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志村洋子さん+志村昌司さん あたらしい道をつくる仕事。

atelier shimura(アトリエシムラ)の
代表である志村昌司さんと、
染織家の志村洋子さんにお話を聞きました。
atelier shimuraとは何なのか。
それより先につくられた芸術学校アルスシムラとは?
そして染織にかける「思い」について、
とても深い話が続きます。
洋子さんは昌司さんの母親、つまり
志村ふくみさんは昌司さんのおばあさんにあたります。
さらにその母親である
「小野豊(とよ)」さんのこともふくめ、
話は、家族の歴史にまでひろがっていきました。
なお、洋子さんについては、以前「ほぼ日」に掲載した
このプロフィールを、どうぞ。

志村洋子さん+志村昌司さん5

経糸(たていと)が運命、
緯糸(よこいと)が生き方。

ほぼ日
これだけ量産品の画一的な商品が出回っている中で、
今回のストールは、
「染めるということは、本来こういうものです」
という意味で、あたりまえのように
「色のばらつき」があります。
1枚のストールに1かせ(糸のひと束)を
緯(よこ)糸に使い、
その1かせ単位で染めていますよね。
この作業は、植物との対話の──。
昌司
はい、それこそ、対話の結果ですね。
ほぼ日
また、製品染めではなく糸で染めていますから
織り上がったストールに染めむらはありませんが、
それでも、光の加減で色が変わりますよね。
洋子
家の中と家の外でも違いますよね。

▲今回、ほぼ日でも販売させていただくストール。
右上にあるのは、今回のためにつくられた絹と綿の混紡糸を、工房で染めたもの。
これを緯糸(よこいと)につかい、経糸(たていと)には白、または生成りの糸をつかっているので、
柔らかな色合いで仕上がっています。

▲工房のみなさんから説明をお聞きしながら、実際に
巻いてみていただきました。外の光が当たるところで見ると、
ふんわりと光をまとって、またすこし違った色合いに見えてきます。

ほぼ日
1日のなかで、朝と夜でも。
その日の気分もあるかもしれません。
落ち込んでるとき、世の中暗く見えますから。
洋子
全然違うんです。
ほぼ日
そのことが面白いと思っています。
ほんとうにこれこそ伝えていきたいと感じます。
そういったものの価値、
それを楽しむこととか、育てるとか、
一緒に歩むっていうようなことを
こうしたコンテンツであわせて
お伝えできればなと思っています。
洋子
「ほぼ日」さんは、
皆さんの姿に共通点がありますよね。
うちもそうで、
シムラカラーっていうか、あるでしょう?
ほぼ日
はい、感じます。
洋子
個々人の個性が光るっていうのはとても大事だけど、
その個性を光らすにはどうしたらいいかっていうと、
器だっていう話をしているんです。
器を心のなかに作って、
どんな器かというと、皆さんは「ほぼ日」っていう器、
うちは、atelier shimuraという器。
ここに盛り込むものは
自分たちの心とか、いろんな熱情です。
この器が美しいと、美しい内容物が盛り込まれる。
でも、そもそも器がないと、
いくら自分を盛り込もうと思っても、
ダダ漏れになるでしょう。

うちに来て喜んでくれる生徒や弟子は、
みんな器を探しています。
自分の熱情とか、思いとか、感性を
使ってほしいと思うんだけれど、使い場がない。
だから、グルグルグルグル空回りするんですよ。
でも、これだけの器があるから、
ここに盛ってごらんって言った途端、すごく頑張るの。

▲アルスシムラで織りの自習をされていた生徒さん。生徒は一人一台、
じぶん専用の織機をつかうことができます。
「私が染めて 私が織って 私が着る」が学校のコンセプト。
じぶんで制作した着物と帯を着て、卒業式に出席します。

▲織り糸はすべて梅で染め、鉄・石灰・ミョウバンの3種類の媒染違いで
色のバリエーションを出していました。水墨画を意識してトーンを決め、
模様は雲や鳥をイメージしたのだそう。

器がなければダメなんです。
とくに日本人っていうのは器の民族だと思うんです。
川端康成が言っておりますけどね、
日本人の民族の型っていうのはたいへん美しいものだと。
その形が本来美しいのに、
もったいないと私は強く思っています。

日本民族は猛々しく、海外でも経済力でやれるとか、
すごく競争していく強さっていうのもあるんだけれど、
いっぽうで美しい器をつくろうという心も、
両方あるんですよね。
おもてなしとか、きれいに掃除したりとか、
サッカー行っても、みんなきれいにしてるとか、
震災があっても、みんなとても礼儀正しいという、
それもあるのが、私たちの魂の形なんです。
魂の形っていうものがしっかりあれば、
盛り込む時に、きれいなものが
盛り込まれると思っているんです。

「ほぼ日」さんがすごいなと思うのは、
糸井さん一代でよくここまで美しい器を
お作りになったなということです。
いびつなところもあるかもしれませんけどね、
でも、ほんとうに現代にマッチしてて、しかも軽快で、
本質的なことを突いてらしてっていうのが、
本人も気づいてらっしゃるかどうかわかりませんけど、
ひとつの器を作ってらっしゃる。
無理にはめようとか、そういうのではないんですよ。
知らず知らずにそういうことになってるっていうのが、
美しいものの原型じゃないかなと思う。
器がないと、頑張りようがないですよ。
ほぼ日
学校、アルスシムラは
途中で辞めてしまうひとはいますか。
昌司
やめた人はいないですね。
ほぼ日
教えて下さいって思っていることと
全然違うとショックを受ける人もいるでしょうが、
でも、ちゃんと変化していくわけですね。
昌司
そうです。あと、講師が誠心誠意なんですよ。
そういう講師に恵まれました。

基本的には志村ふくみや洋子のお弟子さんなんですけど、
まず上から目線じゃないんです。
一緒に悩んで、一緒に考えて。
だから、共同‥‥同士っていうか、
学校といってもひとつの共同体なんですよ。
先生が来て、今から授業始めるっていうよりかは、
基本が制作なので、木を取ってきて、焚き出しして、
みんなでわーっと進めたり。
もうほんとうに共同体の同じメンバーとして、
講師のほうがちょっと技術的に知ってるから教える、
ていう、そういう感じなんです。
横のつながりがすごく強いです。
卒業の時のアンケート読むと、
もちろんふくみ先生や洋子先生に
教えてもらってよかったということはありますが、
友だちに助けられたとか、
友だち同士の絆がすごく嬉しいとか、
そういう横のつながりを持っているんですね。
一緒に作業して、一緒にご飯食べて、一緒に制作して、
発表して‥‥、こういうふうにやってってなるなかで、
かけがえのない時間というのが
できるんじゃないでしょうか。
▲取材させて頂いた日には、工房のみなさんがお昼ごはんにと、
そぼろ丼を作ってくださいました。
洋子
講師は伴走者ですよね。
ともに走る人。
それに、うちは、70いくつから10代まで、
ひとつの教室の年齢差が素晴らしいんですよ。
昌司
3世代が一緒に学んでいます。
洋子
その年齢差がいいなって、私はすごく思います。
おばあちゃんに糸が通らないところを通してもらったり、
それはお互いがすごく嬉しいですよね。
予科の人は半年、週1回なんですけど、
半年間一緒にいるだけで、友だちになれるっていうのも、
すごくいいですよね。
昌司
新幹線で、東京とかから通ってこられてますからね。
洋子
学校や工房で変化していく生徒たちを見ていると、
糸を触るのがいい、ということを実感します。
人間にとって、健康なことみたいですよ。
蚕さんの糸を触ることも、
木綿の糸を触ることも。

糸って──、絡まるでしょう?
でも、それは1本の糸が絡まるので、
ほどけた時の解放感ってないんですよ。
私は「それは自分の人生だと思ってほどきなさい」
って言っているんです。
人生と同じで最初と最後があるよって言って、一所懸命。
ガンジーがインドの独立運動の時に
糸巻車で糸を取りながらみんなで議論したというのが、
糸のすごさだと思います。
だから、議論も深まるの、糸を触ってると。
それで、けっして人殺しをしようというふうには
ならないっていうのが、
思想的に素晴らしいものだと思うんです。
昌司
普段の仕事では手作業が減っていますよね。
木を運んだりとか、畑仕事などはせずに、
基本的にはパソコンの事務仕事が多くなっていますから、
自分の体をあんまり使わなくなってきてると思うんですよ。
たぶんアルスシムラに来る人もそうだし、
今の工房の人たちもそうだったと思うんですけど、
ここに来たら、毎日毎日、織機をトントンやったり、
腰をかがめて染めたり、体をいっぱい使うんですよね。
そういうことがないと、
人間としてのバランスっていうかが
たぶん本当は悪いんだろうなと思うんです。
当然パソコンもやるんですけど、
1日の半分は機織ったり、いろいろな作業をしている。
畑仕事もするし、水も汲んでくる。

人間にとっての仕事の意味っていうのは、
ぼくはすごく大事だと思うんですけど、
それは単にお金を得るための手段だけじゃないですよ。
それだとけっこうつらいと思うんですよ、その8時間が。
むしろ、その仕事から何か喜びが得られたり、
実際に自分の成果が目に見えて表われるといいですよね。
そういう意味で染めて織る仕事って、
ほんとうに幸せだろうなと思うんです。

▲atelier shimuraの着物のなかでも代表的な「暈し(ぼかし)」の技法をつかった着物。
水色から、白になるまでのグラデーションのなかに、黄色やピンクなども少しずつ混ざっています。
茜雲、茜空といった夕焼けの空をイメージして織っていったんだそうです。

大きい組織に勤めてる人っていうのは、
自分の仕事の意味っていうのが
わかりにくいじゃないですか。
全体のなかでどういう役割をしてるんだろう? と。
手仕事の場合だったら、はっきりものが応えてくれるし、
そういう仕事っていうのが
もっと増えていけばいいんじゃないかなと思うんです。
もの作り的な仕事っていうのが。
洋子
そうそう、きょう帯の合評会があったんです。
帯1本織ったのね、みんなが。
で、1人ずつ発表があるわけですよ、
ここはどうで、この部分はどうで、って、
そうすると、だんだんだんだん泣けてきちゃうの。
胸いっぱいになってきて、自分でしゃべりながら。
自分が生まれたところからしゃべる人もあるし、
ここは海だとか、山だとか言う人もあるし、
いろいろですけど、
長く手作業をしてのことですから、
どこかから胸がいっぱいになってくるみたいで。
昌司
心の旅路なんですよね、帯を織るのって。
ほぼ日
きっと、いきなりただ織っても
そうはならないんでしょうね。
学校でいろんなことを得たからだと思います。
しかもそんなふうに泣けるというのは、
自分をさらけ出せるというか、
自分でも見たことのない自分を
さらけ出せる場所だっていうことですよね。
昌司
経糸(たていと)が運命、緯糸(よこいと)が生き方、
今の自分っていうふうに、
これは志村ふくみの言葉ですけれど、
それを思うと。
‥‥張られた経糸は、
一度張っちゃったら張り直しができないんです。
ほぼ日
運命は変えられない。
昌司
そこに織り込んでいく緯糸は、
心の旅路になってきますよね。
ぼくでも覚えています、
このへんでこの色を入れた時の気持ちとか。
皆さん、背負っているものが違うじゃないですか。
仕事を辞めて来ている方は、
ここに懸けて来られてるんで、
やっぱりもうそれは万感の思いなんでしょう。

(昌司さんと洋子さんのお話は、これで終わりです。 次回は、染めを担当する次男の宏さんのお話です。)

2016-10-21-FRI

Photo: Hiroyuki Oe, Chihaya Kaminokawa