さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
021 ジェームス・ディーンとオードリー・ヘプバーン。
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母が68歳で亡くなる2日前、
ふたつ年上の母のいとこと再会しました。



母はホスピスに入っていました。
父が急に思い立っていとこの彼に連絡。
青春時代をともに過ごした大切な仲間だったそう。
そして次の日、会いに来てくれることになりました。



母は少しずつできることが少なくなっていて、
しばらくは身体も拭いてもらうだけだったけれど、
その日ははじめて、
ストレッチャーごと入れるお風呂に挑戦、
「気持ち良かった~」とニコニコ。
爪を切り、クリームも塗って、
お客さまを待ちました。そわそわと。



「彼はね、ジェームス・ディーンみたいだったのよ」
ふたりは高校卒業後、
高知から東京の大学にそれぞれ進学。
たまたま新宿でバッタリ会って、
伊勢丹の隅っこの店でケーキを食べて‥‥、
それ以来会っていなかったのだそう。



彼は医者になって高知で開業し、
母は結婚してずっと東京に住むことになったので
機会がなかったんですね。



母が待ちくたびれて
「もう来なくていいって電話して」なんて
言いはじめた頃、おみやげの文旦を抱えて
彼が着いたのは晩7時過ぎでした。



「思ったより元気そうじゃないか!」と言って
母の頭をなで、初対面の私に向かって
「お母さんはね、
オードリー・ヘプバーンみたいだったんだよ」
と言うから笑ってしまいました。



どのくらい話していたでしょう、
若い頃の話、死生学について‥‥、
彼は話している間ずっと母の手を握っていました。



母がウトウトしてきたのに気づくと
静かにこう言います。
「もう、がんばれって言えないんだね」
でもちょっと間を置いてニコッとすると
「じゃあ、ぼくが少しもらっていこうかな」って。
「ぼくは100まで生きるつもりだよ」
母はそれを聞いてうれしそうに
「すてきね。がんばって」と
目をキラキラさせて何度も何度も
うなずいていました。



こんな「さよなら」もあるんだ。



彼は医者としてあちこちから応援を頼まれるそうで、
翌日は始発の飛行機に乗って帰りました。
来てくれてありがとう。
母にも私にも素敵な思い出になりました。



(S)
2020-12-02-WED
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売