さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
022 答えには、たどりつけない。
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先日、高校時代の同級生の訃報が届きました。
不慮の事故で亡くなったということでした。
突然のことで、動揺してしまいました。



彼は高校時代、とても優秀な上に、
周りから非常に慕われていました。
進学後も人づてに優秀な成績を納め続けていると
噂を聞いていました。
そんな話を耳にするたびに、
「今後同窓会で会ったら、
彼のあまりの成功ぶりに
卑屈な気持ちになってしまうだろうな‥‥」
とぼんやりと思っていました。



そんな矢先に彼の訃報が届き、
お葬式も先日行われました。
私はお葬式の朝、母に借りた喪服を着て、
玄関で靴を履いたものの、
いざドアを開けて外に出る前に力が抜けてしまって、
結局出席できませんでした。



20代という若さで、成績優秀で、
周りの人から慕われていて、
不慮の事故で亡くなってしまった。
あまりに理不尽だと思います。
私がお葬式の日の朝に玄関先で感じていたのは
怒りに近い感情でした。



それ以来、死に対する解釈というか、
納得できる仕組みみたいなものを
つい求めてしまいますが、
答えにたどりつけてはいません。
いまはとにかく
「死は理解できるものではない」と
自分に言いきかせています。



(R.T.)
2020-12-03-THU
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売