気仙沼のほぼ日便り

たまに東京出張をしているのですが、
今回の出張では「やっぱ銀座だべプロジェクト」の
キックオフイベントに伺いました。
このイベントは、銀座の企業や商店の連合組織と
被災地の商工会議所のみなさんが、
震災復興に向けて行われている活動の一環で、
4月から新たなプロジェクトを開始するそうです。
会場には気仙沼から、気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭、
マグロ漁業会社 臼福本店の臼井壮太朗さん、
また、青森から福島まで、
復興に向けてがんばっている地域の方々もいらっしゃっていました。

このプロジェクトの大きな柱は
技術の相互共有ということですが、
たとえば、気仙沼で被災したお寿司屋さんが
銀座のお寿司屋さんのところで修行する、とか
銀座の職人さんが、気仙沼の漁師さんや魚市場の仕事を勉強しにいく、とか、
ある意味「交換留学」のようなものなのだそうです。

お寿司屋さんを例にしましたが、
このプロジェクトは、
発起人でもある実行委員長の阿川佐和子さんが、
被災した気仙沼のお寿司屋さんのお話を
お聞きになったことがきっかけなのだとか。
「家も、店も津波で無くなった。自分たちは『流され寿司』なんです」と、
話す寿司職人さんたちを、どうにか応援したいという気持ちが、
こういったプロジェクトを生んだんですね。
「みなさんもこのお寿司をきっかけに」と、
阿川さんからご挨拶がありまして、
銀座の久兵衛さん、とも樹さん、寿司幸さん、
気仙沼からは新富寿司さん、ゆう寿司さんが握るお寿司が振る舞われました。

銀座のお寿司屋さんは、薬味や食べ合わせに一手間加えたお寿司、
(イチゴとサーモン、というのもあってびっくり)
気仙沼のお寿司屋さんは、何と言っても新鮮なネタ、
フカヒレや、モウカの星(モウカサメの心臓)のお寿司など、
気仙沼ならではの珍しいネタを提供していました。

こんなみなさんの交換留学が始まったら、
いろいろ面白いことが起こりそうな気がしますね。

そこで「自分たちも何か協力をしたい!」と思ったイベント参加者は、
名刺を回収ボックスに入れる事になっています。
これでまた、気仙沼と銀座でつながるご縁があるんじゃないでしょうか。

最後になってしまいましたが、
私たちほぼ日がこうした会に出席させていただいたのも、
虎屋の黒川光博社長や気仙沼商工会議所の臼井会頭と、
気仙沼でお会いしたご縁がもとでした。
人との出会いって不思議ですね……。
だって、まさか、こうして銀座で、
昼間からこんなにおいしいお寿司をいただく日が来るなんて、
思いませんでしたよ……。

私も名刺を箱にいれさせていただきました。
これからのプロジェクトがどんな風に進んでいくのか、楽しみです!

3月11日、12日はや、東京のほぼ日メンバーと
気仙沼市内、陸前高田市内をまわりました。
これからのプロジェクトのことを話し合ったり、
震災後のお仕事について伺ったり、
お土産ツアーのような感じにもなりましたが、
結果、いろんな方々とお会いすることができました。
テキスト中継でもお伝えしたとおりです。

私は気仙沼にきてからちょうど1年ほどなので、
みなさんとのお付き合いもそれくらいになるのですが、
不思議と、昔から知っている人のように感じます。

「再開した」「新しく始めた」と、前に進んでいる報告を聞くと、
私までとても嬉しくて、月並みですが
自分も頑張ろうと強く思うのでした。

3月11日の気仙沼の夜空には3本の光の慰霊碑が立ち上がりました。
3月11日からのヒカリ」というプロジェクトで、
こちらは、少しお手伝いしていたこともあり、
光の柱がはっきりと立ち上がったのを見たとき、正直ほっとしました。
後から聞いたら、去年は見えなかったという遠くに住む人からも
見てもらえたとのことです。
まっすぐ天にのびる光は、ほんとにきれいだなと思いました。

気づけば、冬の凍えるような寒さも
だいぶやわらいできた気がします。
寒がり、根暗、そして「気仙沼のジャックナイフ」ことですが、
あたたかくなると、自然と明るく、行動的になれます。
私も、張り切って前に進んで行きたいと思います。

ここ数日は、報道関係者が、気仙沼にもたくさんくるようになっていて、
私も、普段とは違った心持ちになっているみたいです。

2011年の3月11日は、
今の前職にあたる東京の職場で、テレビを見ていました。
私は、宮城県の松島の出身で、両親は石巻の出身です。
学生時代は仙台にいて、東北や関東の友人がたくさんいました。

良く知っている街が津波で押し流される映像が、
テレビから流れてくるのを見て、
これは、もう覚悟をしようと思いました。
大切な人は死んでしまったかもしれないけれど、今自分は生きている。
頑張って生きていかなければならないぞという気持ちでいました。
幸い家族が無事であったことは、しばらくしてから分かりましたが、
無理してそう思わなければ、時間をやり過ごせなかったのだと思います。

それからは自分も含めて、
ただ偶然生きていただけなんだなぁと思うようになりました。

2012年の3月から、私は気仙沼に住民票を移しています。
被災地と被災地でない場所では、
3月11日の過ごし方も、違うと思います。

たとえば、気仙沼の人と話していると
「3月11日が近づいてくる」というように、
「3月11日」をひとつの名詞として使っているときがあります。

その時、当然のように、3月11日=震災の日として意識して、
言葉を使っているのですが、3月11日は、誰かの誕生日や、
誰かの特別な記念日でもありますよね。

被災地では多くの方の命日なので、
街も人も、遠くから被災地に来ている方も、
きっと静かに過ごすことになると思います。
とはいえ「この日は誰もが絶対に静かに過ごさなければならない」
というものではないとも思います。
大きな自然災害が起きたときには、人ごととは思えない気持ちになりますが、
縁の遠い土地で災害の起きた日が何月何日だったか、
という意識は、私もあまり持っていません。

そういった温度差があることは普通です。
被災地の同じ街の中で、同じ震災を経験していても、
津波で家や職場を流された人とそうでない人、
大切な人を無くした人とそうでない人、
被害の程度によって、温度差はあります。

これからも被災地で生きていく人たちには、様々な想いや考えがあって、
誰かが良いと思う事には必ず反対意見もあるので、
その是非は一概には言えません。
そんな中で、どうやってみんなの街を取り戻していくのか、
という課題はほんとうに大きく、
考えただけで途方にくれることもあります。

ただ、希望を持つとしたら、
みんなが共通して同じ方向を見て進むことができれば、
大きなパワーになるんじゃないかということです。
ほぼ日でも、これまでたくさん紹介してきた、
被災地に住む力強い人たちが、一緒に頑張っていけるような、
すごくポジティブで、長く頑張っていける共通の動機があるとすれば……
それは「楽しい」という気持ちなのかもしれません。

楽しいことは続けられますし、楽しいことには人が集まってきます。
「楽しい」を共通の動機とした復興は、
きっと進めていくのも楽しいだろうと思います。

気仙沼のほぼ日は、そんな楽しいことが実現できるように、
自分たちのできることをしていきたいと思っています。

長くなってしまいましたが…
今日は、東京のほぼ日メンバーと、
気仙沼の人たちと、いつものように気仙沼にいます。
その様子はこちらで中継しています。

去る3月3日、
甘くて楽しいあんこのワークショップが無事終了いたしました。

「金のさんま」を製造・販売していらっしゃる
斉吉商店さん2階の「ばっぱの台所」を会場に、
和菓子の老舗とらやさんご指導のもと、
あん作り、あんこのお菓子作りの様子を
5時間にわたるユーストリーム中継でお届けしました。

あんこの大統領こと、そしてあんこ大統領補佐として、
なかしましほさんもご参加くださり、
お汁粉、あんこトースト、おはぎ、パイまんじゅう……
つぎつぎと美味しいあんこのお菓子が登場しましたね。

できたてのあんこの後味は、すっきりとした豆の甘さでした。
当たり前ですが、あんこは小豆で作られてるんだなと、
しみじみ感じながら、最後の一口までほんとうに美味しかったです。
ああ、もう一回食べたい!

今回は、あんこの作り方を習いに、「あんこの旅人」と称して、
遠くは和歌山からご参加のみなさまにお集まりいただきました。
ユーストリームでもほんとうに沢山の方に見ていただけたようです。

気仙沼に住む身としては
とらやさんの特別なワークショップを、
気仙沼から発信できた!ということが、
なんだか誇らしくて、嬉しかったです。

まだまだこれからも、気仙沼では楽しいことが起きるんじゃないでしょうか?
いや、たぶん起きると思います!
その準備を進めてまいりますよ!

さて、いよいよ明日は、気仙沼で
甘くて楽しいあんこのワークショップ。
が行われるんですよ!
先生は、創業420年和菓子の老舗
「とらや」さんです。
そして、あん国の大統領こと
大統領補佐(おやつの大先生)なかしましほさん
もいらっしゃいます!

この日のためにと、
東京のほぼ日のじゅんぺいから
かなりの数の段ボールで、
ワークショップに必要な備品が届きました。
中には、エプロンや、皿、スプーン……
「なかしまさん用道具」と書かれたものまで。

この、たくさんの段ボールが送られてくる時点で、
かなりわくわくしてしまいます。
これまでに行われた
ミナ ペルホネンのパッチワーク ワークショップのときも、
矢野顕子の音楽の稽古場のときも、
こうしてたくさん段ボールが届きましたから、
条件反射的に、
これは楽しいことが起きるぞ!というのを
感じてしまうわけです。
あんこ熱が、どんどん高まってきたー!

あしたのワークショップでは、
ユーストリームで中継されますので、
遠方のみなさまも、ご参加くださいませ!

2月22日の猫の日のネコスト中継
ご覧いただけましたでしょうか?
私もこの日は
石巻の田代島にいきました。

田代島といえば、
人口よりも猫のほうが多いといわれる猫の島です。
とはいえ、猫の数は、
寒さと震災の影響で、
通常よりもずっと少なかったらしいのですが、
いままでの人生の中で、
もっとも猫を目撃した一日でした。
それにしても、猫には「興味無し」
だった私ですが、
ギュウギュウに寄ってくる
猫たちに触れていたら、
かわいいなーと思うようになり、
結局だいぶ、猫が好きになった気がします。

ネコスト中継で
使い切れなかった写真がありましたので、
すこしだけこちらにUPします。

ところで、この田代島も、
津波の被害を受けておりまして、
湾岸では復旧工事が行われていました。
以前の田代島の様子は分からないのですが、
被災材はほとんど取り除かれ、
復旧が進んでいる印象をうけました。

民宿のお母さんによると、
まだ工事関係者のお客さんが多いようですが、
一般客の宿泊も可能です。
とはいえ、東北はまだまだ寒いので、
あたたかくなってからのシーズンが
猫もよりたくさん見られておすすめだそうです。

田代島での一泊二日、いろんな猫に囲まれて
私ですら楽しかったのですから、
いわんや猫好きをや、です。

こんにちは。
気仙沼のほぼ日のサユミです。
2011年11月にスタートした気仙沼のほぼ日ですが、
本日からページをリニューアルしました!

リニューアルにあたっては、
東京の「ほぼ日」のみなさんに
たくさん協力をもらいました。
ありがとうございました!
リニューアルして、
一番嬉しいのは私じゃないでしょうか。
何より、明るくてかわいくなったと思いませんか?

更新内容はこれまでと同様ですが、
「気仙沼のほぼ日便り」と
「港のスズメさん便り」、
そして「三陸新報コーナー」にて、
気仙沼のいまをお伝えしていきます。

私もまもなく、気仙沼のほぼ日勤務が
1年になろうとしていますが、
まだまだ不完全燃焼な部分があって、
「気仙沼のほぼ日は
もっといろんなことができるはずなのになぁ」と、
自分の力不足に反省の日々です。
なので、今回のリニューアルを機に、
フルスロットルで仕事しろ!自分! と
決意をあらたにしました。

気仙沼では今年もたくさんの
催しを予定していますよ!
楽しい事がいっぱいあります。
わたしもその準備として、
気仙沼の海、山、里をかけめぐっております。
このページでもご紹介していきますので、
これからもちょくちょく
のぞいていただけたら、とても嬉しいです。

というわけで、みなさま!
応援よろしくお願いします!

こんにちは、サユミです。
気仙沼のほぼ日は、
現在いろいろなイベントに向けて準備中です。
ということで今回も、
その準備の中で見かけた街のようすをご紹介します。

まず、こちらは気仙沼市内を見下ろす
安波山からの眺めです。
海と陸地が入りくんだ、
リアス式海岸の地形が見てとれます。
この安波山から見える景色は、
気仙沼市のホームページや、
パンフレットに使われるほど定番で、
気仙沼市民に愛されている山です。

この写真でいうと真ん中の上のほう、
南気仙沼のあたりは、
建物がほとんど見当たりません。
でも目を凝らすと、工事車両がたくさん見えます。
震災前はもちろん、
会社も工場も家もお店もたくさんありました。
現在、まず、土地を高くするための
かさ上げ工事が行われていますが、
再び街をつくるには難しい課題がたくさんあります。

安波山から、鹿折方面に向かいます。
鹿折はししおりと読みます。

鹿折復幸マルシェという復興商店街では、
海鮮丼や手打ちうどんのお店があったり、
八百屋さん、乾物屋さん、洋服屋さんなど、
いろんなお店があって、つい立ち寄りたくなります。
私は立ち寄りついでに、八百屋さんで
レタス小×2を150円、
サツマイモ一袋100円で買いました。
だいたいが100円以下です。
ずいぶんお得でした。

さて、場所は変わって、
こちらはコの字岸壁です。
前にご紹介した出船送りをしているのもこの場所です。
この日も船がたくさん停泊していました。
少し前、船がずらりと並んでいる岸壁を見て、
乗っていたタクシーの運転手さんが
思わず拍手をしたことがありました。
その運転手さんは、岩手のタクシー会社さんで、
震災直後に報道関係者をつれて来て以来、
久しぶりに気仙沼にきたそうで、
「こんなに船が停泊してるって嬉しいことだね」
と話していました。

ちょうどその岸壁の横には、
ガードレールの頭だけが地面から少し出ています。
これは、震災前の道路にあったガードレールで、
つまりは、その高さの分だけ、
地盤沈下しているということになります。
沈下した土地には水がたまったり、
浸水被害が出やすくなっています。

道いっぱいに広がっていた
建物の破片、壊れた車、船がなくなった今、
「もう何があったかわからないね」
という街の人の声をききました。

震災前にどんな街があったのか、
わからないという意味と、
はじめて気仙沼に来た人は、
どんな被害があったのかわからないだろう、
という意味の、どちらの意味にも取れました。

私も震災の時は東京にいて、
去年気仙沼に引っ越してきたので、
どちらの意味でも、
何があったのか、本当のところは
よくわかっていません。

上から眺めた南気仙沼付近を車で通る時、
写真ほとんど撮れませんでした。
次から次へとトラックがやってくるからです。
邪魔になりそうだったので、すぐに移動して、
大川沿いの桜並木で少し車を止めました。
桜の木は、もちろんまだ冬の姿のままで、
吹きぬける風が痛いほど冷たかったです。

花見のときは、
「桜の下で気仙沼ホルモンを食べる」と
教えてもらったものの、
私はその光景を見た事がありません。
今年は見ることができるでしょうか。

震災からもうすぐ2年になります。
当たり前のように時間が過ぎていくことを考えれば、
冬の次は当然春です。
私は今すごく春が待ち遠しいです。

先日、今年これから、
気仙沼で行われるイベントにそなえ、
下見をかねて市内をうろついてきました。
ちょっと普段はあまり行かないような場所にも
足を伸ばしてみたので、
「気仙沼のいま」ということで、
お伝えできればと思います。

気仙沼の市街地から
南下する街道沿いを
少しすすんでいくと、
旧気仙沼線松岩駅のあった場所に、
復興商店街ができているのに気づきました。
「まついわ福来マート ココサカエル」
という名前です。
「ここさ、帰る」とか
「ここ、栄える」という
意味が込められているのでしょうか。
キャラクターは「カエル」のようです。
ともあれ、
おなかもすいてきたので、
おにぎりを買おうと「キッチンハウス楓」さんに
寄りましたがあいにく売り切れ……。

でも、これまでこのあたりには、
あまりお店がなかったので、
(震災前はたくさんあったのだと思いますが)
こうしてちょっと立ち寄れる場所が
あるのは嬉しいです。
ほかにも、この商店街にはラーメン屋さんや
工務店も入っているようでした。

ここには津波で流された気仙沼線の
代替運転として、
BRTというバスが走っているので、
停留所のようなスタイルの駅もあります。

それから、ホヤぼーやもいました。
ちょっといつもと雰囲気の違うホヤぼーやだけど、
これは優しそうな表情がかわいいと思いました。

ここの周りは、
今は何もなくなっているのですが、
震災後は、一面に無数の家々や船、
木材、コンクリートがつみかさなるような、
信じられない景色がひろがっていました。

毎日少しずつ、復旧工事がおこなわれ、
いまは、ほとんどの地面が見えます。
これからここが、
どんな景色になるのかは分かりませんが、
ちょくちょく見に来ようと思いました。

さて、さらに車を南に走らせて、
階上地区のほうにやってきました。
階上は「はしかみ」と読みます。
階=はしご、をイメージすると覚えやすいです。

ここまできたら、名所のひとつである、
岩井崎に行きます。
私は、ここに来たときには、
気仙沼向洋高校の近く、
海の殉難者慰霊塔にも寄ることにしています。
字が抜け落ちている部分は、
たぶん「殉難者」だと思います。
もともと、海の事故で
亡くなったかたの慰霊塔です。
震災で亡くなった方は、
どの場所にもいらっしゃいますが、
私はここで、手を合わせています。

ここで写真を撮らせていただいてよいものか、
いつも迷ってしまうのですが、
それもまた、他の場所でも同じことです。
いちど気持ちを整理しないと、
写真を撮る事は難しいです。
また、この近くには、一度流された墓石が、
あつめられて並べてありました。

岩井崎では、
三つの観光ポイントがあります。
左から「秀ノ山雷五郎像」と、
まんなか「潮吹き岩」、
右が「龍の松」です。

真ん中の潮吹き岩は、
海水が岩にぶつかり、
ぶわーっと勢い良く
吹き出しているところが見られます。
でも……残念ながら、今日はあんまり
ぶわーっとなってませんでした。
見ているとおもしろくて、
ずーっと眺めていたりします。

そうこうしているうちに、
雪が降ってきました。
この日は風も強くめちゃくちゃ寒かったです。
夏に来た時は、
すごくさわやかで、
手で触れた海水の冷たさも、
気持ちよかったなぁと思いましたが、
今日はそそくさと退散しました。

帰り道、ふと思いましたが、
まわりの建物はなくなっているのに、
松林だけが残っています。
自然の力ってすごいな…と改めて思いました。
ただ、陸前高田の松林は、
大部分がなぎ倒されていたりと、
場所による津波の力の違いも大きいので、
一概には言えません。

本格的に雪が降ってきたところで、
あまりに寒いので、室内へ行こうと思い立ち、
リアス・アーク美術館に向かいましたが、
休館日!ガーン!!
くりかえします。リアス・アーク美術館は、
昨年9月から再開していますが、
月曜日火曜日は休館日です!

といったところで、レポートおひらき。
おにぎり売り切れ、吹き出す潮はみられず、
天候悪化、さらに美術館は休館日という
かなりリアルなレポートになってしまってすみません…。
とはいえ、このようなレポートは
また続けていきたいと思います。
そして、今回行けなかった
リアス・アーク美術館も含めて、
またぜひご紹介したいと思います。

去る1月20日(日)、
「気仙沼」「大槌」「大船渡」
「陸前高田」「南三陸」「雄勝」の
6つの復興商店街がしのぎを削って
復興ご当地グルメNO.1を決める!
「復興グルメF-1大会」が、
気仙沼の南町紫市場で開催されました。

港のスズメさん便りで
投稿をしてくださっている
「こまっちょさん」が、
大会の出展者側として参加されたので、
そのレポートをご紹介します!

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「復興グルメF-1大会」、
負けられない戦いがそこにある!

第一回の開催場所となったのは、
我々の気仙沼市・南町紫市場!
地元開催であるだけに、
我々にとっても負けられない戦いです。

10時から始まったイベントには、
沢山のお客さまがぞくぞくと来場。
各メニューは、1品300円で
おいしいと思ったメニューに、
お客さんが、割り箸で投票します。

我が町の出店メニューは
「サンマティーヤ」。
気仙沼では
非常にポピュラーなさんまの甘露煮を
ひと工夫こらしてカレー風味に仕上げ、
たっぷりの野菜がいっしょになって
うす焼きの生地にくるまれた
気仙沼風トルティーヤです。

ほかのメニューも
ご紹介していきましょう!

南三陸さんさん商店街の
「さんさんタコカレー」
こちらは、衣をつけて揚げたタコがカレーに乗っかって
ボリューム満点。
これは、まちがいのない美味しさでした。

おおふなと夢商店街の
「大船渡さんまばっとう」
紅白のはっと(※はっと汁=すいとんのような料理です)
の中にはサンマのつみれが入っています。
大寒の日に温かい汁物……助かりました。
ほっこり美味しかったです!

おがつ店こ屋商店街の
「雄勝丼」
ワカメご飯にまるっと1個入った
ホタテが眩しい〜
香ばしくって食べごたえがあって美味しかったです。

大槌福幸きらり商店街の
「めかぶシフォンケーキ」
大槌のめかぶが練りこまれた
ふわっふわの生地に
生クリームがたっぷり。
食後のデザートにぴったりです。

高田大隅つどいの丘商店街の
「なっちく」
ちくわの中に納豆を入れて揚げた
「なっちく」に、
カレーやワサビ醤油、サルサなどのソースを
選んで食べる1品です。
中には「チョコレート」や「水あめ」などの
冒険心をくすぐるソースもありました。

さて、我らが「サンマティーヤ」は
用意していた300食を昼過ぎに完売!

投票の結果、245票を獲得し……
見事、優勝!!

地元開催の期待に答えることができました!
皆様の1食1膳ありがとうございました〜!!

ちなみに、私はもちろん、
6つの商店街の復興グルメを
全制覇で美味しくいただきました。

さて、会場では、大会を盛り上げる
各商店街の自慢のゆるキャラも集合しました!
もちろん、我らがホヤぼーやの姿もあります。
キャラ同士の交流あり、
ファンサービスありで、
みんな大人気でしたよ〜。
って事で、
お腹一杯、夢いっぱいの「F-1大会」でした。
今後も継続して開催していくとのことで、
次回は、今年の春に大船渡での開催を予定しています。

(こまっちょ)


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こまっちょさん、
寒い中、大会お疲れさまでしたー!
私は、今回残念ながら行けなかったので……
次回は絶対行くぞ!といきごんでます。
地元紙・三陸新報によると、
約1500人が来場したそうです。
復興商店街のスペースに、
これだけの人が集まるなんて、
ご当地グルメはすごいパワーがあるんですね。

復興商店街はどこでも、
ある意味、街の魅力をぎゅっと凝縮して楽しめるので、
遠くから来た方には、
ぜひ立ち寄っていただきたいスポットです。

今年は気仙沼の外の、
まだ行った事のない商店街にも、
積極的に足を伸ばしたいと思ってます。