COLUMN

「メリー・クリスマス・ショー」の
こと。

岡宗秀吾

「クリスマス」をテーマに、
3人のかたにコラムをお願いしました。
きょうは、テレビディレクターの岡宗秀吾さんです。
テレビの仕事を志すきっかけになった、
ある番組のおはなし。

おかむね・しゅうご

フリーランステレビディレクター。
1973年神戸生まれ。
1995年の阪神・淡路大震災を機に上京、
現在の職に就く。
バラエティ番組の演出を中心に活躍。
「青春狂」を自称し、
「全日本コール選手権」から
「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」など
若い世代のカルチャーを題材とした演出が多い。
著書に『煩悩ウォーク』(文藝春秋)がある。

「weeksdays」では「わたしのひきだし」
「男子について。あるいは愛についての鼎談。」に登場。

僕は今年で25年目になるテレビマン。
まぁテレビマンと言っても局員でもなく
フリーランスでフラフラやっている間に
四半世紀が過ぎていったのだが、
例えばスポーツだって、下手でも
25年毎日やっていれば
インストラクターとか有段者になってるし、
喫茶店でも、ちょっとした名物がある老舗
ってとこだろう。

ふと自分の人生を振り返ってみると、
高校も辞めちゃったし、
長く続いたバイトも趣味もなかったんだから、
テレビの世界は僕に合っていたと言える。
だからここ10年はネットの世界に押されまくり、
息も絶え絶えになっているテレビを間近で見ていると、
やっぱり寂しい。
「あんなに元気だったのにねぇ‥‥」
なんて思いながら
世話になった先輩の病床で見舞いをしている気分だ。

だって僕は80年代の本当に
「キング・オブ・メディア」として君臨していた
テレビを観て育った。
莫大な金が動き、派手で面白い
「ギョーカイ」だったテレビ界のキラキラに
吸い寄せられるように、
生まれた神戸から東京にやってきたんだ。

そんな僕が中学生だった頃、
夢中になったテレビの1つに
「メリー・クリスマス・ショー」がある。
86年と87年のクリスマスイブに2年連続、
日本テレビから生放送された。
吉川晃司さんが桑田佳祐さんに
企画を持ちかけたことから始まったといわれ、
クレジットこそされていないが
山下達郎さんがブレーン的に参加した伝説のテレビ番組。
まず出演メンバーがエグい。
桑田さんを中心として、
司会の明石家さんまさんをはじめ、
松任谷由実さん、アン・ルイスさん、
鈴木雅之さんに中村雅俊さん。
吉川さんはもちろん、チェッカーズ、アルフィー、
忌野清志郎さん、鮎川誠さん、
BOØWY、ARBにCharさん、
山下洋輔さん、小泉今日子さん、
米米クラブにバービーボーイズなどなど‥‥
(86年・87年併記)
ここに書ききれないほどのアーティストが集まった。
またそのキャスティングは
テレビにほとんど露出しないロックスターから、
テレビで見ない日はないアイドルまで幅広く、
近年だと音楽とお笑いという違いこそあれど
「笑っていいとも!」最終回で、
タモリさん、さんまさん、とんねるず、ダウンタウン、
ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインの
奇跡の共演があったが、
あの熱気のまま一緒にネタをやっちゃうような興奮が
「メリー・クリスマス・ショー」にはあったのだ。
またそのパフォーマンスや演出も凝りに凝っていて、
出演者全員のメドレーによるビートルズの
「カム・トゥギャザー」に始まり、
クリスマスソングのスペシャルアレンジや、
今でいう「マッシュアップ」の手法で
クールファイブとビーチボーイズの曲をミックスさせたり、
ピアノにバケツで水をかけちゃったり、
演奏中にプロレスが始まり、
古舘さんが実況で煽る! 
普段交わることがないビッグアーティストたちが
クリスマスを祝って一堂に会し、
目を見張るようなカッコいいお祭り騒ぎを
2時間たっぷり魅せてくれる。
「これがテレビだ!」と見せつけるような迫力を放った、
文字通り「特別番組」だった。
イブの夜、母の作った手巻き寿司を食べながら
ブラウン管から目が離せなかったことを思い出す。

「こんな楽しいことが東京にはあるのか‥‥
絶対に行きたいな」

あれから30年以上の月日が流れた。
そして現在、こんなテンションの番組はもうない。
紅白や音楽祭的な番組はあるけれど、全然違う。
ネットシーンにもない。フェスにもない。
時代の流れだと思う。抗えないとも思う。
でもどこかで、テレビじゃなくてもいいから、
あの興奮の当事者になりたい。
その情念が今日も僕を現場に向かわせるんだ。
クリスマスが近くなると
「メリー・クリスマス・ショー」が
脳裏にフルカラーで再生される。
幕が上がるのはいつだ?

2020-11-11-WED