さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
017 自分の命を生き抜いた父が支えてくれました。
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今年の2月、私は長女を出産しました。
数分間隔でやって来る暴れ狂うエンジンのような
陣痛との戦い。
波が来るたび体を思うように制御できず、
止まりそうになる息を止めないよう必死で息を吐く。
そして溢れ出す汗。震える足。
そんななか、ふと思い出したのは、
6年前にガンで他界した父の最期でした。



父の最期の姿は、
陣痛などとは比べものにならないほどで、
決して穏やかなものではありませんでした。
けれど最後の最後まで弱音を吐かず、
自分の命を生き抜いた父の血が
自分にも流れているのだから、
おなかの子にも流れているのだから、
弱音は絶対に吐かない。いや、吐けない。
父が自分の体と命がけで向き合ってきたように、
私は生まれて来ようとしている新しい命に
命がけで挑まなければ。
父はもうこの世にいませんが、
私の「中」にいる父が、
ずっと私を支えてくれていました。



陣痛が始まって15時間後、無事に娘は生まれました。
死にざまは、その人の生きざまの集大成。
私がどのように死を迎えることになるのか
まだわかりませんが
「お母さん(もしくはお婆ちゃん?)立派だったね」
と子どもや孫に思ってもらえるように
生き切ることが目標です。



生まれたばかりの娘とも
必ず「さよなら」はやってきますが、
私の死がいつかこの子の生きる糧になりますように。
それまでどうぞ、よろしくね!



(れこ)
2020-11-26-THU
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売