映画監督・三宅唱さんの最新作『旅と日々』は、
つげ義春さんの『海辺の叙景』と
『ほんやら洞のべんさん』を原作に生まれました。
行き詰まった脚本家が旅先での出会いをきっかけに、
ほんの少し歩みを進める──
旅が日常的だったつげ義春さんの“感じ”を表すような、
圧巻の景色と映画の情緒。
「映画を観ていて、たまらなかった」と
感嘆した糸井は本作をどう観たのでしょうか。
ふたりの対話は、まったくあたらしいものを生むことが
難しい時代のものづくりを考える時間でもありました。

>三宅唱さんプロフィール

三宅唱(みやけ・しょう)

映画監督。1984年、北海道生まれ。
映画美学校フィクションコース初等科終了後、一橋大学社会学部を卒業。
長編映画『Playback』がロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門に正式出品されると、『きみの鳥はうたえる』『ケイコ 目を澄ませて』などで注目を集める。『夜明けのすべて』はベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、国内の映画賞を席巻。星野源のMV「折り合い」を手がけるなど、幅広い映像分野で活躍する。

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05 “そいつ”がいちばん厳しい。

三宅
脚本家である自分と撮影現場の監督、
場合によっては編集者としての自分は、
同じようでぜんぜん違います。
全部自分がしたことなんだけれど、
まるで他人のように「なにやってんだ!」って
編集室で思うこともあります。
糸井
映画をつくっている最中は、
自分の中に何人もいるんですか。
三宅
そうですね。
ふだんはお互いがもっと戦っている感じなんですが、
今回は夏の撮影と冬の撮影、
2回にわけて撮っていて、
そうすると撮影が約半年間あくので、
その間に夏の反省と冬の準備ができました。
そこで、もう一度つげさんのマンガを読み直して、
ゆっくり考えられる時間があったことで、
撮影現場や編集室で慌てることはそうそうなかった。
創作過程としてものすごく贅沢でした。

糸井
ふつうは違うわけですもんね。
三宅
だいたいの映画は、
撮り始めたら最後まで休みなく駆け抜けます。
糸井
夏の場面が「ものすごくうまくいった」と
思ったまま撮影が最後まで進んだら、
かえってつくるのが難しかったかもしれませんね。
三宅
はい、言葉を選ばずにいうと、
夏の撮影が終わったときに「ものすごくうまくいった」
とは思わなかったんです。
それは、あくまで自分自身の問題で‥‥
じつは撮ったけれど使ってないシーンもあります。
糸井
ほお。
三宅
最終的にできあがった夏編は、
ものすごくうまくいったと思っていますが、
夏編を撮り終えた時点では
「自分には見えていないものがたくさんあった」
という反省というか、発見ばかりで。
そこで、撮ったものを見直したり
マンガを読み返したりして、
かなり冬編を書き直したんです。
糸井
自分には見えていないもの、ですか。
三宅
たとえば映画の冒頭を撮ったときに、
脚本だと「車の中で女が寝ている」
くらいしか書いていなかったんです。
でも、いざ撮影してみると、
波の音は聞こえてくるし雲は流れているし、
脚本以上のことがたくさん映ってきて。
「これが映画だ」っていうものだらけでした。
糸井
だらけだったと思います。
お客さんもそれを感じていますよ、きっと。
三宅
こんなにもいろんなものが映画に映るんだというか、
逆に脚本で用意しすぎた、と思ったんです。
シーン2や3で撮ろうと思っていたモノが、
シーン1で映っちゃった。
となると、シーン2や3は編集でムダになる。
そういう反省が夏の撮影後にあったので、
冬編では脚本の時点でシーンを精査できました。
糸井
夏と冬のあいた時間がよかったですね。
三宅
当時は苦しかったですけどねえ‥‥(笑)。

糸井
脚本家っていう役割の方が、
言ってみれば戦略家ですよね。
ここで、こうしてこうなるはずだ、
と組み立てる仕事ですから、
つまり神的なことをやってるわけですよね。
三宅
神であり、同時にもっとリアルというか、
撮影現場の労働量のコントロールもつかさどっています。
スタッフの起床時間や睡眠時間が、
脚本によって変わってしまうので、
書いている神は、けっこうビビっています(笑)。
糸井
お金にも関わってきますしね。
三宅
まったくその通りです。
糸井
ぼくの社長業みたいなものですね。
三宅
やったことがないので想像ですけど、
そうかもしれないですね。
糸井
社長という立場になると、度胸がなくなるんです。
「俺が決める」みたいな強さがあるけれど、
一方で「ここまでさせるのはな‥‥」
「こんなに早く起こすのは可哀想だな」と、
かっこよく言えばやさしさが出てしまう。
三宅
それはよくわかります。
自分はめんどくさがり屋の人間なので、
無駄働きが嫌いだし、
周りに無駄働きをさせたくない。
でも、生半可にやさしくしすぎて
必要なものを撮らなかったら意味がないですから、
そこは「よし」って気合いを入れて、
べん造(堤真一)と李が
寒い川の中を歩くシーンをがんばって書く。
大変そうだな、と思うけれど書くんです。
糸井
思えば、マンガ家はひとりで全部やってますね。
自分で脚本を書いて、自分で絵を描く。
三宅
きっと「うわー、俺このコマ描かなきゃいけないんだ」
って思うことがありそうですよね(笑)。
糸井
きっとあると思います。
とくにつげさんの場合は同じコマを描かないし、
アシスタントもいれてなかったんですよね。
三宅
ときにめちゃくちゃ大胆だったり、
突然シンプルな顔になったり。
糸井
文字だけ、なんていうコマもね。
三宅
なのに「畳、そんなに描くの?!」
っていうコマもあるじゃないですか。
糸井
あるある(笑)。
映画監督はそうはいかないですね。

三宅
いかないですね。
そこにあるものは全部等しく写っちゃうし
ないものはないし。
映画は一人じゃなく、
みんなでそれをやるわけなので。
糸井
でも、蓋を開けてみたら、
脚本家が心配していた以上に
「お前らやるじゃないか」っていう景色が
広がっていることがあるんですよね。
三宅
そうなんです。
それは、監督としてものすごくうれしいです。
糸井
やっぱり、本体は監督ですか?
三宅
監督も脚本も編集も大事なので、
ちょっとわけられないですね。
糸井
さらにいうと、観客としての自分もいるでしょう?
映画を観ておもしろがっている自分が。
三宅
いますね。
ああ‥‥ずっといるのは“そいつ”かもしれないです。
糸井
そうですか、観客の自分がずっと。
三宅
はい。最近、あたらしい映画の脚本を書いているんですけど、
書いているときは「この情報を前フリにするか」
「こんなこと言わないよな」といろいろ考えますけど、
翌朝、読者として脚本を読んだときに感じる
おもしろいか、おもしろくないか、
という感覚を大事にしています。
なので“そいつ”は脚本・監督・編集、
どんなときもずーっといます。
それで映画が完成して、最後の最後に
「ああ、おもしろかった」って言うんです。

糸井
“そいつ”、いいですねえ。
三宅
いいですよね、捨てたくないです。
映画祭に行っても別に緊張もせず、ただ楽しく、
「いやあ、おもしろいな」と思っているときの自分は、
“そいつ”になってますね。
糸井
ぼくも、ちょっとそれに近いタイプです。
自分がつくったものを平気で褒めますし、
“そいつ”がいなかったら、
なにもしたくないかもしれませんね。
だって、ものづくりは大変なことばっかりだから。
三宅
そうですね。
“そいつ”は良くないも誰よりも知っていて、
きっといちばん厳しい存在だと思います。

© 2025『旅と日々』製作委員会 © 2025『旅と日々』製作委員会

(つづきます)

2025-11-11-TUE

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  • 映画『旅と日々』

     

    強い日差しが注ぎ込む夏の海、雪荒ぶ冬の山。
    息を呑むようなうつくしい景色に
    佇む人々の小さくて大切な日常の歩みが、
    しっかり映し出されている映画です。

    原作は、つげ義春さん。
    フランスのアングレーム国際漫画祭で
    特別栄誉賞にかがやき、
    「マンガ界のゴダール」と評されます。
    原作となった『海辺の叙景』と
    『ほんやら洞のべんさん』、
    そして日常的に旅をしてきた
    つげさんのエッセンスが汲み取られ、
    映画になりました。
    独特な静けさを持った作品世界をつくりあげるのが、
    俳優シム・ウンギョンさんや堤真一さん、
    河合優実さん、髙田万作さんといった俳優陣です。
    ぜひ劇場で、音とともにお楽しみください。

    11月7日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国ロードショー

     

    旅と日々の劇場情報は公式サイトよりご確認ください。
    監督:三宅唱
    出演:シム・ウンギョン、河合優実、髙田万作、佐野史郎、堤真一
    配給:ビターズ・エンド ©2025『旅と日々』製作委員会

     


     

    連載「俳優の言葉」では『旅と日々』主演の
    シム・ウンギョンさんにお話をうかがいました。