矢吹申彦さん、仲畑貴志さん、浅葉克己さんに訊く 土屋耕一さん の 食・顔・文字。
 
矢吹申彦さんに訊く、土屋耕一さんの「食」  後編 「暮らし」の人。
── 一緒にごはんを食べたり、
お酒を飲んで碁を打ったりされるなかで
土屋耕一さんとは
どういう人だったと思われますか?
矢吹 ぼく、仕事については
和田誠さんが師匠だと思っていますけど
先達としては
伊丹十三さん、山口瞳さん、長新太さん、
小沢昭一さん‥‥。
── なんたる、そうそうたる。
矢吹 で、土屋耕一さん、だと思っているの。
── つまり「人生の師」という感じですか。
矢吹 たとえば、
和田さんもいろんなことをやってますけど
みんな「仕事」になってますよね。

すごいなあと思うんだけど、
映画をつくっても、何やっても、
ぜんぶ、ちゃんと仕事になっているんです。
── 映画で言えば『快盗ルビイ』など、はじめ。
矢吹 でも、土屋さんの場合は
「好きでやってること」のたたずまいが
なんか「仕事」じゃないんだな。

回文にしろ、何にしろね。
── わりと「遊び」の面積が広かったような
印象をお持ちですか。
矢吹 うん、そうだと思います。

結局は、本や何かになっているから
「仕事」なんだろうけど、
どこか肩の力の抜けた「遊び」に見える。
── それは、とっても素敵な意味で、ですよね。
矢吹 もちろん。

思うにやっぱり「文案」の人というのは
どこまでが仕事で
どこから遊びという線引きじゃあなくて
もっと「全体」なんだと思う。
── でも、矢吹さんが挙げられた師匠たち、
つまり伊丹さん、山口瞳さん、長新太さん、
小沢昭一さん、土屋さん‥‥って
みなさん
粋でおしゃれな人みたいな感じがします。
矢吹 そうだね、みんなね。
土屋さんなんかも、おしゃれだったな。
── たとえば、どんな格好をされてたんですか?
矢吹 ライトパブリシティのころは、
もう、きちんとしたスーツスタイルで
シャツもパリっとしてた。
── あ、なんというかイメージどおりです。
矢吹 で‥‥いつもね、ここを気にするんですよ。
── シャツの袖を、ですか?
矢吹 ほら、こんどの本の表紙も‥‥。
── あ、本当だ!
矢吹さんの描いた土屋さん、袖口に手を。
矢吹 あれはもう「癖」なんだと思うんだけど、
いつも、シャツの袖口を気にしてたの。
── つまり、ジャケットの袖口から
「シャツが、どれくらい出てるのがいいか」に
かなりの、こだわりが。
矢吹 そう、そう。
── 具体的には
矢吹さんのイラストくらい出ているのが
よかったんでしょうか。
矢吹 このくらいは出てたと思う、いつも。
── でも、スーツスタイルだったというのは
必ずしも、会社勤めだったからってわけじゃ、
ないです‥‥よね。
矢吹 もちろん、好きで着ていたんでしょう。
── ライトパブリシテイですものね。
矢吹 うん。
── つまりは「おしゃれ」で。
矢吹 まあ、同じ会社でも
和田誠さんなんかはジーンズ姿だったけど、
ぼくが憧れたころ、
つまり20代の半ばくらいまでの和田さんも
スーツをピシッと着てましたから。
── あ、そうなんですか。
矢吹 当時はアイビー・ファッションの全盛期で
みんな、そういう格好してた。
── 伊丹さん、矢吹さん、そして土屋さん‥‥
みなさんの若いころの写真を見ると
本当に、カッコいいなあって思います。
矢吹 そんなに変わらないよ、今の人と。
── そうなんでしょうか。
矢吹 ただ当時は、ひとつ大きな存在として
石津謙介さんの美学があった。

アメリカ東部の大学生のスタイルが
いちばん格好いいんだという
ぼくたちは、その考えを勉強したから、
洋服を着る、オシャレする理由というのが
わかってたってことは、あると思う。
── そういう時代だったんですね。
矢吹 ただ、先達はみんな歳上だったから
また違った「アメリカ」だったんだろうけど。
── ごはんを食べに行ったりするときなんかも、
とうぜん、土屋さんは‥‥。
矢吹 きちんとしてましたよ。
── ちなみに、好物とかあったんでしょうか。
矢吹 それは、聞いたことないなあ。

‥‥でも、土屋さんが亡くなる少し前に。
── はい。
矢吹 荻窪のご自宅から
こっちのほうに暮らしを移したんですね。

で、ぼくには
行きつけのお寿司屋さんが
神泉にあったから、
土屋さんをお誘いしたことがあるんです。

一緒にお寿司でも食べましょうって。
── ええ、ええ。
矢吹 ぼくはね、おいしいお店だと思っていたけど
そのとき土屋さんは、何にも言わなかった。

だから、あんまりなんだなと思ったな(笑)。
── あ、そうですか。へぇ‥‥。
矢吹 土屋さん亡くなってから、奥さんに
「あのお寿司屋さん、また行きますか?」
って言ったら
「行きましょう、行きましょう!」って。
── 奥さんは、お気に召してたんですね。
矢吹 うん。

ほら、土屋さんって、気に入ったら
必ず「いいね」って言う人だったから。
── そうなんですか。
矢吹 だけど、あのときは言わなかったの。

だから、もっといい店、
知ってるんだなあと思ったんだ(笑)。

お寿司屋さんって相性があるじゃない?
味だけじゃなくてさ。
── それは、亡くなるどのくらい前ですか?
矢吹 うーん‥‥3年ぐらい前。
── そのころは、まだお元気で。
矢吹 うん、でも、病気にはなってたのかなあ。

帰りしなに
「じゃ、かわりにこんど、
 うちがお誘いするから」って言ってたけど
結局、実現しなかった。
── では、お互いに年齢を重ねてからも
定期的に、お会いしてたんですね。
矢吹 うん、そうですね。

まあ、たまに会っても
「ふふふ」って笑うぐらいだけどね。
── 「ふふふ」って?(笑)
矢吹 そう、お互いにね(笑)。
── 矢吹さんのお話をうかがっていると
土屋耕一さんの「雰囲気」というようなものが
じんわり、伝わってくるようです。
矢吹 やっぱり「暮らし」というのかな。

生活や暮らし、もっといえば人生の全体に
「土屋耕一」という感じが
一貫して、ぴしっと通っていたよね。
── なるほど。
矢吹 そこに「食」も含まれるというかな。
── ジャケットの袖口のお話、印象的でした。
矢吹 ぼくは、あのしぐさに
土屋さんという人が、よく出ていると思う。

‥‥でも、何かのおりに奥さんに言ったら
「え、そうだった?」って(笑)。
── へえ!
矢吹 どうも、
奥さんの前では、やらなかったみたいなんだ。

それもまた、どこか土屋耕一らしいというね。
<矢吹申彦さんにうかがった
 土屋耕一さんの「食」のお話は、おしまいです。
 次回は、仲畑貴志さんにうかがう
 土屋耕一さんの「顔」のお話。おたのしみに>
 
2013-05-10-FRI
 
 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN