さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
012 おつかれさまでした! のちほどです!
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私は、昭和の田舎の大家族の中に生まれました。



生まれたときから
ひいおじいちゃん&ひいおばあちゃん、
おじいちゃん&おばあちゃん、父母姉と私が
同じ敷地内で暮らしていました。
そんな暮らしがあたりまえで、月日は流れ、
年功序列で死期が訪れます。
私が小学5年生のとき、
ひいおじいちゃんが亡くなりました。
重い病気もせずに、
コタツに入って夕方の大相撲中継を見ながら
息を引き取りました。
93歳だったと記憶してます。



初めて人の死に直面、それも、大好きだった曽祖父。
それと同時に事務的に進んで行く葬儀の段取り。
大人って冷たい! と、思っていました。
当時はまだ土葬でした。
大好きなひいおじいちゃんが埋められてしまう!
という気持ちと、
棺の上にスコップで土をかけられていく情景を、
いまでもハッキリと覚えています。



そして、その数年後に曽祖母も自宅で看取り、
祖父、祖母は病院でしたが、
順番に看取ってきました。



小学生、中学生、高校生、社会人と、
4つの時代で家族の死を経験してきました。
それぞれもちろんとても悲しく辛かったのですが、
この悲しみを客観的に見るようにもなってきました。
「人の一生は、こんなふうに終わって行くのだな。
あっけないな。
うちのおじいちゃんたちは、
幸せだったと思っているかな。
こんなふうに死ねたら最高だろうな。
お葬式ってある意味、打ち上げだな」
などなど。
でも、これは、たまたまうちのおじいちゃんたちが
長寿で老衰だったからでしょう。



この4人のおじいちゃんおばあちゃんたちが、
「死ぬのは当たり前、特別なことじゃない、
死んだあとはこうなるんだ」
ということを、身をもって教えてくれたんだな、
ということを強く感じます。



必要以上に悲しむな、恐れるな、
みんなこうなるんだから、と
言ってくれているんだと思っています。
その後も何度か身近な人の死を経験してますが、
「おつかれさまでした! のちほどです!」
と、いつも心の中で叫びます。
清々しく送りたい。



わたしにもそのときが来たら、
「お先です!おつかれさまでした!」と言って
さよならをしたいと思っています。



(K)
2020-11-18-WED
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売


発行を記念して、
オンラインのトークイベントを行います。



日時:11/25(水)19:00

全国の紀伊國屋書店と紀伊國屋WEBで
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