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志村洋子さん+志村昌司さん あたらしい道をつくる仕事。

atelier shimura(アトリエシムラ)の
代表である志村昌司さんと、
染織家の志村洋子さんにお話を聞きました。
atelier shimuraとは何なのか。
それより先につくられた芸術学校アルスシムラとは?
そして染織にかける「思い」について、
とても深い話が続きます。
洋子さんは昌司さんの母親、つまり
志村ふくみさんは昌司さんのおばあさんにあたります。
さらにその母親である
「小野豊(とよ)」さんのこともふくめ、
話は、家族の歴史にまでひろがっていきました。
なお、洋子さんについては、以前「ほぼ日」に掲載した
このプロフィールを、どうぞ。

志村洋子さん+志村昌司さん2

作品につくり手の名前は必要なのだろうか?

洋子
閉ざさないにはどうしたらいいのか。
工房を開放するっていうのはどういうことか。
──っていうと、まずは教育です。
そして、今の資本主義の経済のなかでどうやったら、
自然に近い、自分にウソをついてないこの仕事が、
経済のなかに入っていけるかっていうのは、
たいへん矛盾しているんです。
手仕事で、時間かけて真心をこめ、
何だの何だのっていったら、
時間はかかるわ、高くなるわ、
着物着る人はいないわって、
何拍子も揃っているこの仕事。
それをどうしたら皆さんに手頃なお値段で
楽しんで買っていただけるかっていう
大問題が次にあります。

▲工房の棚には、さまざまな色に染められた絹糸が大切に保管されています。
30年、40年以上前に染めたものもあるのだそう。

▲atelier shimura の着物は、何色ものいろが組み合わされ織り上げられています。

そこは、学校教育をしていくなかで育ってきた
次の担い手たちの出番です。
そういう人たちと共にやっていくんですよね。
今回atelier shimuraのグラフィック全般を
相談させていただいた
アートディレクターの葛西薫さんもそうですし、
もちろん、糸井さんもそうです。
今の時代に「本物」をどうしたらいいかを、
みんな悩んで頑張ってるわけですよね、
この資本主義社会のなかで。
そういうところはやっぱり共感するわけですから、
こうして「じゃ、やろう」っていうことに
なったっていうところです。
昌司
うちの制作物はとても誠実だと思っています。
原材料も工程も。
そして大事なのは、本当は手放したくない、
本当は自分がまず使いたいと
思うものであるということです。
ほぼ日
とくに反物、着物は、
あれだけの時間と労力をかけたら‥‥。

▲織り上がった状態を想像しながら計算し、染め上げた糸を、
一本一本丁寧に位置の微調整をしながら織り上げていくと‥‥。

▲みごとな市松模様があらわれます。平織りのなかでも高い技術を要する手法。
理数系のあたまで考えることも、織り手として大切なことの一つだそうです。

昌司
そうなんですよ。それを世に出すっていうことが
誠実な行為として成立するんじゃないかなと思うんですよ。
そこはうちは自信があります。
ただ、作家はそれでやってくることができましたが、
atelier shimuraの場合、ものがよくても、
それを伝えるところも洗練されていかないと、
なかなか世の中はわかってくれない面がある。
そこでグラフィックの必要性が出てきて、
葛西薫さんに作っていただくっていう発想がうまれました。

同時に「つくり手の名前」のことも考えました。
これ、美術工芸だと大きな問題になるところなんです。
たとえば「志村ふくみ」という
サインが欲しいという方は大勢いらっしゃいます。
でもブランドっていうのは、サインがないわけですよね。
志村ふくみは関わってるんだろうけど、
本人が織ったものではない、
という話になりがちのところを、変えていきたい。
ものとして素晴らしかったら、名前があってもなくても、
本当はいいわけなんですよね。
工房の人たちっていうのは、作家ではないけれど、
単なる職工でもないんです。
もっとひとりの個人として認められた作り手なんですよ。
名前は出ないけれど、ひとりの作り手としての人格がある。
ひとりひとりの創造性も発揮してもらいつつ、
ブランドとして共有すべきものを
どうマッチさせていくかというのが、
今後のうちのブランドとしての課題です。

▲織機がならぶ工房の壁にデザイン画が貼られていました。

▲どこでどの色をいれていくかは、すべて織り手さんにゆだねられています。

洋子
自分の個人の名前が出るよりも、
atelier shimuraという名前を
心から誇れるということですね。
やっぱり「ブランド」っていうよりかは、何でしょうね、
新しいそういうグループ作り、共同体作りっていうのを
目指したらいいなっていうふうに思っていて。
「ブランド」っていう言葉を使っていますけれど、
ちょっと私はなかなかしっくりはきてなくて‥‥。
「ブランド」というと、ヨーロッパの何かみたいな
感じを受ける。やっぱり日本ならではの、
共同でやるっていうことの
新しい名前を考えないといけないですね。

昔よく、武者小路実篤の「新しき村」など、
文学者でも共同体で暮らしてた時期があったし、
みんなそうやって失敗するんですよ。
個性の強い人間が一緒に暮らすと揉め事があって。
でも、いまはもうちょっと意識的に
そういうことをやれないかと考えています。
住まいを一緒にしたりすると、
先祖返りだと思います。
個人の思いを大事にしながら、
仕事場で、どうしたら個々人が光るか。
そして、みんなでやった仕事がどれだけ、
その個々人でやるよりも
素晴らしいかっていうことを意識して、
新しい共同体はできるかもわからないっていうのが、
とても私たちが期待しているところです。

ないんですよ、今の日本にこういうのが。
工芸の世界から出て来て、
新しい感覚を身につけながら、
新しいセンスで、
ブランディングもやるっていうことが。
それを試行錯誤しながら世に出していきたいと思います。

▲今回の取材では、モデルのKIKIさんも一緒にお伺いして、
とくべつに試着もさせていただきました。minä perhonenの帯とも、
とてもいい相性です。

昌司
有島武郎さんも有名ですよね。
自分の農場を解放して
新しいコミューンを作ったり。
いまぼくとしても考えてるのが民藝運動です。
民藝運動って、やっぱりうちにとって
切り離せないもので、
祖母のふくみは民藝の流れを汲んだ人として
普通は認識されています。
で、その母親である小野豊は、
上加茂民藝協団っていう、京都の上賀茂で
柳宗悦先生が中心となったグループに行ってたんです。
民藝協団とは実験工房みたいなもので、
そこで小野豊は青田五良さんに習って、
染織のことを知って、
ふくみ先生に伝えるという流れができるんです。

ですけど、このそもそもの上加茂民藝協団自体は
2年ぐらいで崩壊するんですよ。
美に基づいた共同体作りっていうのを
柳先生がやろうとしたけれど、失敗した。
失敗の原因はいろいろなことがあり、
そもそもご本人がドイツに行って
いなかったっていうのが問題だって、
ふくみはいつも言ってますけど、
とにかく失敗しました。

そういう、ただ手仕事とか、
芸術に基づいた共同体作りの試みっていうものは、
それ自体はたぶん理念として古いものではないんです。
ぼくも私塾をやっていた時に思ったんですけど、
今の現代社会って、基本的に競争社会じゃないですか。
ダーウィンの進化論的な感じっていうんですかね、
能力のある人とか、能率的な人がどんどん上に行って、
能力がないと思われてる人が落伍していって、
それで効率的な組織運営とか、
社会の仕組みっていうのができる。
そういう意味じゃ、人間関係って、
基本的にはちょっとギスギスしたしんどいものが
出てくると思うんですけど、
手仕事ってそういうふうにならないんですね、
助け合う。
もちろん手の早い人と遅い人がいるんですよ。
そうすると手の早い人が助ける。
お互い協力し合う関係ができていきます。

現代社会というのが競争の原理に基づく
効率のよい社会を目指してるっていうことならば、
手仕事に基づく共同体は、
「協働」の原理に基づいてるんじゃないかなと。
ギルド的な社会というんですか、
全部それでやるのは難しいとは思うんですけど、
やっぱり今のこの社会のなかで、
そういう存在っていうのは
貴重なんじゃないかなと思ったんですよね。

今、atelier shimuraは
みんな仲がいいし、助け合うし、
ちょっと普通の会社とは違います。
そういうのって、今の時代にすごく
大事なんじゃないかなと思うんです。
洋子
みんなすごく張り切ってるでしょう。
ほぼ日
はい、工房を見学させていただき
そのことを強く感じました。
洋子
でも、やってる仕事量ってすごいんですよ、じつは。
ほぼ日
そう思います。都機工房とみどり工房を
行ったり来たりしながら、学校もあって、
つなぎの役目もしなきゃならないですし、
新製品開発もしていますし。

▲都機工房がある嵯峨嵐山の町並み。
緑が多いのんびりとした住宅街がひろがっています。

▲この日は新商品を入れるボックスが大量に届きました。
工房のみなさんが協力して荷降ろしを手伝います。

洋子
それに、販売もしなくてはならないし。
何だかんだ、ストレスが溜まると思うんですけれども、
でも、人間って──、できるんですよね、
新しいことに挑戦しようと思うと。
しかも自分がいないと回ってかないというのは、
ストレスじゃなくて、
新しいことに挑戦して、生かされてる。
そう感じることで、人間は働くんだと思っています。

しかも、仕事が終わって、帰りなさいと言っても
帰らないんですよ。
ある意味、面白くてしょうがないし、
ある意味、成功しないと後がないぞという「背水の陣」。
うち、「背水の陣」が大好きで、
いつもそういうことになってるんですよね。

やはり、果たせなかった祖父母の夢っていうのが、
私たちのなかにもあるんだと思います。
芸術共同体じゃ無理でも、学校は長持ちするでしょう、
教育をして送り出すと、精神がまず作れますよね。
いきなり共同体、ギルドを作ったって、
精神が共同ではないんで、難しくなります。
その順番を踏んでるんです、今。

▲工房の軒先には、染めの原料でもある植物が。

(つづきます)

2016-10-18-TUE

Photo: Chihaya Kaminokawa