コンバースについて、
いろーんなかたにインタビュー。
今回は、「weeksdays」とコラボレーションのオールスターを
つくってくださった、コンバースジャパンの
高瀬美穂さん・志村友秀さんに登場いただきます。
コンバースについての基本的なことから、
個人的なことまで、いろんなおしゃべりをしてきましたよ。

高瀬美穂さんのプロフィール

高瀬美穂 たかせみほ

福岡県出身。
97年、月星化成㈱コンバース企画部に
デザイナーとして入社。
その後、チャックテイラーのMD、
コラボレーション企画を担当。
06年、コンバースフットウェア㈱設立に伴い移籍。
CONVERSE ADDICT、AVANT CONVERSEなど
新規ラインの立ち上げやコラボレーション企画、
ブランドプロモーション全般を担当。
愛しいコンバースはオールスター。
「入社以来、多くのオールスター企画を手掛けているので、
愛着一番です」

志村友秀さんのプロフィール

志村友秀 しむら・ともひで

東京都新宿区出身。
96年から様々なブランドのスニーカーの企画、
デザインに携わり、
06年コンバースフットウェア㈱にデザイナーとして入社。
入社以来のコンバースシューズ全般のデザイン担当。
2017年よりコラボレーション企画を担当。
よく履くコンバースは、ジャックパーセル。

全1回
コンバースジャパン
高瀬美穂さん/志村友秀さん編

──
コンバースって、
どうしてこんなに人気があるんですか。
高瀬・志村
(笑)ありがとうございます。
──
身もフタもない聞き方で、すみません。
今回、「weeksdays」でも
コラボレーションをしていただいたんですけれど、
有名なブランドとのコラボレーションはとても多いですよね。
身内としてはどういう感じで見てるんでしょう。

▲これまでに誕生した様々なコンバースを見せていただきました。

志村
すごく有難いことですよ。
スニーカーで、一番ファッション性が高いのは、
コンバースだと自負しておりますので。
ファッションシーンで幅広く受け入れられてるのは、
ほんとうに嬉しく思っているんです。
──
スポーツシューズだったコンバースが、
いつぐらいから、ファッションにグッと寄ったんでしょう。
高瀬
映画のワンシーン、でしょうか。
たとえば1961年の『ウエスト・サイド物語』。
──
あれもコンバースなんですか!
高瀬
はい。履いています。
男の子側のジェット団は、
コンバースの「チャック・テイラー」の
オプティカルホワイト。
ライバルのシャーク団は、その黒なんです。
──
そういう目で見たことがありませんでした!
志村
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも、
履いてるシーンがありましたよね。
1955年、主人公のマーティが
ビフからスケボーで逃げるシーンでは、
コンバース・オールスターのハイカットを履いています。
──
そうだったんだ(笑)。
高瀬
『ビッグ』っていうトム・ハンクスの映画や、
『ロッキー』『スタンド・バイ・ミー』、
『トレインスポッティング』『アイ,ロボット』‥‥
いろんな映画に登場しています。
──
アメリカだと、当たり前みたいな存在なんですか。
志村
そうですね。もともとはバスケットボールシューズから
始まってはいるんですけど、
たぶん、50年代とか60年代って、
スニーカーはコンバースがほとんどだったと思うんです。
それで、レジェンドたち‥‥ミュージシャンもそうですし、
俳優もそうですけど、そういった時代のレジェンドが、
コンバースを履いてくださっていて。
そんなスタイルに憧れて、一般に拡がっていったのかなと。
「憧れ」だったということが、昔からあったんですね。
──
しかもその感じが、衰えない。

▲「ローリングストーンズ」のコラボレーション。なんと、大事な「チャックテーラー」マークがない!

▲「ニーハイ」と呼ばれる、丈の長いタイプ。折り曲げても履ける。

高瀬
「チャックテイラー」が、2017年で、
100周年を迎えているんです。
もう100年以上、ほとんど、デザインが変わってない。
変えなくても、ずっと、その時代、その時代に
愛され続けてきたんですね。
もともとは、バスケットボールシューズから誕生し、
だんだん、ファッションの用途に
変化していったわけですけれど、
でも、変わっていない。
──
100年って言うと、普通に言ったら、
骨董ですもんね。
高瀬
変わらない美しさを評価いただいてますね。

▲「バットマン」のコラボレーション。

▲ブラジルで生産したヒールオールスター。珍品だそう!

──
マイナーチェンジは、しているんですよね。
志村
はい。ちょっとデティールに変化をもたせて。
基本的なスニーカーの形は変わってないんですけど、
「オールスター100」で見ますと、
底の印象を変えたりですとか、
履き心地を良くするようなアップデートをしています。
高瀬
また、たとえば60年代のオールスターは
ヒールラベルが三ツ星だったとか、
一ツ星だったとか、そういうデザインが、
時代とともに少しづつ変わっています。
コレクターの方が注目なさる部分ですね。

▲グランジのファッションからインスピレーションを受けてつくられた、ネルシャツのタイプ。

▲店頭販促として作られたと言われる、クリスマス用コンバース。

はじめてのコンバース

──
高瀬さんの初めてのコンバースへの憧れは、
どんな感じでしたか?
高瀬
私は福岡出身なんですが、中学校の頃に、
ローカットタイプのオールスターに、
みんな、憧れていました。
でも、当時のわたしたちには、すごく高かったんです。
中学生に6000円とか7000円の靴は、
すぐだめにしちゃう通学靴としては履けないし、
そんなの買ってももらえなかった。
だから、「似てるかな?」みたいな
スニーカーで我慢してましたね。
月のお小遣いが1000円なのに、
6000円の靴は買えないですよ~。
──
給料だったら6か月分ですもんね‥‥。
高瀬
ほんとう!(笑)
甘酸っぱい思い出です。
──
志村さんは?
年齢が下がり、しかも都会の子ということなので、
ぜんぜん環境が違うんじゃないかなって思うんですが。
志村
中学の頃、オールスターを履いてたのを覚えています。
高瀬
おお~。
志村
まだファッションのことを
よくわかっていなかったんですが、
「合わせやすい」とは感じていました。
「定番だから」みたいな。
でも、そのあと、高校生になると、
コンバースを追っかけるような
スニーカー好きになるんです。
その時代のNBAの選手に
「ラリー・バード」と「マジック・ジョンソン」っていう
2大スーパースターがいて、
コンバースの最新モデルである
「ウエポン」っていうモデルを
2人が履いていたんですね。
広告にも出て、それにすごく憧れました。
それを探し回ってた時期がありました。
──
東京の子、違いますね‥‥。
高瀬
そうですよ! 
やっぱり洗練されているもの(笑)。
志村
でも、オリジナルの、ほんとうに欲しいものは、
高嶺の花で、買えなかったですよ。
高校生だったので、お金もないし、
バスケットをやってたわけでもないから、
買ってもらう理由もないし‥‥。
──
でも、コンバースっていうブランドが
好きになっていたんですね。
志村
そうですね。高校を卒業して、
バイトをするようになり、
ある程度、自分でお金が作れるようになってから、
オリジナルを買ったっていう覚えがあります。
──
志村さんにとってのマジック・ジョンソン的な人は、
高瀬さんにもありましたか。
この人の履いている姿がかっこいいな、って。
高瀬
この仕事に就いて長いので、ほとんど毎日、
いろんな格好に合わせてコンバースを履いていますが、
2005年くらいに、宮沢りえさんの写真集で、
伊藤佐智子さんというスタイリストさんと
一緒に作られた『STYLE BOOK』があったんですね。
その中に、すごくエレガントなキャメル色の
ニットのロングドレスに、白いキャンバスの
オールスターを合わせているものがあって。
背中がぱっくり開いているような
すごいドレスなんですよ。
──
おお!
高瀬
そのとき、もう10年以上、
この仕事をしていたんですが、すごい衝撃で。
「こういう履き方も、あるんだ‥‥」って。
その意外性がものすごく素敵だな、
あえて、ヒールと合わせないんだ、って。
──
想像するに、素敵ですね。りえさん。
高瀬
それはそのあとの仕事に、すごく役に立ちました。
もともと、商品企画をしていたので、
新しいラインを起こすときの参考になりました。
志村
そういう意味では、僕は、
「ニルヴァーナ」のカート・コバーンかなぁ‥‥。
グランジファッションに
クリーンな「ジャックパーセル」を合わせるんです。
すごく、衝撃で。
それは、今までなかった履き方でした。
ちょうど、僕、18とか、19、20の頃なんですけど、
そのへんで、ようやくスニーカーとファッションが
リンクする感覚が出てきたように思います。
自分も「この靴にはこの服を合わせよう」って
考えるようになったきっかけでした。
高瀬
いまだにそのスタイルは神話のようになっていて、
カート・コバーンを好きな方のなかには、
ジャックパーセルしか履かない、
という人もいらっしゃいます。
ほんとう、コンバースって、おもしろいですよね。
かたやグランジでも履けるし、ドレスでも履けるし。
あとは、デイリーユースで、普段履きとして
気楽に履けるわけですし。
──
ドレスダウンするときにも、コンバースだったら
「分かってるね」って感じになりますものね。
高瀬
組み合わせといえば、思い出すエピソードがあります。
以前、『天才バカボン』とコラボレーションした
シューズを作ったことがあるんですね。
そのとき、まだ赤塚不二夫先生はご健在でしたが、
その後、亡くなられてしまった。
すると『ポパイ(POPEYE)』の副編集長の方から、
赤塚先生の葬儀に行かれるとき、
そのコラボレーションのシューズを履いて行ってきました、
という連絡をいただきました。
すごく嬉しかったです。
──
素敵なエピソードですね。
コラボレーションの最初はなんだったんでしょう。
高瀬
日本で、キャラクター系を、
日本独自の企画でスタートしたのは、
「ドラえもん」が最初だったと思います。
志村
いろんなコラボレーションを自社企画でつくりましたよ。
高瀬
それこそ岡本太郎さんのコラボレーションスニーカーも、
かなり個性的なデザインだったんですけど、
すぐに完売しましたし。
──
先日、コンバースをたくさん扱っていることで有名な
神戸の「柿本商店」さんに伺ったんです。(*)
そうしたら、箱だけ残ってたんですよ。

(*)柿本商店さんのレポートは、
こちらからお読みいただけます。
高瀬
箱だけが?!
志村
(笑)なぜなんでしょう。
──
なぜ、箱だけですか? って訊きましたら、
男の子は、大事に箱を持って帰る、
でも女の子は、かわいいって言って
靴は買ってくれるんだけど、
箱はいらないって言うんですって。
だから余っちゃうそうで、
それを展示しているそうです。
高瀬・志村
(笑)
──
ところで、ご自身で持っているコンバースで、
一番、好きなのって、なんなんですか?
高瀬
ええ~(笑)!
志村
これは困った。なんだろう……。
高瀬
たくさんあるから‥‥。
でも、そうだ、やっぱり、
がんばってつくったコラボレーションものや、
長い時間をかけて復刻させたアイテムなどは、
愛着があって、よく履いていますね。
志村
私も、正直、まったく同じといいますか。
やりたかったコラボレーションを、
ちゃんと完成まで持っていけたりすると、
すごく愛着がわきます。
そういうものって、限定数ですから、
あとから買えなくなったりするので、尚更。
──
今回のコラボレーションはいかがでしたか。
高瀬
コラボレーションって、両極端で、
ブランドらしい個性を出したいという、
とてもわかりやすく特徴のあるコラボレーションがある一方で、
今回の伊藤まさこさんのように、
シンプルで、ベーシックで、デイリーなものを作りたい、
っていうこともあるんですよね。
そこが、一番、難しいんです。
そこを、コラボレーションらしく、どうアレンジするか。
志村
何度も考えたのは色でしたね。
最初、紺の濃淡を2つ出して、
どちらも違うというので、
その中間くらいのものを作り直したりしましたね。
──
難しいオーダーをしました。
高瀬
形も、最初は、一番のオリジナルの
ベースモデルをというお話もあったんですが、
どうせだったら、わたしたちも、この100周年を機に、
ちょっと進化させていましたから、
見た目はほとんど変わらないけれど、
履き心地が良くなっているほうを使っていただきたい、
とか。
──
クッションがいいですよね。
これは昔のコンバースを知っていると、
ほんとうにおどろきます。
高瀬
せっかくコラボレーションさせていただくのであれば、
コンバースの新しい側面も体感していただきたいなって。
ほんとうに歩き疲れないですよ。
──
ありがとうございます。
今回、いろんな方に履いていただいているんですが、
久しぶりに履く方は、
「すごい! こんなフワフワしてたっけ?」
なんておっしゃいますよ。
志村
よかったです。
──
そして、みなさん「マイコンバース」の歴史があって。
思い出が詰まっていますよね、コンバースって。
まず青春時代に履くから、
そういう思い出が染み付くんですね。
青春時代に好きだったものって、
だいたいのものから卒業していくんだけれど、
コンバースは卒業しない。
高瀬
以前、キャンペーンで、
履きつぶしたコンバースを
SNSにアップしてもらうって企画をしたんですよ。
「#ゾンビコンバース」っていうハッシュタグで。
──
素敵ですね!
高瀬
もう、予想以上に、みなさんあげてくださって。
わたしたちは、ものが見られたらうれしいな、
と考えていたんですけれど、
思い出を語ってくださる方の多かったこと!
みなさん、思い出があるから、ボロボロになっても、
とっていてくださるんだな、うれしいなと思いました。
──
うれしいですね! 
「weeksdays」のオールスターも、
そんな存在になってくれたらうれしいです。
高瀬さん、志村さん、ありがとうございました!
(おわります)
2020-08-01-SAT