COLUMN

餃子屋のトナカイと、
かわいいコックさん。

青木由香

「クリスマス」をテーマに、
3人のかたにコラムをお願いしました。
ふつかめの今日は、
台湾から、青木由香さんの登場です!

あおき・ゆか

神奈川県生まれ。
多摩美術大学を卒業後、世界各国を旅行。
2003年に台北で語学を学ぶとともに、
写真、墨絵などの制作をはじめる。
2005年には、台湾の出版社より
日本人の目から見た台湾の面白さを書いた
『奇怪ねー台湾』を出版し、
台湾国内でベストセラーを記録。
2008年には、ビデオブログの『台湾一人観光局』が
台湾でテレビ化され人気を博して、
外国人としてはじめて、
台湾のTV賞の最優秀総合司会部門に
ノミネートされた経験も。
現在は、台湾と日本を行き来しながら、
取材や視察のコーディネートなど、
さまざまなメディアに台湾を紹介する仕事をしている。
2015年には、
台北市にアートギャラリー
「你好我好(ニーハオウーハオ)」をオープン。
「ほぼ日」で「台湾のまど」を連載中。

■Facebook:你好我好
■Facebook:青木由香

台湾に長くいると、
日本では大騒ぎしていたクリスマスも
緊張感はかなり緩んでくるものです。
台湾では、デパートの立ち並ぶ商業エリアか
公共仕込みの広場の派手なイルミネーションが
ザ・クリスマスな感じなのですが、
それも春節まで2ヶ月近く使われ続けます。
他には、台北の路線バスの運転手が
会社支給のヨレっとしたサンタの衣装を身につけ、
チェーンの餃子屋では、餃子を焼くおばちゃんが
頭にトナカイの角をつけていますが、
自分がトナカイやサンタになっているのを忘れ、
いつもとわからないガサッとした接客をしています。
周囲がこの適当なクリスマスなので、
私もいつからか気合が薄れ、
人ごみのイルミネーションより
餃子を焼く台湾らしいトナカイに出会うことを
楽しみにするようになりました。

それでも子供の頃は
クリスマスが一大イベントでした。
クリスマスと言うと必ず思い出す、
毎年父が私をからかっていた出来事があります。

特にクリスマスの準備に張り切っていたその年。
部屋もツリーも一人で飾り付けをし
家の中にクリスマス会の目次を作って貼り出し、
母に好きな料理をオーダーしました。
自分で書いたその目次には、プレゼント交換もあって
母からプレゼント代をせびり
自分の欲しいものを家族4人分買い
インチキなプレゼント交換の準備も万端です。
父の帰りを待って会が始まるとすぐに
目次にある【みんなでクリスマスの歌を歌う】の通り
私はピアノのある部屋に移動し、
ジングルベルを弾き始めました。

「1、2の3、ハイッ!」

でも、誰も歌いません。
私は、寒い隣の部屋で
何度も「1、2の3、ハイッ!」と伴奏をやったのですが、
誰も歌わず、みんなは喋って食事を始めています。
やがて私は声を上げて泣き始めてしまいました。

「何日も前から張り出していた目次をなぜ見ていない!」
という私の言い分に対して、家族は
「突然ピアノを弾き始めたと思ったら、
急に一人で泣き出した。変な奴」と、
泣いて怒る私に大笑い。
それからクリスマスと聞くと、
父は「面白かったなぁ」と
他界するまで40年近く、毎年、私をからかいました。
ここにこうして書いていますが
今でも私にとって、全く面白くない話しであります。

そして私も親になり、今度は自分が
クリスマスというと息子をからかう思い出ができました。
息子が幼稚園で初めてのクリスマスのお遊戯会。
小規模な普通の幼稚園なのに
お台場みたいな都会エリアの会場を貸し切って、
子供が出し物ごとに貸衣装に3回も着替える
謎にビッグなイベントでした。
初参加だし、餃子屋のトナカイさんがいる世界から
誰がこんなに気合の入った会を想像しましょうか。
その時、直前まで日本に帰っていた息子はもちろん踊れず、
人生初のステージは、仁王立ちの大泣きで終わったのです。
当時の息子はデブで三頭身。
コックさんの衣装を着させられたら
絵描き歌の【かわいいコックさん】にそっくりでした。
舞台上で、困ってただ泣く息子の姿が可愛くて、
毎年思い出してはからかうようになりました。
これも、あまり長く言い続けると再来年くらいには
「そもそも練習させずに休ませたのは誰だよ」と
反撃されそうですが、私の答えはもう決まっています。
「ごめん、ママもこんな適当じゃない台湾初めてだった」
というのです。

2020-11-10-TUE