さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
013 それが最後のデートとなった。
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紆余曲折を経て一緒になり、
転勤前にがんだとわかっていた妻。
当時は籍を入れていなかったが、
がんの治療を受けることを決意したと同時に入籍して、
ほどなくして本社工場へ転勤。



身寄りもなく近所づき合いもほとんどないところで
一人で格闘させていた。
姉さん女房で長女だったからなのか、
弱音をなかなか吐かない人だった。
夜中に痛みで飛び起きたことも多々あった。
その都度何も代わってあげられない
やるせなさを感じながら、
ただ見ているしかなかった。



1度目の手術で再発がないと思ったのも束の間、
1年後には再発、転移が発覚。



その後も痛みによる夜中の覚醒は度々あった。
「ごめんね」と言われたが、
謝られることなど何もないのに‥‥。



痛みを散らすために薬を飲ませたり、
痛みに効くツボを押したり、やれることはやった。
入院して病室内で転倒して手術もした。
それでも弱音を吐かなかった。
さびしいって言葉さえも飲み込んだまま。
病室からやれることはないと、
転院を促され、妻の実家の近くの
緩和病棟のある病院へ転院。



そこから夫婦別居生活で週末に妻の実家で会う生活。
ほぼ寝たきりになっていた妻と会うと、
いつもニッコリ笑って何時になっても迎えてくれた。



亡くなる1週間前に、
病院の外来へ行ったあとに買い物デートをした。
車椅子で買い物しながら遅いお昼を一緒に食べた。
それが最後のデートとなった。



亡くなる3日前から連絡が取れず、
どうしたかと思っていたら、緊急入院の知らせが。
車を走らせて病院へ急行し、
看護師さんからあと一両日と知らされ、
身内と妻の親友を何とか引き合わせられた。
ときは七夕間近。
病棟内にボランティアの方が回ってきてくれて、
七夕の写真を一緒に撮れた。
その夜、ふたりきりになって、
ぼくは不覚にも彼女の前で泣いた。
治してやれなくてごめん、と。



そのときもニッコリ満面の笑顔で
「ありがとう」
と言った。
翌朝、彼女は心停止した。
最後に僕の手をしっかり握って
静かに旅立って行った。



最後に僕は妻の耳元で大声で叫んだ。
「世界でいちばんのお嫁さんだった!
幸せだったよ、ありがとう!!」



最後までぼくは奥さんにはかなわなかった。
それで良かったと心からそう思える。



(A)
2020-11-19-THU
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売


発行を記念して、
オンラインのトークイベントを行います。



日時:11/25(水)19:00

全国の紀伊國屋書店と紀伊國屋WEBで
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