今回「weeksdays」初登場となる
「Harriss」と「HARRISS GRACE」。
じつは、これまで紹介してきた
ドイツの靴のtrippen(トリッペン)や
イタリアの革の鞄CI-VA(チーバ)を扱っている
アパレル商社「金万」(かねまん)のみなさんが、
このHarrissブランドを手がけています。
彼らの仕事の特徴は「ただ輸入するだけ」ではなく
「いっしょにものづくりをする」こと。

今回、どうしてHarrissと組むことになったのか、
また、Harrissの話をきかせてくださいとお願いをしたら、
「社長がいちばん詳しいですよ」と、
金万の金子誠光社長に登場いただくことになりました。
Harrissをめぐる金子社長へのインタビュー、
たっぷりめに、お届けします。
どうやら、金子さんって、
80年代の青山・神宮前カルチャーの
立役者のひとりらしいですよ。

全1回
金万 金子誠光さん
インタビュー

──
このあたり(渋谷区神宮前3丁目)は、
原宿からも青山からもちょっと距離があって、
静かだけれど、
あたらしいファッションが生まれる場所だなぁと、
そんなふうにずっと思っていました。
trippenのお店もあるこの地区に、
金万のショールームもあるんですね。
金子
そうなんですよ。
元々大家さん、昔からの地元の方で、
よく存じ上げているものですから、
「空いたら声かけて」ってお願いをしていたんです。
──
今回、「weeksdays」で
Harrissを販売することになりました。
伊藤まさこさんが「いい!」と思ったということが
いちばんのポイントではあるのですが、
はじめて紹介をすることになるので、
どんなブランドなのかも
お伝えしようと思っています。
それでウェブサイトを見たのですが、
あまりくわしく来歴を説明なさっていないんですね。
Anything with value takes time and effort.
(価値あることは時間も手間もかかること。)
ということばと、ペルーやアフリカの女性たちの
写真が掲載されているのみで。
金子
エスニック的なイメージをちょっと出してみようかなと。
僕の知り合いの写真家が、
世界中をまわって撮影をしているのを使ったんですよ。
──
でも、Harrissにそこまで
エスニックな感じはしない‥‥。
金子
今は、そうですね。
──
昔は、そういう感じがあったんですか?
金子
そもそもHarrissはメンズがスタートなんですが、
1980年、パリのレ・アール地区にオープンした
ショップをルーツに持っています。
今はもうないんですけど、
この方がオーナーだったマダム・ハリスです。
こういうお店を出していたんですね。
──
セレクトショップですか?
金子
そう、セレクトですね。
──
そこと金万さんの接点っていうのは。
金子
もともと、ここのお店に
トラディショナル バイ トランザットっていう
メンズの卸用の商材がありましてね、
ウチがその日本の代理店になるさい、
マダム・ハリスのお店も一緒にやれば、
ここに置いてある商品と合致するから、
お店を一緒にやりませんかと提案されたんです。
──
日本でいっしょに展開しませんかと。
マダム・ハリスの審美眼に基づいたお店を
日本につくりましょうと。
金子
ここに85年かな、オープンしたころの
日本のお店の写真もあります。
こんな感じでした。
──
場所はどこだったんですか。
金子
神宮前3丁目の交差点からすぐ、
角から2軒目のビルの1階でした。
いまは建て替えられましたが、
古いマンションがあったんです。
だから、血統はフランスです。
フランスのHarrissのオリジナルのウェアも、
そこで扱っていました。
ほとんどがメンズでしたけれども。
──
フレンチトラディショナルな印象ですね。
金子
まさに、フレンチトラッド、
フレンチアイビーの走りです。
──
いまはレディース中心になっています。
どういう経緯だったんでしょう?
金子
少しずつ、こうやって、
雑誌‥‥これは当時の「an・an」だと思いますが、
メンズウェアを女の子が着よう、
というような流れもあって、
女性のお客様が増えてきたんです。
じゃあレディースもつくってみよう、
となっていった、というのが経緯です。
──
さっき仰ったエスニックっていうのは?
金子
お店にね、例えば、バリのバティック地のシャツだとか、
まだみんながあまり見たことがないような
エスニックなものを、いっしょに置いていたんです。
いちばん分かりやすいのが、バッグ。
スペインのエルカバーロっていう。
あるいは、チマヨのインディアンの
オルテガベストがあったり、
アメリカのヴィンテージのジーンズもありました。
──
フランスのものじゃなくて、
ヨーロッパだけでもなくて、
当時爆発的に流行していたアメリカのものだけでもなくて、
世界各地からのオシャレなものを置く店として、
Harrissが神宮前にあったんですね。
マダム・ハリスの息は
どのくらいまでかかっていたんですか?
どこから金子さんたちの主導になったのでしょう。
金子
私自身がもともとアメリカにいましたから、
そのコネクションの中から
服や靴を輸入したりしていくなかで、
少しずつ、パリのHarrissの色から、より日本独自の
展開になっていきました。
──
「神宮前のHarriss」になっていった。
金子
当時、港町シリーズと言って、
小倉や函館、神戸にお店を出したりしたんですよ。
いわゆる主要都市ではない場所に。
──
港町に出店する。なんだか粋ですね。
当時の神宮前は、いまとはまたちょっと違う、
独特なオシャレな雰囲気がありましたね。
知る人ぞ知る、という感じの。
金子
はい。だから、当時から地元の原宿幼稚園に頼まれて、
このへんでハロウィンの催しをしたりね。
いろんなことが早かったですよ。
──
そういうふうにしてHarrissが根付いてったんですね。
金子
そう、まさしく、根付いていきましたね。
──
今のHarrissの印象は、
シックな大人の女性のための服だと感じます。
金子
コレクションによっては、
カジュアルな展開もしています。
オリジナルの「Harriss」、
それから、もっとカジュアルな、
男性のデザイナーによる
「le ciel de HARRISS」があるんです。
Harrissの青い空ってイメージなんですけど。
それからあともう一つは、もうちょっとクオリティが
全体的にハイレベルな、Harrissのお姉さんバージョンで
「HARRISS GRACE」。
その3つですね。
──
すべてレディースですか?
金子
メンズもありますよ。
トータルでコレクションをつくってます。
それは直営店というよりも、卸を中心に全国展開してます。
それは80年代からの、
いわゆるちょっとコンサバなアイビーです。
去年からはハワイの工場とコラボレーションして、
ハワイアンスタイルのシャツもつくっています。
──
フランス生まれだけど、今はフランスに限らず、
いろんな場所でつくったり、
いろんな由来のものを集めて、
オリジナルウェアも展開している、
ということなんですね。
金子
もともとウチはインポートが強かったものですから、
インポートの商材が多いんです。
日本の企画で、世界中でいろんなものをつくって、
それをHarrissというブランドを通して
展開しています。
──
今回のカシミヤのコートは、
モンゴルの工場でつくられていますね。
金子
お付き合いが20年以上ある工場があるんです。
民主化したことで、
モンゴル人の方が国営工場を買いまして、
そのかたがとても優秀で、
国費で日本の電気通信大学に留学していたほどなんです。
そして日本でモンゴルのカシミヤの製品の営業をしていた。
そんなことで私もつながりがありまして、
カシミヤも、ニットだけではなく、
こういう布帛のものもあるから、
ぜひ日本でもアイディアがあったら
つくってくれということがスタートでした。
カシミヤの毛をつむいで、
織るところまではモンゴルでやり、
その布帛をきれいに仕上げする工程は、
いちど日本に運んで、
大阪にある工場に託します。
それでまた仕上がったものをモンゴルに送って、
縫製をする。手間がかかってるんですよ。
──
デザインは東京で。
金子
そうですね。Harrissのテーマが、
「価値あることは時間も手間もかかること。」
ですから、時間をかけてものづくりをしています。
各生産の背景をキチッともってて、
もともといいものがつくられてるところに、
日本のアイディアを入れて、かたちにして
日本に出していこうと。
──
金子さんは
「Harrissらしさ」って、何だと思われますか?
金子
そうだな‥‥、
Harrissを神宮前で立ち上げたのと同時期に、
同じくフランスにあった
「HEMISPHERES(エミスフェール)」
っていう店をやっていたんです。
これがパリの16区にある
パッシーっていう通りのところにあったお店なんですけど、
当時のセレクトショップの走りです。
ここはメンズとレディースを半々で展開していました。
いま、Harrissのデザインを担当している
今入(今入幸江さん)が
その当時、HEMISPHERESのレディースの
デザインをやってましたんで、
その影響はかなりあると思います。
そちらはとくにエスニックを感じるラインナップでした。
その匂いを、クオリティを含めて引き継いでいるのが
今のHarriss、とくにHARRISS GRACEだと思います。
──
HEMISPHERES、今は‥‥。
金子
お店がなくなっちゃったんです。
パリでも、
HEMISPHERESもHarrissもなくなってしまった。
HEMISPHERESは日本店も閉めたけれど、
Harrissはそのテイストを引き継いで
今もある、ということですね。
そのなかに、HARRISS GRACEは
素材的にもグレードをちょっと高めのものをもってきて、
Harrissはどちらかというとリーズナブルな展開です。
妹バージョンですからね。
──
金万としては、さらに新しい展開を
考えてらっしゃるんでしょうか。
金子
新しいブランドということですか。
こういう時代ですから、
新しいことを立ち上げるよりも、
中身を濃くしていくことに注力していますね。
オンリーワンのものづくりをしたい。
──
ありがとうございました。お話をきけてよかったです。
ところで今、マダム・ハリスはどうなさってるんですか?
金子
引退されて悠々自適にやられてるはずですよ。
──
おもしろいでしょうね。
自分が考えたことが日本にこうやって残ってるって。
金子
そう。
Harrissは、タグにずっと
PARISの文字を入れているんです。
パリで生まれたという、
血統書のようなつもりで。
──
あの、もうちょっとお聞きしてもいいでしょうか。
金子社長は、どういう来歴の方なんですか?
金子
来歴?(笑)
僕はもともと青山うまれで、
小学校は青小、青中。
そのあと鎌倉で育ちました。
大学は東京です。
卒業するとき、就職が決まっていたんですが、
兄がやっていたSTOCKMANっていう会社から
「アメリカに行かないか」と。
「どうすんの?!」と訊いたら、
「アメリカから商品を買い付けて、
ウチの会社に送ってくれないか」と言われました。
学生時代、僕はアメリカが好きで、
グレーハウンドバスに乗って、
『真夜中のカウボーイ』みたいに、
貧乏旅行をしていたんですよ。
──
それは‥‥ちょっと危険な時代ですね。
金子
そう、危険なこともいっぱいありました。
でね、決まっていた就職をお断りして、
アメリカに行くことにしたんです。
STOCKMAN USAっていう会社を向こうでつくりました。
──
いきなり!
金子
若いからできたんですけどね。
6年間、向こうで会社やってました。
──
洋服の買い付けですね。
金子
カウボーイブーツから、洋服から。
当時だとやっぱり一番多かったのが
リーバイスのジーンズ。
──
いい時代ですよね。
飛ぶように売れたでしょうね。
金子
一番売れたのが、渋谷にお店を出したとき、
第一次サーファーブームで、
女の子のサーファーガールのウェアがあるんですよ、
それがロサンゼルスの問屋街に売っていた。
それを輸入したのが、爆発的に売れました。
だから僕はずっと洋服屋一本で、きているんです。
──
金万を立ち上げたのは。
金子
76年から82年までアメリカにいまして、帰ってきて、
ウチの兄の会社で一緒にやろうかって言われたんですけど、
そのときウチの兄の会社は
ヨーロッパのものの輸入をしてまして、
今までの流れでアメリカものを
やっといたほうがいいっていうことで、
別の会社をつくったんです。
83年で2月に金万っていう会社を立ち上げ、
以来、こんにちまで、ですね。
そこで最初に扱ったブランドが
Harrissだった、ということになりますね。
──
なるほど‥‥。
金子さんという方がいたから、
いま、こうしていろんなブランドが
世界中から集められて、
手に取ることができていると、
よくわかりました。
なんか元気になりました、お話しして。
気持ちのいい場所ですし。
金子
ここ、いい気が流れてるでしょう?
またぜひ、遊びに来てください。
──
ありがとうございました!
(おわります)
2019-11-17-SUN