伊藤まさこさんが、ふだん、何気なく
「感じがいいな」と思うものが、
調べてみると深澤直人さんのデザインだった、
ということがよくあるそうです。
デザインが主張しすぎることがないのに、
使いやすくって、そばにいてうれしい。
そんな「デザインを感じさせない深澤さんのデザイン」
のひみつが知りたくて、
2021年の夏にできあがったばかりの
一軒家のアトリエにおじゃましました。
まずは、地下1階、地上2階。
スタジオ、オフィスとキッチン、
そして、居住空間を、
深澤さんの案内によるハウスツアーで。
そしてリビングでソファに腰掛けての対談は、
デザインのセンスを育てることや、
人生の最後の瞬間を考えることまで、
深澤さんの頭の中をじっくり探る時間になりました。
2022年「weeksdays」最初のコンテンツ、
どうぞ、ゆっくり、おたのしみください。

深澤直人さんのプロフィール

深澤直人 ふかさわ・なおと

プロダクトデザイナー

日本民藝館館長、
多摩美術大学統合デザイン学科教授、
21_21 Design Sightディレクター、
良品計画デザインアドバイザリーボード、
マルニ木工アートディレクター、
日本経済新聞社日経優秀製品・サービス賞審査委員、
毎日デザイン賞選考委員。

1956年山梨県生まれ。
多摩美術大学プロダクトデザイン学科卒業、
セイコーエプソンに入社、先行開発のデザインを担当。
1989年に渡米し、
ID Two (現 IDEO サンフランシスコ)入社。
シリコンバレーの産業を中心としたデザインの仕事に
7年間従事した後、1996年帰国、
IDEO東京オフィスを立ち上げ、支社長に。
2003年に独立、NAOTO FUKASAWA DESIGNを設立。

イタリア、ドイツ、アメリカ、スイス、スペイン、
中国、韓国、タイ、台湾、シンガポール、フランス、
ポルトガル、スウェーデン、フィンランドなど
世界を代表するブランドのデザインや、
日本国内の企業のデザインやコンサルティングを手がける。
日用品や電子精密機器からモビリティ、
家具、インテリア、建築に至るまで
手がけるデザインの領域は幅広い。

人間の意識していないときの行動の中に
デザインのきっかけがあることを見い出し、
それを「Without Thought(思わず)」と名付け、
1999年からはその名を使った
デザインワークショップを開催。

「イサム・ノグチ賞」など、多数の受賞歴、
ロイヤルデザイナー・フォー・インダストリー
(英国王室芸術協会)の称号も。

●Amazon著者ページ
●NAOTO FUKASAWA DESIGN WEBサイト

その1
家をまるごとデザインしました。

伊藤
深澤さん、どうぞよろしくお願いします。
こちらは、素敵な3階建てですね。
引っ越されたのは最近ですか?
深澤
はい、最近です。
2021年の7月です。
伊藤
お仕事場として作られたんですよね。
深澤
はい、仕事場です。
自宅は別にあるんですが、
ここの2階は寝られるようになっています。
地下はスタジオになっています‥‥って、
説明をしているよりも、
せっかくなので、ざっくばらんに、
ぜんぶ見ていただこうかな。
伊藤
ありがとうございます! ぜひ。
深澤
(らせん階段を上りながら)
これまで、自分の作品を
一覧して置いておける場所がなかったので、
家を建てようと思いました。
生活しながらデザインが見られる
ライブリーなショールームみたいな場所です。
たとえばイタリアの仕事では、
ベッド、バスタブ、トイレなどをつくっていて。
伊藤
(階段を上り切って)
わぁ、すごーい!
深澤
そういうものは、こちらに。
(バスルームへ)
伊藤
わぁ、わぁ。
こういうのって、
日本のどこかで商品を見られるんですか。
深澤
それが、見られないんですよ。
伊藤
そうですよね。
それにしても、このバスタブのすばらしい品質。
見た目も、触った印象も。
深澤
このくらいの質感でなければ許せない、
というような人たちが、
向こうにはいっぱいいるんです。
伊藤
きりっとした感じですね。
深澤
これを作ることが、すごく大変なんです。
ジュエリーを作るような繊細さが要求されます。
そういう最高級ブランドのものなんですよ。
僕、ブランドの名前も付けていて、
このバスタブをつくっているボッフィ(Boffi)社
ファンティーニ(FANTINI)っていう
別の会社と一緒につくっている水栓金具の名前を、
アバウトウォーター(ABOUTWATER)と付けました。
伊藤
へぇ! アバウト‥‥。
水にまつわる、というような‥‥。
深澤
日本語化できないかもしれないですね。
伊藤
じゃあバスタブと水栓金具をセットで買われる方が、
あちらには。
深澤
います。
ファンティーニでも、
ボッフィでも売られているんです。
伊藤
深澤さんがこういった外国のお仕事をなさっていること、
わたしたち、あまり知らずにいます。
深澤
日本ではなかなかこういうものを生活の中に入れようとか、
それを売ろうっていうことを考える人がいないので、
結果的に海外だけの仕事になってしまいますね。
日本のメーカーとつくるものは、
日本で紹介されているけれど、
僕、こういう仕事もしているんですよ。
伊藤
どんなふうに依頼が来るんでしょう?
深澤
定番的なものを作って欲しいっていう依頼が多いです。
そういうことができるデザイナーを探したら、
僕にたどり着いたというような感じでしょう。
もともと僕は、電子機器や精密機器のデザイナーでした。
あとからこういう環境学をやり始めたので、
「彼だったらできるんじゃない?」みたいな。
伊藤
なるほど。
そして、この建物自体は、やはり深澤さんが?
深澤
自分でデザインしました。
伊藤さん、御存じなかったですよね。
内緒にしてましたから。
伊藤
伺う住所が新しかったので、
「ん?」とは思っていたんですけれど、
ひょっとしてご自宅なのかな、とも。
深澤
(ベッドルームへ案内をして)
こういうベッドもデザインしてるんです。
ヨーロッパでは使われているんですが、
日本ではなかなか‥‥。
だから自分がユーザーとなるしか、
見せる場所がないんです。
この椅子も、その大理石のテーブルも、
違うメーカーですけれど、僕のデザインです。
花瓶は「バンチ(bunch)」っていう名前で、
一輪挿しが、花束のように、束になっています。
伊藤
以前の事務所のお写真を拝見したことがあるんですけど、
壁に取り付けられた家具が床から浮いていました。
こちらの棚のように。
深澤
そうですね。足がない。
伊藤
いいな! と思ったんですけれど、
わたしたち、狭いところに住んでるから、
ぜんぶマネするわけにもいかないんです。
深澤
日本の建築の常識からすると
壁から出すとかっていうことがなく、
置き家具になってしまう。
伊藤
たしかに、いちから建てればできますよね。
深澤
できます。
これはもともと床置きの
「シェルフエックス(Shelf X)」っていうシリーズで、
床置きも、壁掛けもあるんですよ。
伊藤
深澤さんが「棚にはその人の人生が見える」
っていうことをおっしゃってたのを読んだんですけど、
えーっ! と思って。
ごちゃごちゃしたところ、深澤さんに見せられないです。
深澤
ハハハ。
伊藤
それにしても、いいですね、
こうして、深澤さんのデザインが
生活の空間のなかで見られるのって。
深澤
以前は南青山に部屋を借りていたんですが、
そこもきれいにしてはいたんですけれど、
いっぱい仕事をしてきた、その製品を見せることができる、
こういうアトリエが欲しくなったんです。
ヨーロッパに仕事で行くと、
アーティストが自分のアトリエを
持っているじゃないですか。
今も昔も。
伊藤
はい、そういうかたのところで、
案内をしていただいたことがあります。
深澤
僕も何人かのアトリエに行ったことがあって、
なかには故人のアトリエがそのまま美術館に
なってるところもありますね。
でも賃貸で借りている場所しかなければ、
僕の仕事が終わってしまったら、
その場所ごと無くなってしまいます。
こういうものも全部分からなくなってしまうし、
もちろんデータとしてのアーカイブはありますけども、
生きたアーカイブはなくなる。
みんなも仕事をする場所がなくなる。
じゃあアトリエを作りましょうと。
伊藤
構想は何年くらいだったんですか。
深澤
ずっと思っていたことは思っていたんですけれど、
実行に移したらすごく早かったです。
ここは、散歩をしていて、
桜の並木があっていい場所だなと思っていたら、
売りますよっていう不動産屋の看板が立っていたんです。
広い敷地を分割した場所だったんですが、
先に後ろの旗竿地(はたざおち)が売れて、
この場所が残っていました。
そうすると、密集してるけど引きが取れ、
三方から見える家を建てられると思ったんですね。
じゃあ、道路に面したところは石垣を積みたいなとか、
そんなふうに考えはじめました。
伊藤
そうだったんですね。
あっ‥‥すごい! 
あこがれの「ベッドルームにミニバー」が!
深澤
壁に隠してあるんです。
伊藤
この中もじゃあ全部?
深澤
はい、デザインしてます。
伊藤
先ほど、もともとは電子機器や
精密機器をデザインしていたとおっしゃっていましたが、
クライアントのかたは、その製品を持っていて、
いいなって思ってくださっていたんでしょうか。
それで「この人にこういうものを頼んだらどうだろう」
みたいな‥‥。たとえばこのベッドも。
深澤
イタリアとかドイツのクライアントは、そうですね。
伊藤
もうすこし詳しくお聞きしていいですか。
いまにいたるまでのこと。
深澤
僕は1989年からアメリカにいて、
今のシリコンバレーで
いわゆる電子機器系のデザインをしていました。
伊藤
たしか、7年くらい、いらしたんですよね。
深澤
そう、7年くらいいたんですけど、
いろんな賞を取ったりして、
やりつくしたな、っていうこともあり、
ちょっと日本が恋しくなったのもありで、
そろそろ帰るかなと思っていたんです。
そして、そこまでいったら集団で仕事をするより、
ヨーロッパの、いわゆる巨匠と言われている
人たちの姿が見えてきて、
ああ、目指すのはこっちかな、と思いました。
そして日本に帰ってきていろんな仕事し始めたら、
それがヨーロッパの人に伝わったんですよ。
ドイツとフランスとイタリアとスペイン、
同時に30社ぐらいのオファーがあったんです。
伊藤
30! すごいですね。
深澤
ヨーロッパって面白いんです、
一人のデザイナーを
独り占めにしたいっていうところがある。
メディチ家とミケランジェロの関係と、
全く変わってないんですよ。
そしてメインデザイナーになると、
向こうからの依頼を待ってデザインをするのではなく、
こちらからの提案ができるようになるんですね。
デザイナーが「こういうのどうですか」って言うと、
「おお、やってみようか」となる。
そういうふうになれたのは、とてもラッキーなことでした。
この20年間、ずっと、例えばこのベッドなどの
B&Bイタリア(B&B Italia)とか、
先ほどのボッフィとか、
そういったところと、ずっと付き合ってきました。
伊藤
すごい! そういうことだったんですね。
(つづきます)
2022-01-01-SAT