「weeksdays」でははじめての紹介となる
「quitan(キタン)」。
宮田 ヴィクトリア 紗枝さんという女性が、
ひとりで立ち上げた、ユニセックスのブランドです。
いくつかの国と日本の各地、
いろいろな場所で暮らしてきた経験と、
民族学や社会人類学、哲学への強い興味が、
彼女をみちびき、いま辿り着いた場所が「服づくり」。
でも、その先には、ひょっとして別の未来が‥‥?
ブランドの立ち上げと
運営を手伝っている中田浩史さんをまじえ、
宮田さんと伊藤まさこさんが話しました。
どうぞ、ゆっくり、お読みくださいね。

中田浩史さんのプロフィール

中田浩史 なかた・ひろし

1993年アングローバルに入社、
マーガレット・ハウエルを担当。
その経験を基にISSEY MIYAKEに移籍、
メンズ企画に携わる。
2006年にアングローバルに復帰し、
MARGARET HOWELL/MHL.事業部長や
マーケティング部長を務め、
現在はquitan・YLÈVE・SEVEN BY SEVENなどの
ブランド事業をまとめる。
2021年、アウトドアブランド
and wanderの社長に就任する。

宮田ヴィクトリア紗枝さんのプロフィール

宮田ヴィクトリア紗枝
(Sae Victoria Miyata) みやた・ゔぃくとりあ・さえ

アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ。
同志社大学を卒業後、
関西のデニムブランドの国内外セールスを経て上京。
インポートブランド等のPRや
ユニセックスブランドの企画を経験。
2020年にアングローバルに入社。
2021年春夏より、
ユニセックスブランド”quitan”を立ち上げる。

●quitanのウェブサイト
●quitanのInstagram
●はじめまして、quitanです。

01
面白いと思って
心動かされたことが「全て」

伊藤
宮田さん、このたびはありがとうございます。
weeksdaysでは
「はじめまして」になりますから、
まず「quitan」(キタン)という
ブランドの成り立ちからお聞かせいただけますか。
宮田
ブランド立ち上げのために、私を、
中田さんがアングローバルに呼んでくださったのが、
2019年の10月。
コロナ禍がはじまる直前のことでした。
伊藤
最初のきっかけをつくったのが、
中田さんだったんですね。
中田
はい。19年の夏が終わった秋のはじまりぐらい、
まだ中国でもコロナが見つかっていない頃、
知り合いを通じて宮田と出会ったんですよ。
いわゆるアパレルの「横つながり」で紹介されて。
彼女の経歴をきくと、
海外に精通している日本の屈指のデニムブランドで
営業をやっていたり、
「ナイジェル・ケーボン(Nigel Cabourn)」
プレスを経験していたり。
その、営業やプレスという肩書きから、
彼女にはデザイナーというイメージを
持っていなかったんですけど、
話すと、もうものづくりの話ばっかりするんです。
伊藤
布が、すごく、お好きなんですよね。
世界中の、いろいろな布が。
宮田
はい。
中田
「なんでそんなに詳しいの?」って訊いたら、
「いつか、自分でブランドをつくってみたいんです」
と言う。
「ものづくりは、
自分の最終形ではないかもしれないけれど、
たどり着きたいところではあるんです」
って。
ちょうど僕がアングローバルの新規事業開発の仕事を
兼任していたものですから、
「じゃあ、やってみる?」と。
伊藤
その頃は、宮田さん、
まったく、ものをつくっていなかったんですか。
宮田
はい、実質、つくっていたとは言えないです。
アングローバルに来る前は、
2人しかいないちっちゃいブランドにいたんですね。
私たち2人で全部をやる中に、
セールスも、生産管理的な部分も、
デザインも入っていましたけれど、
「自分のブランド」という感じではありませんでした。
伊藤
つまり、アパレルのことを、
一通り勉強していた状態だった?
中田
そうなんです。だから彼女、
「たたき上げ感」がすごくて、
いわゆる服やデザインの学校を
出たわけではないですけれど、
すぐになにかできる知識と経験をたくわえていました。
伊藤
そういえば、デザイナーには少ない、
異色の経歴ですよとおっしゃっていましたね。
大学で、難しい勉強をなさっていたとか。
宮田
いえ、難しくはないんですけれど、
バイリンガルをどうやって育てるか、
という勉強をしていました。
中田
彼女自身、バイリンガル‥‥トリリンガルかな? 
日本語、英語、フランス語を話します。
お父さんが数学者で、
海外も日本もいろいろ転々としているんです。
彼女の生まれは、アメリカのシアトル。
宮田
シアトルに4歳ぐらいまでいて、
その後、日本に戻り、岐阜、静岡を何ヶ所か、
最終漂流地点は神戸でしたね。
高校生のときはカナダに留学をして、
大学生のときにはフランスに行きました。
中田
「英語とフランス語ができて、
中学3年生までサンタクロースの存在を信じてた」
って聞かされて、
僕は、すごい人を見つけたと思ったんです。
だからもう純粋に彼女のやりたいことを、と、
ブランドを立ち上げたんですよ。
最初は「研究所」でも
いいんじゃないかと思っていました。
伊藤
なるほど。でも、中田さんがよくても、
会社が「よし!」みたいになったというのが、
すごいことだなって思います。
中田
アングローバルの伝統で、
そういう部門もウェルカムだったんです。
でも、当時だからできたことかもしれませんね。
タイミングってありますから‥‥。
伊藤
中田さんは、アングローバルの「新規事業部」のトップ。
つまり、きちんと「数字」を出さないといけない、
という部分も、おありだと思うんです。
けれども、宮田さんには、
なるべくそういう側面を出さないでいたということ?
中田
はい、簡単に言えば、
彼女が面白いと思って、
心動かされたことが「全て」です。
でも、数字のことを言うと、
彼女とブランドを立ち上げる場合、
彼女はひとりでデザインも営業もプレスも企画も生産も、
全部、できるんですよ。
つまり、コストがかからない。
しかも、店を構えず、服の在庫を持たず、
展示会で発表をして、必要な数だけをつくる、
そこにかかる費用はサンプル製作費と会場代だけです。
パターンくらいでしょうか、
外注の方にお願いをするのは。
彼女のつくりたい服は、難しいものなので、
僕がイッセイミヤケのときにお世話になってた
優秀なパタンナーさんを紹介したりと、
どうしても困ってるようなことだけはお手伝いしました。
伊藤
縫製工場を紹介したりとかも。
中田
そうです。そこは、アングローバルの
大きなバックグラウンドが活用できますから。
でもそれ以外のことは、ある程度ひとりで、
完結できちゃう人なんです。だから僕は、
ものすごい事業計画をつくるっていうよりは、
やりたいことを引きだすことを考えました。
宮田
そうやって中田さんにお声掛けいただいて、
アングローバルに入社したものの、
コロナ禍のパンデミックがはじまって、
すぐに出社することができなくなり、
2、3か月、自粛の日々が続いたんです。
ほとんど机上で自分と向き合っていたんですが、
それが「quitan」をつくる大事な時間になりました。
そして、パンデミック1年目(2020年)の8月に、
「quitan」のデビューの展示会を開きました。
2021年に販売する春夏にむけての作品です。
伊藤
その自粛の間、中田さんとはどんなやりとりを?
中田
「本当にやりたかったことを考えてごらん」とか、
「ブランドネームどれがいいか考えてごらん」
ということを問い続けていましたね。
ブランドネームが決まったら、
ロゴをつくるグラフィックデザイナーについて、
「誰か仕事がしたい人がいるんだったら、
いくつか候補を挙げてごらん」っていうふうに、
自由課題のようにして、
ビジネス上、やらなきゃいけない項目をあげて、
考えてもらうことにしたんです。
それが多分、よかったんだろうなぁと思います。
僕は、やらなきゃいけないことだけを進めて、
ほかのことにはタッチしなかったです。
伊藤
なるほど! すごくいい環境だったんですね。
宮田さんは、そんなふうに
コロナでじっくり自分に向き合う時間がもてたのは、
よかったと思いますか?
宮田
はい、あのときは
どうしていいか分からなかったですけど、
今となっては、よかったです。
長く瞑想をした気持ちになりました。
伊藤
瞑想。
宮田
はい。実際に写経をしたり、
瞑想に近いトレーニングもしていました。
その、家からあんまり出ない時間が、
私には、よかったんですね。
このブランド立ち上げる前から知ってる方たちから、
今、すっごく言われるのが、
「宮田さんって『quitan』を始めて、
扉が開きましたよね」ということなんです。
ビジュアルを撮ってくれている川村恵理さんや、
以前からの知人の何人かから同じふうに言われます。
たとえば、私が古楽器を好きだと知ると、
「あなたに、そんな扉があったの? 全く知らなかった!」
って言われます。
‥‥勝手に開いちゃったんですよ、扉が(笑)。
伊藤
瞑想期間中に!(笑)
宮田
ウェスタンのドア(スイングドア)みたいに、
ブランブランになっちゃいました(笑)。
伊藤
元々そんなガッチリ閉まってる人では
ないような気もしますよ?
宮田
そう。閉めてるつもりは全くなかったんです。
ただ、いろんなブランドで仕事をして、
別のデザイナーのフィルターをいつも通してきたので、
いきなりそのフィルターがなくなっちゃったってことを、
どうしていいか分からない時期は当然ありましたけれど。
伊藤
でもものをつくりたい気持ちはあった?
宮田
ずっとそうなんですよ。糸を触りたかった。
伊藤
そっか。まず布を好きっていう手前に
糸が好きなんですね。
宮田
そうなんですよ。
(つづきます)
2022-09-18-SUN