思われますから。

途上国からの学生の奨学金だって、ありますしね。
今村 APUの学費は、九州では高いほうです。
糸井 あ、そうなんですか。
今村 残念ながらというか、申し訳ないというか。
でも、そのなかから
奨学金を出していかないと、維持できない。

開学のときに集めた「約40億円」の奨学金は
もう使っちゃったので。
さらに努力をしなければいけないんです。

APUの多文化環境は、いわば「宝」ですから‥‥。
糸井 宝。
今村 そう思うんです。

あの大学が持つ多文化の環境というものを
維持するためには、
やっぱり、現状では、
高い学費の負担をお願いせざるを得ないんです。
糸井 今の話を、企業が言ったらどうなりますか。

「奨学金としていただいたものは、
 使っちゃいました。
 でも、あの大学は宝ですから」
という説明は、
利益を中心に考えてたら言えないんですよ。
今村 そうでしょうね。
糸井 大学だから言えたと思うんですが、
じつは「ほぼ日」でやっている仕事のなかにも
そういう仕事が、けっこうあるんです。

たとえば、東北関連の仕事。

「あれって、利益どれくらい上がってます?」
と聞かれたら
正直に言っちゃえば、ぜんぜん上がってません。
今村 ええ。
糸井 でも、直接的な利益は生んではいないけど、
よろこんでくれる人だとか、
コンテンツを読みに来てくれる人だとか、
東北のことを知ってくれる人だとかを
「生み出している」わけです。

「10万円、20万円の黒字が出ました」
ということよりも
「100万円、200万円、1千万円の赤字が出ました」
と言って得たもののほうが、
実は、たくさんの仕事をしている‥‥というほうが
ぼくは、おもしろいなと思ってるんです。
今村 なるほど。
糸井 だから、いまの今村さんの話は
もし営利目的の企業なら「クビ」でしょうね(笑)。
今村 でしょうねえ。まずやらないです。無理です。

いま、日本の大学経営というのは、
収入のほとんどを
「学費」に依存してしまってる構造なんです。

具体的には「7~8割」か、それ以上を、
「学費」が占めているんですね。
糸井 ええ。
今村 そういう状況で
学生の半分が留学生であるということから
奨学金を
たくさん用意しなければならないのが
APUです。

これは、すごく大きなハードルです。
糸井 そういうことですよね。
今村 学生が収めてくれる学費というのは
そのほとんどが
人件費、教育費、管理費に消えます。

だから、大きなビジョンにたいして
「おもしろい」「やろうよ」
と言ってくれる人が
大学の内外にいてくれてはじめて成立するんです。
糸井 ゴールドラッシュのときみたいに、
お金に対してみんなが欲望する時代があったのは
たしかなんだけれど、
今は「おもしろいぞ!」ってキラキラしていると
「俺にも手伝わせてくれ」みたいな、
ビジョンのゴールドラッシュみたいなことが
起こり得る時代だと思うんです。
今村 うん、うん。そうなんですよね。

開学の構想には、
多くの企業が賛同してくださり、
奨学金や
さまざまな協力を得ることができたのです。

「いいよ、ちから貸すよ」って。
糸井 そうですか。
今村 やはり、本当の「ビジョン」というのは
教育像や大学像を
書き換えてしまうくらいのものであるべきだなあと。
糸井 なるほど、なるほど。
今村 大きく言ってしまえば
われわれは「教育を根底から変えてやる」
くらいの気持ちがあったので、
とことんまでやらないと、駄目だと思いました。

「いま、これが大事なことなんだな」って、
いろんな立場の人が
認めてくださったことが、大きかったです。
<つづきます>


2013年の秋に
ほぼ日全員で見学したときに聞いた
APUこぼればなし。


「APUの多分化環境は、
  いわば『宝』ですから」

APUは、学生の半数が留学生、そして、
日本語と英語の両方で授業をやるなど、
日本でもたいへんめずらしい国際大学です。
この貴重な大学には、こんな方がはたらいておられます。
職員の河内明子さんです。

「私はスチューデントオフィス、いわゆる
 学生課と呼ばれる部署におります。
 開学当初からAPUにいますが、
 あのころは新人で、まだ若かった。
 青春をAPUに捧げ、最初の混乱の時期には
 青春を返せ、と思ったこともありましたけれども(笑)、
 いまではすごくよかったなぁと思っています。
 
 私は当時ではめずらしく、新卒でここに入りました。
 決意した1999年、私は立命館大学の4回生でした。
 21世紀はアジア太平洋の時代だと
 さかんに言われていた時期です。
 そんなテーマのシンポジウムに学生の私は参加しました。

 私は文学部にいて、それまでほとんど
 ほかの国の学生さんとふれあうことはありませんでした。
 しかし、そのときにどの学生も一様に言っていたのが
 『いまこうやって私たちは膝を突き合わせて
  話しているが、
  これが日常的にどこの国でも行われていたら
  戦争はないだろう。
  そして、もっと明るい未来が開けるんじゃないか』
 ということでした。
 アジア太平洋地域の連携をつくるのであれば
 若い世代がふれあう機会が必要だ、ということを
 私たちがシンポジウムで結論づけたその夜、
 レセプションで初代学長の坂本和一先生が
 立命館は2000年にそういうコンセプトの大学をつくる、
 とあいさつされたんです。
 私はすぐに関わってみたいと思いました。
 次の日、就職課に行って、
『採用ありませんか?』と訊いたら、
『ちょうどいま募集になってます』
 とのことで‥‥いま私はここにいます(笑)。

 APUのような環境が
 全世界にもっとたくさん生まれたらいいし、
 そうすれば、500年後くらいには
 地球上から戦争がなくなって
 平和な世界が訪れているんじゃないかと
 ほんとうに思っています」

(このコラムもつづきます)



2014-03-10-MON



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