おいしい店とのつきあい方。

040 破壊と創造。その18
2020年、ふれあいなき1年。

飲食店での食事というのは、
移動の途中、あるいは移動の先でおこなわれるもの。
何しろ「外食」です。
家の「外」で食事するから外食であって、
当然、外食には移動が伴います。

人の移動が容易に、そして活発になるに従って
外食の市場は広がっていきました。
最初の移動手段の王様は電車でした。
だから駅の周りに飲食店がたくさんできた。
でも電車で途中下車はできないから、
駅と駅の間には飲食店はあまりできない。
終電から始発までの時間は
営業しようと思っても移動の手段が止まっているから
できなかったりと、
すべてにおいてお店の営業は電車頼みになっていました。
その当時、日本で最大規模の飲食チェーンは
JRの前身である国鉄系の会社でした。
人が集まる場所を
優先的に手に入れることができたのですから、
当然のことでした。

外食産業が爆発的に増えはじめたのが、
自家用車を所有することが当たり前になった頃のこと。
1970年代の出来事でした。
平日の通勤は電車が中心の都市圏でも、
休日はマイカーで移動をするようになりました。
だから家族で使える、
例えばファミリーレストランのようなお店は、
駅前よりも郊外の街道沿いを選んで
出店するようになりました。
高速道路のインターチェンジから
市街地に向かう幹線道路は、
飲食店にとっての一等地。
チェーン店がこぞってお店を作っていきました。

自家用車が増えるにしたがって、
道路がどんどん整備されます。
昨日まで裏道だった通りに車が流れて、
車で溢れていた通りの交通量が減っていく。
住宅地は郊外へ郊外へと広がっていき、
昨日まで街の中心だったはずの場所が、
ある日突然、町外れになることもありました。
飲食店にとっての一等地が
何年かおきに変わってしまうようなことが
起きてしまったのです。

それを「事業拡大」のチャンスが
絶えず生まれると歓迎することもできますし、
じっくり腰を落ち着けた営業ができなくなるから
「老舗が生まれにくくなった」と憂うこともできます。
ただ移動の自由こそが外食産業というものを形作り、
飲食店の性格を決定づける重要な要素であったことは
間違いない事実です。

何しろ、レストランの格付けガイドブックで有名な
ミシュランは、自動車のタイヤを製造販売する会社です。
星の基準のひとつが
「わざわざ移動してまで行く価値があるかどうか」
ということで、つまり昔からレストランとは移動の終点、
あるいは中継地点に利用されるものなのですネ。

その移動がコロナによって制限された。
ニュースなどでしきりに「夜の街」であるとか
「三密」であるとかという
飲食店に関係する言葉が流されていたけれど、
それよりなにより飲食店にとって影響のあったのが
「不要不急の移動を控えるように」という言葉。
「家から出るな」という一言は、
飲食店の存在意義そのものを否定する呪文で、
飲食店は大いに売上を下げました。
人が移動できないから
売上が下がるのは当たり前なのだけれど、
その下がり方があまりにひどく、
多くの人がこう考えました。

人が移動できないのだったら、
料理を移動させることはできないか‥‥、と。
つまりデリバリーというサービスですネ。
そこにチャンスはないものか‥‥、
と多くの人が試行錯誤したのです。

けれどここに大きな問題が起こります。
飲食店というのは
「人と人とがふれあうことで付加価値を生む」
装置なんだという事実。
にこやかな笑顔や明るい挨拶。
どんなときにもお客様を思いやる気配り。
確実な配膳に心地よい中間サービス。
それらすべてのもてなしは
人と人とがふれあうことで起こること。
デリバリーの商品はそれらをすっかり端折った裸の商品で、
そこに果たして飲食店らしさはあるんだろうか‥‥、
と、それで多くの人が
せっかく始めたデリバリーから手を引きました。

提供時間は短いほうがよく、
お店に滞在する時間もかつてのように
心置きなくというわけにはいかなくなった。
飲食店ってこれから一体どうなるんだろう‥‥、と、
こんな愚痴めいた心配で今年を終える今日。
来年は果たしてどんな年になるのか。
そしてどんなふうにして飲食店をたのしめばいいのやら、
とまた来年のお話とさせていただき、
今年の筆をおきましょう。

2020-12-31-THU

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© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN