「書く」って、なんだろう?
紙とペンがあればできる
シンプルな行為でありながら、
無数の可能性を秘めている。
「ほぼ日手帳マガジン」で
去年、多くのかたに読まれた
人気コンテンツがかえってきました。
日常的に「書く」ことと
深い関わりをお持ちのみなさん、
「書く」ってどんな行為ですか?

書くってなんだ?

飯間浩明さん(2)
SEASON2 vol.4
飯間浩明

私の手で書いた文字は、
私以外には書けません。

国語辞典編纂者の飯間浩明さんは、
辞書に載せる言葉の例を集めるために、
テレビやインターネット、街歩きなどで
つねに言葉や事象を観察しています。
ふとした時に気になる言葉と遭遇したら、
忘れないように手元の紙に鉛筆でメモ。
Twitterへの投稿や講演会では、
あえて手書きの文字を添えることで、
自分の意見であることを明確にしています。
「書く」ことが何を意味しているのか、
言葉の専門家の視点で考えていただきました。

プロフィール飯間浩明Hiroaki Iima

国語辞典編纂者。
1967(昭和42)年、香川県生れ。
早稲田大学第一文学部卒。
同大学院博士課程単位取得。
『三省堂国語辞典』編集委員。
新聞・雑誌・書籍・インターネット・
街の中など、あらゆる所から
現代語の用例を採集する日々を送る。
著書に『辞書を編む』
『ことばハンター』
『つまずきやすい日本語』
『日本語をつかまえろ!』など。

「言葉をずっと、観察している。」

Twitter@IIMA_Hiroaki

もくじ

なんちゃら、テンゴイ、中ヒール。

ーー
ほかには、どんなメモがありますか。
飯間
同じく『海よりもまだ深く』の映画には、
樹木希林さんがおばあちゃん役で出てきました。
「おばあちゃんを尊敬しています」
と言われた樹木希林さんは、
「どうせ尊敬するなら、マザーテレサとか
宇宙飛行士のなんちゃらさんとかにしなさいよ」
と返事をするんです。
ーー
「なんちゃら」ですね。
飯間
この「なんちゃら」は、
最新の辞書にも載っていません。
私たちの『三省堂国語辞典』は、
現代の新語を重視すると宣伝していますが、
「なんちゃら」が載っていなかった。
ただ今、改訂版の進行をしていまして、
第八版で「なんちゃら」は
入れることが決まっています。
ーー
へえー、おもしろいです。
自分が同じ映画を観ていたとして、
そこに気づけるのか、自信がありません。
飯間
まあ、こういった細かいことは、
一般の人はそんなに気づかないと思うんです。
いちいち気づいていたら映画が楽しめませんから。
「俳優の台詞に注目していて、
ストーリーがわかるんですか?」
とよく指摘されるのですが、それは大丈夫です。
誰でも、テレビを見ながら家族と会話していますよね。
脳内で、いわばマルチタスクをやっているわけです。
映画を楽しみながら、言葉の観察も十分できます。
ーー
飯間さんが用例採集のために
チェックしているテレビ番組は、
どんなジャンルが多いのですか。
飯間
必ず録画する番組は決まっていまして、
NHKの夜7時のニュースと、
朝の連続テレビ小説です。
ただ、『笑点』をよく見ていた時期もあるし、
『徹子の部屋』を録画していたこともあります。
録画して言葉を追いかけていますと、
本当にいろんな言葉を採集できるんです。
朝ドラは定点観測のようなものですね。
ある作品で、主人公がお世話になった人に
「ご苦労様でございました」と言っていました。
これに違和感を持つ人もいるかもしれません。
「ご苦労様と目上に言ってはならない」と、
ネットなどでよく言われているからです。
でも、歴史的にはこの言い方でいいんです。
「ご苦労様でした」より「お疲れ様でした」が
好まれだしたのは、20世紀も終わりの時期です。
朝ドラの時代考証は、この点ちゃんとしています。
「うんうん、歴史的に正しいな」と
満足しつつ、私も台詞をメモします。
私が困るのは、録画の用意がない時です。
今聞いたフレーズを口で繰り返しながら、
大急ぎで、手元にある紙にメモをするんです。
紙がなければ封筒でもなんでも。
ーー
用例採集でメモするものは、
街歩きとテレビが主ですか。
飯間
採集の主な対象になるのは、むしろ活字ですね。
話題になった本を読んで、
「これは知らないな」という言葉は、
そのページの上部に書いておきます。
読み終えたらパソコンにまとめて入力しています。
たとえば、この本に「テンゴイ」と書いてあります。
ーー
てんごい?
飯間
手ぬぐいを「テンゴイ」と呼んでいます。
この本で、噺家に弟子入りした人が、
たたき込まれた江戸弁が今も抜けずに、
大根を「デーコン」、手ぬぐいを「テンゴイ」、
潮干狩りを「ヒオシガリ」と言ってしまうと。
「デーコン」は知っていたのですが、
「テンゴイ」と言うのかなと
疑問に思って調べようとしたのです。
手ぬぐいは「テノゴイ」とも言うので、
さらに変化して「テンゴイ」になったのかなと。
この本はね、けっこうあちこちで……。
ーー
上部の空白が、メモスペースになっている。
飯間
別のページでは、
インターネットに詳しい人がこう言います。
「どこからでもログにご接続いただけますか」。
「ご接続」と言い方をしていました。
ーー
接続に「ご」を付けたんですね。
飯間
そう、「ご」を付けるのかなと。
あるいは、松本清張の推理小説を読むと、
これまた気になる言葉がたくさんあります。
たとえば、「中ヒール」。
ーー
中ヒール?
飯間
ハイヒールでも、ローヒールでもなく。
ーー
なるほど、中間の高さですね。
飯間
そう言われると、
なるほどって思うでしょう?
「中ヒール」なんて言葉は、
おそらく辞書に載らないでしょうけど、
そういう言葉が小説に出てきたということは、
覚えておきたいのです。
ーー
本にメモをする速度感は、
手書きならではですね。
飯間
最終的には例文を含めて
コンピュータに入力するのですが、
本の余白には、手書きでメモをします。
その言葉が辞書に載っているかどうかは
後で調べればいいので「これ、載ってたかな?」
みたいな言葉も含めてメモをしています。
ーー
辞書に載っていたら載っていたで、
辞書の役目が果たせたことがわかりますもんね。
飯間
ああ、それはそのとおりですね。
「載ってた、よかった」みたいな。
ーー
飯間さんはたくさんの言葉を集めていますが、
改訂の時期やスペースの都合で、
辞書には載せられなかった言葉も
たくさんありますよね。
飯間
『三省堂国語辞典』には
8万語以上の言葉が収録されていますが、
この背後には載らなかった言葉が、
さらに何万語とあるわけです。
載らない言葉を集めるのは無駄のようですが、
本当に載せたい言葉を選ぶためには、
やはり広く候補を集める必要があります。
私は、集めた言葉を全部載せたいわけではなく、
その言葉を辞書に載せることによって、
多くの人の疑問や悩みを解消できるかどうか、
ということを考えたいのです。
ここ1、2年に現れたような新語・流行語は、
ネットの辞書に任せていいと思っています。
ーー
多くの人の疑問や悩みを解消する国語辞典とは、
どういうものでしょうか。
飯間
言葉を理解したり使用したりするのに役立つ、
いろいろな情報を載せている辞書です。
たとえば、『三省堂国語辞典』の「やばい」。
ここには4つの意味が書かれています。
まず1番目に「あぶない」。
2番目に「まずい。だめ」。
3番目に、最近言われ出した意味。
「すばらしい。むちゅうになりそうであぶない」。
例として「今度の新車はやばい」とあります。
ーー
あはは、「やばい」辞書ですね(笑)。
飯間
そして、4番目の意味として、
「[程度が]大きい」と書いてあります。
「大学に入ったら教科書の量、やばいんだよ」
と言うことがありますから。
あるいは「やばいおいしいよ」という
言い方をすることもありますよね。
けっこう詳しく意味を分けて書いたつもりですが、
この辞書では、さらに付加情報を入れています。
「③は一九八〇年代から例があり、
二十一世紀になって広まった言い方。
④はそのあとに広まった」
と年代に関する注を加えています。
ーー
例があることと、広まった時期は、
また違うのですね。
飯間
ネットにある雑多な情報じゃなくて、
「私たちが調べた結果はこういうことです」
と情報を整理して、読者にお届けするのです。
誰もが日々、言葉で悩んでいます。
この言葉はいつ頃からあるのか、
失礼な言い方ではないのか、
AとBはどう違うんだろう、などなど。
それらすべての疑問や悩みは、
必ずしもネットだけでは解決できません。
ネットの情報は、正しい説もあれば、
根拠のない説もあって、まさに玉石混淆です。
ネット情報もいいけれど、
一方で、編纂者が独自に資料を集めて、
検討を加えた結果を報告する辞書が
あってもいいんじゃないかなと思いますね。
ーー
これから辞書のあり方が変わっていきそうですね。
「書くってなんだ?」というテーマは、
スマートフォンがある時代に
ぼくらはなぜ手で書くんだろう、
ということがきっかけだったので、
辞書のお話は近いものを感じました。
ありがとうございました。
飯間
お求めにお答えできていたならよかったです。
ありがとうございました。

(おわります)

第2シーズン

第1シーズン

photos:eric