嘘つく商売は、人より自由。 [対談]よしながふみ × 糸井重里

02マンガの可能性と、わたしの限界。
糸井 男性の作家って、どこかで嘘を付いてるっていうか、
ファンタジーを簡単に混ぜ込んでる気がするんです。
「あいつ、俺に惚れてるに決まってる」的な。
ファンタジーだったらファンタジーで
説得力がほしいなぁって思う。
その点、女の人は体と心のことを
ほんとに上手に描(えが)くんで、
見てるとしびれるんですよ、ぼくは。
よしながさんのところでも、
結構、ぶった切るように体を出しますよね。
“最中”は描かないわりに
体はじゃんじゃん出てくる。
そして絵としては
あんまり汗をかかない感じの人たちが出てくる。
そういう自分の作家性の元みたいなものは、
影響を受けたものってあるんですか?
よしなが はい。でもマンガはたくさんありすぎて、
挙げていくと、
これもこれもみたいな感じで、
たぶん一言だと言い表せないです。
糸井 おおぜいから少しずつ?
よしなが そうですね、あとはテレビドラマです。
たとえば山田太一さんの『日本の面影』は
10歳ぐらいのときに初めて見たんですけど、
夢中になっちゃって。
ビデオもない時代でしたから、
再放送をもう1回食い入るように見て。
そしてついに家にビデオが来たときに、
何度目かの再放送を録るみたいな感じで
また、見たりとか。
そして向田邦子さんの、
お正月とか年末にやってたシリーズとかも。
現代もので家族を描くときに、
たぶんそのお二人の影響があると思います。
糸井 そうか。ああいうドラマは今ないですね。
よしなが そうですね。向田さんみたいなのは
なくなっちゃいましたね。
ああいうものがほしいときは、
結局向田さんのものをやってますものね。
糸井 そういうことですね。
ぱっと外を見たときの状況設定が
こんな(現代の光景)じゃつまんないですよね。
外を見たときも向田さんの世界(昭和)じゃないと、
沁みないですよね。
よしなが そういえば『魂萌え』っていう、
桐野夏生さん原作のドラマがあったんですが、
それは久々に向田邦子さんを思い出すものでした。
旦那さんが突然亡くなった後に
愛人がいたことが分かって、
普通の奥さんがとってもびっくりするっていう
話だったんですけど。
糸井 今、そういう設定で描(えが)くと
濃いめに、くっきり描くみたいになってますよね、
昔に比べたら。
歌謡曲なんかもそうなんだけど、
そこんところを隠してるんだか隠さないんだか、
うまいこと表してるなっていう歌謡曲が
かつては結構あったんです。
それがいま、ないんです。
よしなが そっか。親切なのかな、今の方が。
糸井 わかんないって言われるのが怖いみたい。
言わないセリフがいいとか言われても
わたしは困りますみたいな。
その、そういうセリフが言いたいんだったら、
そう言ってくださいって。
それをいちばんうまく表現できているのは
やっぱりマンガじゃないかな。
よしなが そうなんですかね。
糸井 役者さんに頼んなくていいじゃないですか、
マンガって。
そのときには、
絵で描けるか描けないかっていうようなことは
ありますか?
よしなが やっぱり限界はあります。
マンガの限界というよりも、わたしの限界ですけど。
やりたいけどやれないことがある。
けれどもマンガがいいのは、
ドラマだったらこんな役者さんをいっぱい使ったら
予算オーバーだけど、
マンガならこの人とこの人を一緒に連れてけます、
みたいな、そういうことができる。
すごいって思います。
あと、キャラクターが次のページめくると
平気で5年経って歳を取ってるっていうのが
簡単にできます。
糸井 あぁ!
よしなが 1巻読み終わると最後おじいさんになって
亡くなっている、みたいな。
ほんとにマンガは何て便利で素敵なのかしらって思って、
ついそういうのばっかり描いちゃって、
いざ実写にしようとすると
大変なことになるんです(笑)。
糸井 ていうことは、そういう場面があればあるほど
嬉しくて、そう作るんですか、やっぱり?
よしなが そう、そうです!
糸井 実際こんなことできちゃうんだーって
嬉しさをもとに、飛ぼうとする?
よしなが できるからやろうと思ってるのか、
どっちなんでしょうね。
でもその経年変化がとても好きで。
たとえば萩尾望都先生の
『ポーの一族』っていうマンガがあるんですけど、
不老不死のヴァンパイヤの話なので
彼らは少年の姿のまま、
あらゆる時代に生きてる。
あるときは現代のイギリス、
あるときは1959年のドイツって、
1冊の中で1話読み終わったら舞台が飛んで、
前になったり、後に行ったり。
手塚治虫先生の『火の鳥』も
そうだと思うんですけど、
そういうことは、
マンガだからできることだし、
わたしも楽しく享受してきました。
糸井 うん、そうだね、うん。
映画は実写なんだけども、
CGが入っちゃったおかげで、
マンガとかアニメにどんどん近づいてますよね。
あった方がいいものだったら描けばいいじゃないか、
みたいな。
よしなが はい、はい。
糸井 そうなると、実写の映画が
人間型の人に演じさせるアニメーションみたいに
どんどんなってきてるなぁっていうのは、
このごろずーっと思ってて。
けれど今度の『大奥』は、
マンガに忠実でしたね。
よしなが 役者さん自体のプロポーションとかも、
自分のマンガのことではないですが、
たとえば『NANA』っていう映画のとき、
あんなに細い人はマンガだからだって
思ってたんですけれど(笑)。
糸井 なるほど(笑)。
よしなが 今の人は本当に細い、頭が小さい。
こんなにマンガそっくりになるんだって。
たぶん日本だけじゃなくって、
ハリウッドもヴィジュアルをコミックスに、
ほんとに笑っちゃうぐらい近づけてますよね。
こんなに似せちゃって、みたいな。
糸井 フィギュアみたいな人たちがばんばん大活躍。
逆に、『スパイダーマン』が
ニューヨークの通りをぐぁー、ぐぁーって
行くのとか見てると、
だれが発明したんだか知らないけど(笑)、
これは現実のアニメ化で、
東京では誰もやれないなぁと思う。
こちらは絵を実写がマネしてく。
なーんかちょっとこう、みんな、
マンガ家に頼り過ぎてるぞ! って。
よしなが わたしとしてはマンガが別のメディアになるときは、
原作だけど、素材の1つだと思っているんです。
糸井 「どうぞ」って感じで?
よしなが はい、ほんとに。
だからその素材の味を生かすもよし、
エッセンスだけ取るもよしだと思っているんですね。
映画なら映画としておもしろいかどうかが
いちばんなので、何かそこは本当に、
脚本も含めてお好きにって思っています。
糸井 『大奥』は、そこを素材に合わせてましたね。
よしなが はい。
わたしはあんまりカメラが上下しない
コマ割が好きなんですけど、
そういうのとかって、たぶんまさに昔、
自分が観てた『東京物語』(小津安二郎)とかの
影響だと思います。
それにしても、そんな頼られているのかな。
わたしのっていう意味じゃないですけど、
「ね、いいでしょ、マンガって!」
ってちょっと思っちゃいます(笑)。

(つづきます)
2013-01-21-MON
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