- 糸井
-
田中泰延っていう人が電通関西のあのチームで
どういう存在なのかわからないんですよ。
- 田中
- なんでしょうね。とりあえず、呼び方は「ヒロ君」なんですよ。
- 糸井
- それ、27歳くらいの呼ばれ方ですよね。
- 田中
-
入ってからずっとヒロ君なんですよね。
重役がバーッと並ぶプレゼンでも
「では、企画案についてはヒロ君のほうから」。
- 一同
- (笑)
- 田中
-
向こうはザワザワって「ヒロ君って誰だ?」
社長が秘書に「ヒロ君って誰だ?」って(笑)。
- 一同
- (笑)
- 田中
-
「すいません、ヒロ君と紹介されましたが、田中でございます」
ってプレゼンをするという。
- 糸井
-
自分もそうだったからそこは平気なんですけど、
世の中からすると変ですよね。
- 田中
- そうですよね。
- 糸井
- 「ヒロ君からのプレゼン」ってね(笑)。
- 田中
-
芸名じゃないだから(笑)。
でもそんな感じで、居心地よすぎて24年いました。
- 糸井
-
相当長いですよね。
僕が田中さんを「なんか書く人」って認識したのは2年前で
東京コピーライターズクラブっていう
業界団体のコラムページをたまたま見つけたんですよ。
読み始めたらおもしろくて「誰これ?」って。
それまで田中泰延名義で何かを書くことはなかったんですか?
- 田中
- 一切なかったんです。
- 糸井
- (笑)
- 田中
-
僕たちコピーライターの仕事は、キャッチコピーが20文字程度、
ボディコピー200文字とかですよね。
人生でそれ以上長いものを書いたことがなくて。
今まで一番長かったのが大学の卒論で、原稿用紙200枚くらい。
でもこれは芥川龍之介の『羅生門』について
いろんな人の本を切ったり貼ったりしたものですから、
書いたうちに入らないですね。
- 糸井
- あぁ。
- 田中
-
たとえば「きりぎりすが泣いている」
という1行があるんですけど
「じゃあ1100年代の京都にはどんなきりぎりすがいるか」
とか、まったく無関係なことをたくさん書いたんですね。
- 糸井
- あぁ‥‥。
- 田中
-
教授に見せたら「私は評価できません」と。
「荒俣宏先生に送るから、おもしろがってもらいなさい」と。
「とりあえず卒業させてあげるけど、私は知りません」
って言われたんですよ。その時から変だったんでしょうね。
「無関係なことを言いまくる」というのは今と近いかも。
- 糸井
- その卒論しか書いてないんですか?
- 田中
- それしか書いてない。
- 糸井
- ラブのレターとかは?
- 田中
-
まったく苦手で。
次に何か書いたのは、2010年に出会ったツイッターですからね。
あれは140文字しか書けないので、
広告コピー書いている身としてはラクなので始めたんです。
- 糸井
-
ちょうどいいんですよね。
広告の仕事をしている時は、本当に広告人だったんですか?
- 田中
- もう真面目な、ものすごく真面目な広告人。
- 糸井
-
コピーライターとCMのプランナーもやられていたんですよね。
その配分はどんな感じですか?
- 田中
-
関西は、いわゆる平面のポスター、新聞、雑誌は
すごく少ないんですよね、仕事自体が。
- 糸井
- あぁ。
- 田中
-
出版社も新聞社も全部東京なので、
いわゆる文字を書くコピーの仕事はほとんどなくて。
実質20年、テレビCMの企画ばっかり。
もちろんテレビCMの最後には、何かのコピーが載りますけど。
- 糸井
- 「来てね」とかね(笑)。
- 田中
-
あります、あります、「当たります」とか(笑)。
だから、ツイッターで文字を打って
世間にばらまかれるっていうことを体感して、
俺は飢えていたんだってことがわかりました。
- 糸井
- 友達同士のメールのやりとりとかもしてないんですか?
- 田中
- あんまりしてなかったですね。
- 糸井
- すごい溜まり方ですね、その、性欲のような(笑)。
- 田中
- もうすごいんですね。溜まりに溜まった何かが(笑)。
- 糸井
-
っていうことは、筆下ろしは
東京コピーライターズクラブの800字ですか。
中身がほとんどない、800字のうち600字くらいは
どうでもいいことが書いてあるあの文章。
- 田中
- はい。今でも全然変わらないですね、それ。
- 糸井
- ねぇ。でも、おもしろかったんですよ。
- 田中
- ありがとうございます。
- 糸井
-
僕、27、8の若い人だと思ったんです。
「こういう子が出てくるんだろうなぁ、もっと書かないかなぁ」
って思ってた。
いつだろう、27、8じゃないってわかったのは(笑)。
- 田中
- 46、7のおっさんだったっていう(笑)。
- 糸井
- 20歳の開きがある(笑)。
- 田中
- ヒロ君のまま保存されているからですね。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- まだ触ると敏感みたいなね(笑)。
- 田中
-
そうなんですよ。
あの組織に入った23歳のヒロ君のままで来ちゃってる。
それが好き勝手に書くことを覚えたのが45、6歳なんですよね。
- 糸井
-
ヒエェーッ(笑)。
で、次にネットで映画評を書くようになったんですか?
- 田中
-
はい。
同じく電通出身の西島という男に頼まれまして。
元はまったく付き合いはなかったんですけど、
2年前に突然大阪にきて「明日会いましょう」と。
ヒルトンホテルで1人前6,000円くらいの和食が用意してあって。
食べたら「食べましたね。食べましたね、今」
「食べましたよ」
「つきましてはお願いがあります」と。
- 一同
- (笑)
- 田中
-
何かと思ったら「うちで連載してください」と。
糸井さんと同じで、東京コピーライターズクラブのコラムと
ツイッターで時々書いてた
「昨日見た映画、ここがおもしろかった」っていう
2、3行のツイートを見ていたらしいんです。
- 糸井
- はい。
- 田中
-
「分量はどれくらいですか?」って聞いたら
「ツイッターで2、3行で映画評をしているので
2、3行でいいです」。
- 糸井
- (笑)
- 田中
-
「いいの? 2、3行で?
映画観て2、3行書けば仕事になるの?」
「そうです」って言うから、
映画を観て次の週に、とりあえず7,000字書いて送りました。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- 溜まった性欲が。
- 田中
-
そう。
書いてみるとやっぱりね。
2、3行のはずが7,000字になっていたんですよね。
- 糸井
- 書き始めたらなっちゃったんですか?
- 田中
-
なっちゃったんです。
2、3行のつもりだったんですが、
書き始めたら無駄話が止まらないっていう経験を
初めてしたんですよね。
深夜、キーボードに向かって
「俺は何をやっているんだ、眠いのに」って。
- 糸井
- うれしかったですか?
- 田中
-
なんでしょう。
「これを明日ネットで流せば、絶対笑うやつがいるだろう」
って想像すると、とりつかれたようになったんですよね。
- 糸井
- あぁ。大道芸人の喜びみたいな感じですね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
いいですねぇ。
これがもし雑誌だったら急に7,000字ってないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、
場はインターネットだったし、その幸運はすごいですね。
- 田中
-
雑誌に寄稿というのもあったんですけど、
雑誌は「おもしろかった」とか「読んだよ」とか
反響がないのでピンと来ないんですよね。
- 糸井
-
それはインターネットネイティブの人の発想ですね。
25歳とか。
実年齢は若くないのに(笑)。
- 一同
- (笑)
- 田中
-
そうですね(笑)。
でも糸井さんはそれを、このほぼ日で
18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
- 糸井
- (笑)
- 田中
- 休まずに。
- 糸井
-
うーん‥‥でもそれは、たとえば松本人志さんが
ずっとお笑いやっているのと同じだから
「大変ですね」って言われても
「いや、みんな大変なんじゃない?」って(笑)。
野球選手は野球やってるし、
おにぎり屋さんはおにぎり握ってるし。
休まないって決めたことだけがコツですよね。
あとはもう、仕事だから。
でも田中さんこそ、今そういう状態でしょう?
- 田中
-
それがね、食えないんですよ。
コンテンツや文章にお金を出して読もうっていう人は
どんどん減っているから、
何を書いても生活の足しにはならないです。
前は大きい会社の社員で、仕事が終わった夜中に
書いていたからまだよかったですけど。
辞めた今、どうするんだ?っていう段階に入っています。
- 糸井
-
イェーイ(笑)。
今、独立したての27歳の人と話しているみたい。
「誰かに相談したの、それは?」
「奥さんはなんて言ってるの?」って(笑)。
- 田中
- 若者の悩み相談(笑)。
- 糸井
- 愉快だわ(笑)。
- 田中
-
ただ、僕の中では相変わらずお金ではなく
「おもしろい」「全部読んだよ」とかっていう声が
報酬になっていますね。
家族はたまったもんじゃないでしょうけどね(笑)。
<あと2回、続きます。>