21世紀の「仕事!」論。

1972年、スタッズ・ターケルという人が
仕事!』という分厚い本を書いた。

植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン。
あらゆる「ふつうの」仕事についている、
無名の133人にインタビューした
職業と人」の壮大な口述記録なんですけど
ようするにその「21世紀バージョン」のようなことを
やりたいなと思います。
ターケルさんの遺した偉業には遠く及ばないでしょうが、
ターケルさんの時代とおなじくらい、
仕事の話」って、今もおもしろい気がして。

不定期連載、ほぼ日奥野が担当します。

仕事とは?

スタッズ・ターケル『仕事!』とは
1972年に刊行された、スタッズ・ターケルによる
2段組、700ページにも及ぶ大著(邦訳版)。
植木職人、受付嬢、床屋、弁護士、セールスマン、
郵便配達員、溶接工、モデル、洗面所係‥‥。
登場する職種は115種類、
登場する人物は、133人。
この本は、たんなる「職業カタログ」ではない。
無名ではあるが
具体的な「実在の人物」にスポットを当てているため、
どんなに「ありふれた」職業にも
やりがいがあり、誇りがあり、不満があって
そして何より「仕事」とは
「ドラマ」に満ちたものだということがわかる。

ウェイトレスをやるのって芸術よ。
バレリーナのようにも感じるわ。
たくさんのテーブルや椅子のあいだを
通るんだもの‥‥。
私がいつもやせたままでいるのはそんなせいね。
私流に椅子のあいだを通り抜ける。
誰もできやしないわ。
そよ風のように通り抜けるのよ。
もしフォークを落とすとするでしょ。
それをとるのにも格好があるのよ。
いかにきれいに私がそれをひろうかを
客は見てるわ。
私は舞台の上にいるのよ」

―ドロレス・デイント/ウェイトレス

(『仕事!』p375より)

『仕事!』

27 行司 34代 木村庄之助 伊藤勝治さん

プロフィール
伊藤勝治さん

伊藤勝治(いとう・かつはる)
1943年(昭和18年)生まれ、東京都江戸川区出身。
伊勢ノ海部屋所属。
1956年(昭和31年)に式守勝治として入門。
1996年(平成8年)五月場所から11代式守与太夫、
2006年(平成18年)五月場所から
翌年三月場所まで36代式守伊之助を襲名。
2007年(平成19年)五月場所から翌年三月場所まで
34代木村庄之助を務める。
2008年(平成20年)三月場所で日本相撲協会を引退。
現在は相撲を一般に広めるための講演活動に
取り組んでいる。
著書に、相撲見物の入門書『相撲見物』(青幻舎)。

第1回 13歳で「遅い入門」。

──
大相撲の行司の最高位である
「木村庄之助」の第34代をつとめられた
伊藤さんは、
行司歴「50年以上」だそうですね。
伊藤
いまは中学校の卒業が条件なんですけど、
わたしのころはそんなのなくて、
13歳、中学1年のときに入門しました。
──
はやい。
伊藤
いや、遅い。入門の時点で、
小学4年生、5年生が先輩だったから。
──
え、そんな、まだ小学生のうちから
行司の道を志す子どもたちが。
伊藤
ですから、本場所中は行司を勤めて、
場所がないときに、
学校へ行ったもんですよ、当時は。

それは、われわれ行司だけじゃなく、
お相撲さんも、おんなじでした。
──
と、おっしゃいますと?
伊藤
北の湖関だとか藤ノ川関とか、
近年では寺尾関、逆鉾関の兄弟に大錦関、
みーんなおんなじ、両国中学校。
──
うわ、すごい面々です。
伊藤
みなさん、
中学へ通いながら相撲とってました。
髪を結う「床山」も、何人かいたな。

だからわたしも、
学校へ通いながら場所で行司をやって、
それで将来どうしたいとか、
何としても行司になりたいとかってね、
それほどの思いもなくね。
──
でも、行司に入門したってことは、
お相撲が好きだったってことですよね。
伊藤
それはそうなんだけど、
ほら、12歳、13歳の子どもが、
何が何でも、
大相撲の行司が人生の目標だなんてね、
なかなか思わないです。

集団就職列車って聞いたことあるかも
しれませんけれども、
わたしらの年代は、中学出たら、
高校行かないで就職する人が多くてね。
──
ええ。
伊藤
だから自分も、これでいいのかなって。
はじめは、ま、その程度だったんです。

でね、小学校の先輩に栃錦関がいて。
──
あの、若乃花さんとの「栃若時代」の。

不勉強で、
その言葉くらいしか知らないのですが、
そうですか、小学校で栃錦関、
中学校では北の湖関とか藤ノ川関じゃ、
お相撲さんに、あこがれますね。
伊藤
うん、北の湖関なんか強かったから、
中学校3年生で、もう幕下だったから。
──
そこで自分がお相撲さんになろうとは、
思わなかったんですか。
伊藤
からだが、ちいさかったんですよ。
──
それで、13歳で行司に入門されたと。

でも、学校に行きながら行司していたと
おっしゃってましたが、
わりとすぐ、
そんな、まだ駆け出しのうちから、
土俵に上げられちゃうものなんですか。
伊藤
小学校を卒業したのが昭和31年の3月、
入門したのが昭和31年4月、
で、その年の5月場所が初土俵でした。

はじめての取り組みは、
薩摩富士関とね‥‥誰だったっけかなあ。
外は、まだ真っ暗でね。
──
真っ暗?
伊藤
なんせ取組がはじまるの、
朝の5時半だったですからね、当時は。
──
え、そんなに早いんですか!?
伊藤
真っ暗な中、電球が2つか3つだけで、
その灯りの下で相撲とってました。
──
お客さんはいるんですか、そんな朝に。
伊藤
いる。3人ぐらい。本物の通が。
──
朝の5時半に本物の相撲通が3人‥‥
すごい世界(笑)。
伊藤
まだ寒いから、お客さんも外套を着て、
手あぶりって言って、
こんなちっちゃな火鉢に手を当ててね。

本物の通が、じっと煙草吸いながらね。
──
はじめてのさばきは、緊張しましたか。
伊藤
ええ、もう緊張、緊張してんですけど、
ただ、出てくる力士も、
髪も結ってない新弟子ばっかりなんで。

だからまだ、気が楽でしたけどね。
──
ああ、なるほど。若い‥‥と言いますか、
言ってみれば「子ども」ばっかり。
伊藤
そうそう、誰もが駆け出しなんですよ。

相撲ったって、
あっち行ってみたりこっち行ってみたり、
妙なところで四股踏んでみたり、
親方に「おーい、そっちじゃない」とか、
もう、大騒ぎなんです。
──
朝の5時半から。
伊藤
呼出だって新弟子だから、
「ひがーしぃ~、ナントカ山ァ~」って
四股名まちがえて、後ろを振り返って
控えの行司に
「ダンゴ山!」とか教えてもらったりね。

そんな騒ぎが、半年くらい続きましたね。
──
力士も若い、呼出も若い、行司も若い。
伊藤
若くないのは勝負検査役の親方だけで、
そんなこんなだから、親方、
朝から疲れ切っちゃって、気の毒でね。

いまはいろいろ変わって、
取組がはじまるのも8時半くらいです。
──
でも、そうやって実戦で覚えていって。
伊藤
行司が勝負をさばく練習ってないから。
──
ない?
伊藤
だってね、相撲の稽古場へ行ったって、
何にも勉強にならないんですよ。

なぜなら、相撲の稽古っていうのはね、
ドーンとぶつかって、
ダーッと押してって、
どっちかが有利な体勢まで持ってったら、
そこで力抜くでしょ、両力士とも。
──
ああ、なるほど。
伊藤
ぜったいに土俵際でうっちゃったりとか、
練習ではしないんですよ。
そんなところで怪我でもしたら困るから。

つまり、稽古場に行司がいたところでね、
勝負の勘は養われないんですよ。
──
勘が養われるのは、本物の土俵の上。
伊藤
そう、自分の目で、足で、身体でもって、
土俵の上の経験を積んでいかないと。

で、何回も差し違えたりね、
本物の土俵の上で失敗を重ねるうちに、
「残った、残った」って言いながら、
無意識で、
軍配をあげられるようになるんですよ。
──
無意識。
伊藤
そう、ようするに、軍配ってのは、
「ナントカ山が負けてダンゴ山が勝った」
って頭で考えてちゃ、遅いんです。

軍配っていうのは、
「残った、残った、勝負あった!」
って言ったときには、
もう、スーッと上がってるもんなんです。
写真提供 伊藤勝治
<続きます>
2018-01-30-TUE

お相撲を見に行きたいなーと思ってるけど、
なんだかいろいろ、むつかしそう?
いえいえ、伊藤勝治さんがお書きになった
相撲入門『相撲見物』を読んでみると、
ぜーんぜんそんなことないってわかりました。
なにせ「チケットの取り方」から載ってます。
さらに、はじめは「土俵がなかった」という
大相撲1000余年の歴史から、
千秋楽・弓取り式・懸賞など用語解説、
国技館のなかに「雷電」という名前のお店が
3つもあるというこぼれ話、
はたまた「ちゃんこレシピ」まで載ってます。
やさしくていねい、おもしろいです。
本書によれば、相撲の決まり手の数として
「48手」ってよく聞きますけど、
時代とともに増え、
現在は「82手」の決まり手があるそうです。
英語併記なので外国の方へのプレゼントにも。
たくさん載ってる相撲錦絵も、見ものです。

伊藤勝治『相撲見物』
Amazonでのおもとめはこちら
  • はじめから読む
  • もくじ
  • 第1回 13歳で「遅い入門」。
  • 第2回 軍配は無意識に上がる。
  • 第3回 軍配だけ上げてるわけじゃない。。
  • 第4回 朝青龍と白鳳の大一番。

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