REPORT

「杉工場」でつくりました。その1
老舗からうまれた、
あたらしいプロジェクト。

weeksdaysはじめての家具である「小ひきだし」。
その製造を担当してくださったのが
福岡の、大分との県境近くにある「杉工場」です。
伊藤さんといっしょに訪ねたレポートを、
2回にわけて紹介します。

福岡県の筑後地方、うきは市。
耳納(みのう)連山のふもと、
すぐ東は大分の日田という土地に、
今回の「小ひきだし」の製作を担当してくださった
杉工場があります。

創業は、明治19年。
杉工場は「すぎこうじょう」と読みますが、
ふるくからの通り名は「すぎこうば」、
地元では方言まじりに「すっこうば」とも呼ばれている、
ことし創業132年を迎える家具メーカーです。
現在の社長は、4代目になる杉寛司(ひろし)さん。
そう、杉材を使うから杉工場、なのではなく、
杉家の家業ゆえ杉工場という名前がついているのですね。

杉工場は、創業当時、
箪笥などの家具を手がけていましたが、
やがて学校で使われる跳び箱や肋木(ろくぼく)、
平行棒や平均台など、木製の体育道具を手がけるように。
さらに机や腰掛などの学習用具、
家庭科の調理台や理科の実験台、
そしてブランコやシーソー、滑り台などの遊具まで手がけ、
昭和初期には「学校用家具工場」として
当時の文部省からの推薦を受けていたほどです。
あんがい、私たちのなかにも、
あるいはおとうさんやおかあさん、
おじいちゃんやおばあちゃんが、
それと知らず学校で
杉工場の家具や遊具を使っていた、
ということも多いのかもしれません。

時代がかわり、戦後しばらくすると、
家庭用の学習机や椅子をはじめ、
テーブルや本棚などの家具に主力がうつります。
平成に入り、生産拠点を海外にもつくりましたが、
平成20年からは「日本国内のみ」での生産に移行。
“永く使える家具”をめざして、環境や健康、安全に配慮した
家具づくりをつづけています。

現在も毎日いそがしく工場を稼働させている杉工場ですが、
工場といっても、自動的に
家具ができあがるようなものではなく、
ラインの各持ち場に熟練の職人が立ち、
人の目、人の手を信頼してのものづくりをしています。
杉工場の家具が、きちんとした規格をたもちながら、
どこかあたたかみを感じさせるものに仕上がっているのは、
そんな生産体制によるところが大きいようです。
シンプルで品質の高い杉工場の家具は、
和洋のどちらのテイストの部屋にもとけこみ、
また、人の手、肌にもよくなじみます。
デザイナーが先頭に立った強いデザインではなく、
アノニマス(匿名)なものでありながら
どこにでもあるわけではない、
杉工場らしいトーンが保たれているところが、
多くの人に(インテリアの好きな人にも)
愛されているひみつなのでしょう。

さて! 今回「weeksdays」が
「小ひきだし」を依頼したのは、
まさしくこの杉工場‥‥なのですけれど、
担当してくださったのは
「わたしたち、社内ベンチャーみたいな存在なんです」
と語る3人です。
社長夫人である杉良子(りょうこ)さん、
その娘である杉明乃(あきの)さんのふたりが
「営業企画」を担当、
着任1年とすこしという家具職人である
永井覚紀(あきのり)さんが参加して、
社内であたらしいものをつくるチームを発足したのでした。

じつは良子さん、
社長の寛司さんと結婚してからしばらくは、
まったく家業にかかわらない立場だったそう。
けれども外部のデザイナーのかたから
「良子さんも商品開発をしてみたら?」と提案をうけ、
学習机などの杉工場の十八番ともいえる家具とは
まったくちがう家具をつくりはじめたのだそうです。

「当時、東京の大学に通っていた娘のワンルームに
置けるような家具をつくりたいと思ったんです。
それで楓(かえで)材、メープルですね、
それが白くてきれいだったので、
『木と風シリーズ』をつくりました」

これがいまも販売をつづけるほどのヒットに。
やがて、大学を出てから数年間、
九州で「かなり堅い仕事」をしていた明乃さんに、
良子さんが声をかけます。
もともと休みのたびにお手伝いはしていたそうなのですが、
杉工場にギャラリーをつくり、
展覧会をはじめるというタイミングで、
「手が足りないので手伝って」
と誘ったのがきっかけだったそう。

「わたし的には、娘のやっていた仕事は、
将来的に考えたら面白くはないだろうなと思ったんです。
堅実な仕事だけれど、それでいいの?
うちのほうが面白いよ? って(笑)」

時を同じくして、良子さんは、
福岡で働いていた永井さんを「見つけ」ます。
工芸品を扱うギャラリーで、
のびのび、生き生きと働いていたのが永井さんでした。

「ひとりじゃ何もできないなあ。
そう思っていたところに、家具づくりの経験があり、
ちょっと面白い才能を持った彼があらわれたんですよ」

永井さん、じつはもともとが建築畑。
京都の大学で建築とデザインを学び、
卒業後、北海道の著名な木工家具メーカーに就職します。
そこで「試作開発」という、
あたらしいデザインをどんどんつくっていく
仕事に就き、多くの家具を手がけました。
北海道でのものづくりの暮らしは
とても楽しかったといいますが、ふと
「30歳になる前に、違う世界も見なくちゃ。
もっとインプットしなくちゃ」と思い立ちます。

学生時代にアルバイトをしていたケーキ屋さんの
全国の百貨店をまわる催事の仕事をしていたとき、
こんなことが。
「訪れた故郷の鹿児島で、
父の友人から『お前の息子、面白いらしいな。
輸入の仕事をしないか?』って誘われたんです。
海外に連れて行ってやるぞ、って。
それは面白そうだと思ったら、
すぐにその仕事が部署ごとなくなってしまった。
やっぱり家具に戻ろうと考えたタイミングで、
知り合いのギャラリーが
期間限定で福岡にできることになり、
手伝うことになったんです」

そのお店に、杉工場のイベントのフライヤーを
置きにきていたのが杉良子さんたちでした。

「良子さんたちがやっている仕事のことを知り、
びっくりしました。
福岡でこんなふうに自由な家具づくりができるなんて
思っていなかったんです。
それで、勤めていた店が閉店するタイミングで、
ぜひ参加させてくださいってお願いをしました」

日本中をぐるりとまわって、いろいろな仕事を経験し、
もういちど好きな家具づくりに
携わることになった永井さん。
偶然にも、永井さんが来た昨年の1月から、
杉工場に「特注家具」の注文が増えはじめたといいます。

(つづきます)

2019-02-04-MON