さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
015 母は1週間、ひとりでいました。
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今年の7月、母が亡くなりました。
60歳にも見えないくらい若々しい68歳で、
当日も仕事に行っていました。
亡くなる数分前には、
妹と旅行の計画でLINEをしていました。
倒れていたのはお風呂場で、
浴室のスピーカーがONになったままでした。
スマホのプレイリストはベンチャーズベスト。
あがったら食べようと思っていたのか、
冷蔵庫から出されたあんみつが
台所に置きっぱなしでした。
その日の日記も書き終えていました。



母は倒れたまま、1週間ひとりでした。



誰もが元気だと思っていました。
倒れてから毎日、誰かと約束があったけれど、
みんなが一度ずつ電話したり訪ねてきたりしたあと
「おかしいな」と思ってすぎていった1週間でした。



明日から一緒に旅行なのに電話がつながらない、と
妹に聞いてようすを見に行って、
倒れていた母を見つけました。



連絡がつかないなんてこれまでも何度もありました。
電話もLINEも繋がらなくて
夜にようすを見にいって、
眠っている母に、
携帯を放置して本を読んでいる母に、
「心配するからちゃんと返信してよね」と
笑って帰る、
いつものやりとりをする予定だったから、
部屋着にスマホと鍵だけ持って、
車で15分の距離をごきげんに
歌なんてうたいながら向かったのです。



呆然としたまま妹たちや母の兄弟に連絡して、
救急車や警察があわただしく来るようすを
眺める私に、
医師をしている下の妹が呟きました。



「お母さんはたぶん、ほとんど苦しまなかったよ。
死んだあと何日見つからなかったってのは、
お母さんは知らないことなんだし、
気にすることないっすよ」



「LINEをまた未読にして」と
笑って放っておいた日に戻ったところで、
母はもう死んだあとです。
「映画館の帰りに寄ろう」と思ってやめたあの日、
寄っていたら、最初に見つけたのは
おばあちゃん子の息子だったでしょう。
だから7日後に私が見つけてよかった、
と思うときもあれば、翌日行っていればとも思う。
結論なんて出ません。



母は、15年前に父とおそろいで作っていた
白磁の骨壺におさまって、
父の入っているお墓に並んで入りました。
毎晩かかさず手をあわせて話しかけていた
父のところに行ったのだから、
よかったね、と思うしかありません。



ところで、母はひとりだったといいましたが、
ほんとうは猫がいました。
かわいがっていた猫が、
1週間そばにいてくれました。
猫まで死ななくてよかった。



(A)
2020-11-24-TUE
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売


発行を記念して、
オンラインのトークイベントを行います。



日時:11/25(水)19:00

全国の紀伊國屋書店と紀伊國屋WEBで
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