logo_hajimaru

logo_hobonichi

志村宏さん 山から、野から、畑から色を。

今回から3回にわけて、
atelier shimuraで染めを担当している
志村宏(ひろ)さんに伺った話をお届けします。
昌司さんの9つちがいの弟である宏さんは
30代に入ってから、野菜づくりの世界から、
この「染め」の仕事に入りました。
そこにいたる経緯は? 染めの難しさとは?
とくに今回のストールを染めるための試行錯誤は、
私たちの想像を超えるたいへんさがあったようです。
そして藍づくりの現場も見せていただきながら
植物染料による染めの世界の深さを
体感していただけたらと思います。

志村宏さん1

魔法使いの弟子。

「染め」の仕事をはじめるまで、
ずっと京都の大原の山奥で京野菜を作っていました。
同級生の一族がそこの出身で、
使っていない土地があるというので出かけてみたら、
40年使われていない廃村があったんです。
そこで、借りられるところを全部借りて、
大規模な農園をはじめました。
26歳のときのことでした。

ずっと「野菜の人」だったんです。
最初は大学のとき構内のポスターで
「野菜をつくろう」「農業をやろう」というのを見て、
「ちょっとやろうかな」と島根に行き、
1ヶ月ぐらい寝泊まりしながら
自然農法を体験しました。
メチャメチャたいへんやったんですよ。
自分で開墾していくんです。
機械がない、手でやる。
ニワトリがいる、馬がいる、イノシシ出まくる、
そんなところだったんです。

そのあと地下工場製の野菜づくりなどを経験しつつ、
京野菜をやろうと思って、
鷹峰(たかがみね)のほうで勉強し、
大原に行ったわけです。
機械もないし、お金もなかったので、
切り株をおこすということから始めました。
これも、とてもたいへんでした。

農業から「染め」に来たのは、
もともとやりたかったという気持ちがあったからです。
仕事が一段落した時期に、
最後の選択肢として考えました。
この次に就く仕事は、
人生ずっとやらないかんな、と思って、
母(洋子さん)と相談して決めました。
そのときには兄がすでにここで仕事をしていたので
「こういうことがしたい」と伝えました。

▲農業の経験を活かして、畑も宏さんが中心となり世話をしています。

小さい時、工房が遊び場だったので、
染めは身近なものでした。
手伝うというか、遊びの一環で工房にずっといました。
兄とは9つ離れているんですが、
ぼくが物心ついたときには
兄はいつも机に向かって勉強している人、
という印象でした。
だからぼくは工房で遊んでいたんですね。

好きだったんですよ、染めるのが。
大学を出てすぐに、ではなかったのは、
ここは女系ですから、
工房自体が女の人しかいなかった。
だから入りづらさを感じていました。
そのへんが吹っ切れて、
ぼくはいま35歳ですが、
30歳を過ぎてから「染め」に入ったんです。
いまでも、アルスシムラの予科でも
男性は数人ですし、
本科はさらに女性が多く、
いま一緒にはたらいているメンバーは女性ばかり。
男性はお断りということはまったくないんですが。

▲宏さんと和気あいあいと働いている、みどり工房のみなさん。全員女性です。

ぼくにとって先生は誰なのかというと、
感覚的には、祖母であるふくみ先生です。

ぼくが3歳くらいのとき、祖母が、
茜(あかね)か蘇芳(すおう)か、
赤の染料で糸を染めていました。そして、
「これを透明の水に入れてみ」って言ったんですね。
そのとき祖母は、水の中に透明の何かを入れたので、
「水に、水を入れたんだな」って思いました。
ところがその水に糸を浸けると、
赤がフワーッと色を変えたんです。
驚きました。
そのとき認識したんです、
「おばあちゃんは魔法使いなんだ!」と。
▲宏さんが茜でストールの糸を染めています。
今となってはそれは「媒染」
(色を定着させる工程)だとわかるわけですけれど、
当時は本当に不思議でした。
それが最初に「染め」の面白さに触れた記憶です。
▲媒染をして色を定着させます。
鉄、石灰、明礬(みょうばん)、なにで媒染するかによって色は変化します。
農業からこの世界に来たわけですが、
畑をやってきて良かったって、今ではすごく思えます。
回り道はしたけれども、
その経験がないといま余裕を持って
この仕事ができていないと思います。

アルスシムラで「メモをとるな」
という話がありましたよね。
ぼくもふくみ先生に
「メモをとるな」って言われました。
「メモとったらあかん」
「覚えなさい」と。
「喋ってる人の顔みて覚えなさい」
「やってはること、見て覚えなさい」
「焼き付けろ」
つまり集中しろっていうことやと思うんですけど。
それが最近予定が増えすぎて、
スケジュール書かんかったら、
逆に怒られるようになりましたけれど。
「あんた、書きいな」って(笑)。
▲ふくみ先生のお話しをされているときの、宏さんのやさしい笑顔が印象的でした。
染める材料は、近隣で採れるものもありますし。
染料屋さんから買うものもありますし、
ご好意でいただくものもあります。
たとえば玉ねぎの皮は淡路島からいただいています。

シムラの色は透明感があると言ってもらいますが、
材料についた土などを
きれいに落としているからでしょうか。
土の鉄分は染めに影響します。
炊き出す量も多いため、色が濁ってしまうんです。
どの染料も、それをやるとやらないっていうのは、
──これは「どっちがいい」とかではないんですけど──
染める人間にとって選択する余地があるぐらいの
差があると思います。
ぼくは、きれいにすることはとても大事だと思っています。

▲クチナシで染めた糸。つややかな色は思わず見惚れてしまうほどの美しさ。

そうそう、味も大事なんです。
味と色には関係性があります。
どんなに観察しても「この染液がここまでくる」
なんてことは分からないんですが、
じゃどうしたらいいかっていう1つのヒントに、
味の濃さ・苦さがあります。
その植物が持ってる灰汁・えぐみ・苦みが色に反映します。
それは色に直結するイメージなんですよ。
染める前と染めたあとに飲むと、その変化もわかる。
結局、自分の五感を使えば、
色の濃さも、それが減ったことも
理解できるんだろうなと思います。
これは、うちの子たち全員に言ってますけど、
とにかくどんな情報でもいいから、
自分で納得できるというか、判断できるものを
見つけてほしいなと思っています。
今は味の例を出しましたが、
ぼくが「こうです」って言っても、
その子にとっては違うかもしれません。
だから味に関しても、ぼくは何も言わず、
ただ味わってもらうことにしています。
「おいしい」「まずい」ぐらい聞きますけど、
それぐらいですよ。
染めたあとも、糸は使ってますけど、
別に毒なもんじゃないので飲んで欲しいって言って
飲んでもらう。それとその味の違いに気づけば、
何かストンと腑に落ちるものが
あるんじゃないかなと思います。

▲これは「刈安(カリヤス)という、すすきの仲間の草を炊いているところ。味見をさせてもらいました。おいしい! このままお茶として飲めそうなくらいです(私たちには、そのくらいの感想しか出ないのです)。ちなみに「藍」も、お茶にすることができると聞き、びっくり。

自分の中に揺るぎない指標をつくれば、
「シムラで作る美しさ」は、統一されるものではなく、
それぞれが自由に持っていていいと思います。
そういう目に見えないものをとるのが仕事ですから、
何とか自分の中で見えるものを見つけないといけない、
っていうふうにぼくは思っています。
みんなにもそういうふうになってほしいし、
その基準は自分で決めてほしいんですよね。

ただ、それを受け入れるための感覚とか、
心の目というか、
そういうものをまずアルスとか
ああいうところで勉強してもらって、
美しいものを美しいと言える口、
恥ずかしがらずにそれを受け入れられる態勢を
持ってもらうと、次にそこから自分で芽吹かして
自分なりの指標を作ることができますよね。

人は、ある種、
それぞれひとつの種類でしかないと思っています。
みんなにはみんなの良い色があって、
誰かが美しいって言ってくれたら、
その人にとってはいいんじゃないかなと思っています。
「これがシムラの色」といっても、
やっぱりそれは植物の一部の色っていう意味として
ぼくは捉えています。
おのおのが染めると全然やっぱり違うので。
ストールだけはぼくの基準でやってもらっていますけど。

やっぱり──、色には命が入っていますね。
やっぱり「染める」っていうことっていうのは、
食べてることと一緒なんですよね。
生かされてるのと一緒なんです。
色をとるっていうのは、
結局生きるってことに直結してて、
食べると体力的な分の栄養素とする、
こっちはやっぱり心のほうの栄養素を
もらってるのかな、って思います。

ふくみ先生は、「私、未だに染めれてない」って
言ったりもします。
染めは、それぐらい、やっぱり、難しいです。

▲煮出す前の刈安。KIKIさんの背をこえるほど大きいんです。

(つづきます)

2016-10-24-MON

Photo: Hiroyuki Oe, Chihaya Kaminokawa