生まれたときから
ひいおじいちゃん&ひいおばあちゃん、
おじいちゃん&おばあちゃん、父母姉と私が
同じ敷地内で暮らしていました。
そんな暮らしがあたりまえで、月日は流れ、
年功序列で死期が訪れます。
私が小学5年生のとき、
ひいおじいちゃんが亡くなりました。
重い病気もせずに、
コタツに入って夕方の大相撲中継を見ながら
息を引き取りました。
93歳だったと記憶してます。
初めて人の死に直面、それも、大好きだった曽祖父。
それと同時に事務的に進んで行く葬儀の段取り。
大人って冷たい! と、思っていました。
当時はまだ土葬でした。
大好きなひいおじいちゃんが埋められてしまう!
という気持ちと、
棺の上にスコップで土をかけられていく情景を、
いまでもハッキリと覚えています。
そして、その数年後に曽祖母も自宅で看取り、
祖父、祖母は病院でしたが、
順番に看取ってきました。
小学生、中学生、高校生、社会人と、
4つの時代で家族の死を経験してきました。
それぞれもちろんとても悲しく辛かったのですが、
この悲しみを客観的に見るようにもなってきました。
「人の一生は、こんなふうに終わって行くのだな。
あっけないな。
うちのおじいちゃんたちは、
幸せだったと思っているかな。
こんなふうに死ねたら最高だろうな。
お葬式ってある意味、打ち上げだな」
などなど。
でも、これは、たまたまうちのおじいちゃんたちが
長寿で老衰だったからでしょう。
この4人のおじいちゃんおばあちゃんたちが、
「死ぬのは当たり前、特別なことじゃない、
死んだあとはこうなるんだ」
ということを、身をもって教えてくれたんだな、
ということを強く感じます。
必要以上に悲しむな、恐れるな、
みんなこうなるんだから、と
言ってくれているんだと思っています。
その後も何度か身近な人の死を経験してますが、
「おつかれさまでした! のちほどです!」
と、いつも心の中で叫びます。
清々しく送りたい。
わたしにもそのときが来たら、
「お先です!おつかれさまでした!」と言って
さよならをしたいと思っています。
(K)