もくじ
第1回糸井さんと田中さんの笑撃の出会い 2017-03-28-Tue
第2回27歳だと思ったら、47歳のオッサンだった 2017-03-28-Tue
第3回主張するよりも、お話がしたい。 2017-03-28-Tue
第4回広告の仕事を辞めた理由。 2017-03-28-Tue

ライター、編集、コピーライターとして人の言葉を代弁してきた30代。そろそろ自分の言葉を持ちたいと思い始めました。

糸井さんがハマってる、元電通の田中さん。

糸井さんがハマってる、元電通の田中さん。

担当・のりこ

第2回 27歳だと思ったら、47歳のオッサンだった

糸井
田中泰延っていう人が電通関西のあのチームで
どういう存在なのかわからないんですよ。
田中
なんでしょうね。とりあえず、呼び方は「ヒロ君」なんですよ。
糸井
それ、27歳くらいの呼ばれ方ですよね。
田中
入ってからずっとヒロ君なんですよね。
重役がバーッと並ぶプレゼンでも
「では、企画案についてはヒロ君のほうから」。
一同
(笑)
田中
向こうはザワザワって「ヒロ君って誰だ?」
社長が秘書に「ヒロ君って誰だ?」って(笑)。
一同
(笑)
田中
「すいません、ヒロ君と紹介されましたが、田中でございます」
ってプレゼンをするという。
糸井
自分もそうだったからそこは平気なんですけど、
世の中からすると変ですよね。
田中
そうですよね。
糸井
「ヒロ君からのプレゼン」ってね(笑)。
田中
芸名じゃないだから(笑)。
でもそんな感じで、居心地よすぎて24年いました。

糸井
相当長いですよね。
僕が田中さんを「なんか書く人」って認識したのは2年前で
東京コピーライターズクラブっていう
業界団体のコラムページをたまたま見つけたんですよ。
読み始めたらおもしろくて「誰これ?」って。
それまで田中泰延名義で何かを書くことはなかったんですか?
田中
一切なかったんです。
糸井
(笑)
田中
僕たちコピーライターの仕事は、キャッチコピーが20文字程度、
ボディコピー200文字とかですよね。
人生でそれ以上長いものを書いたことがなくて。
 
今まで一番長かったのが大学の卒論で、原稿用紙200枚くらい。
でもこれは芥川龍之介の『羅生門』について
いろんな人の本を切ったり貼ったりしたものですから、
書いたうちに入らないですね。
糸井
あぁ。
田中
たとえば「きりぎりすが泣いている」
という1行があるんですけど
「じゃあ1100年代の京都にはどんなきりぎりすがいるか」
とか、まったく無関係なことをたくさん書いたんですね。
糸井
あぁ‥‥。
田中
教授に見せたら「私は評価できません」と。
「荒俣宏先生に送るから、おもしろがってもらいなさい」と。
「とりあえず卒業させてあげるけど、私は知りません」
って言われたんですよ。その時から変だったんでしょうね。
「無関係なことを言いまくる」というのは今と近いかも。
糸井
その卒論しか書いてないんですか?
田中
それしか書いてない。
糸井
ラブのレターとかは?
田中
まったく苦手で。
次に何か書いたのは、2010年に出会ったツイッターですからね。
あれは140文字しか書けないので、
広告コピー書いている身としてはラクなので始めたんです。
糸井
ちょうどいいんですよね。
広告の仕事をしている時は、本当に広告人だったんですか?
田中
もう真面目な、ものすごく真面目な広告人。
糸井
コピーライターとCMのプランナーもやられていたんですよね。
その配分はどんな感じですか?
田中
関西は、いわゆる平面のポスター、新聞、雑誌は
すごく少ないんですよね、仕事自体が。

糸井
あぁ。
田中
出版社も新聞社も全部東京なので、
いわゆる文字を書くコピーの仕事はほとんどなくて。
実質20年、テレビCMの企画ばっかり。
もちろんテレビCMの最後には、何かのコピーが載りますけど。
糸井
「来てね」とかね(笑)。
田中
あります、あります、「当たります」とか(笑)。
だから、ツイッターで文字を打って
世間にばらまかれるっていうことを体感して、
俺は飢えていたんだってことがわかりました。
糸井
友達同士のメールのやりとりとかもしてないんですか?
田中
あんまりしてなかったですね。
糸井
すごい溜まり方ですね、その、性欲のような(笑)。
田中
もうすごいんですね。溜まりに溜まった何かが(笑)。
糸井
っていうことは、筆下ろしは
東京コピーライターズクラブの800字ですか。
中身がほとんどない、800字のうち600字くらいは
どうでもいいことが書いてあるあの文章。
田中
はい。今でも全然変わらないですね、それ。
糸井
ねぇ。でも、おもしろかったんですよ。
田中
ありがとうございます。

糸井
僕、27、8の若い人だと思ったんです。
「こういう子が出てくるんだろうなぁ、もっと書かないかなぁ」
って思ってた。
いつだろう、27、8じゃないってわかったのは(笑)。
田中
46、7のおっさんだったっていう(笑)。
糸井
20歳の開きがある(笑)。
田中
ヒロ君のまま保存されているからですね。
一同
(笑)
糸井
まだ触ると敏感みたいなね(笑)。
田中
そうなんですよ。
あの組織に入った23歳のヒロ君のままで来ちゃってる。
それが好き勝手に書くことを覚えたのが45、6歳なんですよね。
糸井
ヒエェーッ(笑)。
で、次にネットで映画評を書くようになったんですか?
田中
はい。
同じく電通出身の西島という男に頼まれまして。
元はまったく付き合いはなかったんですけど、
2年前に突然大阪にきて「明日会いましょう」と。
 
ヒルトンホテルで1人前6,000円くらいの和食が用意してあって。
食べたら「食べましたね。食べましたね、今」
「食べましたよ」
「つきましてはお願いがあります」と。
一同
(笑)
田中
何かと思ったら「うちで連載してください」と。
糸井さんと同じで、東京コピーライターズクラブのコラムと
ツイッターで時々書いてた
「昨日見た映画、ここがおもしろかった」っていう
2、3行のツイートを見ていたらしいんです。
糸井
はい。
田中
「分量はどれくらいですか?」って聞いたら
「ツイッターで2、3行で映画評をしているので
2、3行でいいです」。
糸井
(笑)
田中
「いいの? 2、3行で?
映画観て2、3行書けば仕事になるの?」
「そうです」って言うから、
映画を観て次の週に、とりあえず7,000字書いて送りました。
一同
(笑)
糸井
溜まった性欲が。
田中
そう。
書いてみるとやっぱりね。
2、3行のはずが7,000字になっていたんですよね。
糸井
書き始めたらなっちゃったんですか?
田中
なっちゃったんです。
2、3行のつもりだったんですが、
書き始めたら無駄話が止まらないっていう経験を
初めてしたんですよね。
深夜、キーボードに向かって
「俺は何をやっているんだ、眠いのに」って。
糸井
うれしかったですか?
田中
なんでしょう。
「これを明日ネットで流せば、絶対笑うやつがいるだろう」
って想像すると、とりつかれたようになったんですよね。
糸井
あぁ。大道芸人の喜びみたいな感じですね。
田中
はい。

糸井
いいですねぇ。
これがもし雑誌だったら急に7,000字ってないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、
場はインターネットだったし、その幸運はすごいですね。
田中
雑誌に寄稿というのもあったんですけど、
雑誌は「おもしろかった」とか「読んだよ」とか
反響がないのでピンと来ないんですよね。
糸井
それはインターネットネイティブの人の発想ですね。
25歳とか。
実年齢は若くないのに(笑)。
一同
(笑)
田中
そうですね(笑)。
でも糸井さんはそれを、このほぼ日で
18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
糸井
(笑)
田中
休まずに。
糸井
うーん‥‥でもそれは、たとえば松本人志さんが
ずっとお笑いやっているのと同じだから
「大変ですね」って言われても
「いや、みんな大変なんじゃない?」って(笑)。
 
野球選手は野球やってるし、
おにぎり屋さんはおにぎり握ってるし。
休まないって決めたことだけがコツですよね。
あとはもう、仕事だから。
でも田中さんこそ、今そういう状態でしょう?
田中
それがね、食えないんですよ。
コンテンツや文章にお金を出して読もうっていう人は
どんどん減っているから、
何を書いても生活の足しにはならないです。
前は大きい会社の社員で、仕事が終わった夜中に
書いていたからまだよかったですけど。
辞めた今、どうするんだ?っていう段階に入っています。
糸井
イェーイ(笑)。
今、独立したての27歳の人と話しているみたい。
「誰かに相談したの、それは?」
「奥さんはなんて言ってるの?」って(笑)。
田中
若者の悩み相談(笑)。
糸井
愉快だわ(笑)。
田中
ただ、僕の中では相変わらずお金ではなく
「おもしろい」「全部読んだよ」とかっていう声が
報酬になっていますね。
家族はたまったもんじゃないでしょうけどね(笑)。

<あと2回、続きます。>

第3回 主張するよりも、お話がしたい。