昨年、一昨年とたいへん好評いただいたので、
ことしもやります、年末年始の恒例企画、
「私のほぼ日プレイリスト」。
ほぼ日刊イトイ新聞の膨大なアーカイブの中から、
「音楽のプレイリスト」をつくるみたいに、
おすすめコンテンツを選んでしまうこの企画、
今回の選者は、ほぼ日刊イトイ新聞の読みものを
編集している、10人の書き手の乗組員です。
ということで、3年目のテーマは「自薦」!!
24年のほぼ日ヒストリーの中から、自ら担当した、
とっておきのコンテンツをたっぷりご紹介します。
12/26(月)から1/5(木)まで11日間の毎日更新。
この年末年始に、どうぞおたのしみください。

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5 奥野武範のプレイリスト その2 2022-12-30-FRI

たまに読み返すインタビュー。その2

こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。

昨日にひきつづきまして、
たまに読み返しているコンテンツから、
いくつかご紹介いたします。

公開から時間を経たものもありますが、
「いつまでも読める」のが、
ほぼ日の記事の特徴だと思っています。

たぶん「100年後」とかでも、ぜんぜん。

だから、これからも、何十年後でも、
思い出したら
いつでも読みに帰って来てくださいね。

 

インタビューをまとめるとき、
話の流れや場の雰囲気で出たであろう
乱暴気味な言葉遣いや
勢いあまった語尾を「まるくする」のは、
ふつうの編集作業です。
でも、柄本さんのインタビューで
それをやったら、
スッ‥‥と柄本さんの顔が消えたんです。
そこで、語尾や言い回しは
ほとんどそのままにせざるをえなかった。
俳優の言葉というものは、
それがほんの些細な語尾であろうとも、
(ほんの些細な語尾だからこそ?)
編集者の好みや都合で
勝手に変えられないんだと知りました。
このときの経験からうまれたのが、
「俳優の言葉。」というシリーズです。
なお、連載している最中に
「インタビューアが怒られてる!」
みたいなツイートを見かけたんですが、
別に怒られていません(笑)。
柄本さんの顔が消えないように、
ぶっきらぼうな語尾だとか言い回しを
そのままにしているので、
なんか、そんな感じが出ちゃったのかも。
やさしかったです、柄本さん。

 

この、ちいさなインタビューの冒頭で、
山口さんは、
「技術とは、つくり手の意図するところへ、
見る人を
すうーっとじかに導いてくれるもの」
「磨けば磨くほど、透明になっていくもの」
と、おっしゃっています。
池松壮亮さんのときみたいに、
いきなりクライマックスが来るパターンで、
こっちは
気づかないうちに袈裟斬りされていた感じ。
10年も前の記事ですけど、
いまだに、たびたび掘り起こされては、
ツイートされたりしています。
それも、絵画や美術に関わる人だけでなく、
他のさまざまにクリエイティブな
職業人に読まれている気配があります。
創作論の心臓を突いているからだろうなと、
担当者としては思っています。
そして「仕事」とは、
そこに「自分なりに創意工夫する余地」が
少しでもあるならば、
すべて
クリエイティブな営みだろうと思うのです。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチがだいすきで、
その研究に
人生のほとんどすべてをささげてきた、
向川惣一さん。
レオナルド・ダ・ヴィンチと
まったく同じ誕生日で、
しかも
きっちり500年後にお生まれになった、
まるでダ・ヴィンチの
生まれ変わりのような向川さん。
周囲の仲間たちから、親愛の情を込めて
「ダヴィンチ研究の奇人」
と呼ばれて慕われている向川さんに
インタビューさせていただきましたが、
おっしゃっていることの大半が、
何でしょう‥‥
わたしのようなふつうの人には、
とうてい理解の及ばぬ緻密さと壮大さで。
でも、なぜだか、心に響いてくるんです。
論理とか辻褄とかを飛び越えて、
あ、レオナルド・ダ・ヴィンチさんって、
こんな人だったのかも‥‥って。
言ってることが異端すぎて、
学会などとは縁遠いとおっしゃいますが、
向川さんのお話を聞いて、
自分は、遥かなるダ・ヴィンチその人に
思いを馳せることができました。
編集するのにえらい時間がかかりました。

 

広告界で活躍している瀧本幹也さんには
これまで、何度か
インタビューさせていただいていますが、
お話をうかがっていて思うのは
「瀧本さんチームって、現場で
さぞかし、頼りになるんだろうなあ」
ということです。
実際、ほぼ日のギャラリーで
瀧本さんの展示をさせてもらったときに、
瀧本さんチームの
発想力・解決力・筋力が、
めちゃくちゃ頼りになったんです。
メンバーの統制が取れていて、
みるみる
理想の会場をつくりあげていくんですよ。
ぜんぜん軍隊っぽくはないんですけど、
「瀧本軍」と呼びたくなるほど。
で、その「理想」にたどりつくために、
考え出すアイディアに感心しちゃう。
こういう絵が撮りたい、
じゃ、どうすれば実現できるかを考えて、
ずんずん行動に移していくんです。
何というか、道筋を
現場で見つけ出していく感じが、すごい。
ご自身でOKを出しちゃう(!)という
長嶋茂雄さんを撮ったときの、
若き瀧本さんのアイディアが痛快でした。

 

よく晴れた秋の日の午後、
辰巳さんの鎌倉のご自宅にうかがって、
ゆっくりお話をうかがいました。
辰巳さんの言葉は、辰巳さんのつくる
いのちのスープみたいに、
身体と心に染み込んでいく感覚があり、
とにかく、表面的な言葉以上に、
さまざまなことを教わった気がします。
「こんなに便利なミキサーがあるのに、
何だってね、
わざわざ苦労して、すりこ木ですって、
裏ごしをするんですかと聞かれます。
でもね、ミキサーというのは
どこまでいっても単なる『粉砕』なの。
ただただ、細かくするだけ。
でも、すりこ木ですったり、
裏ごししたりするのは、
何というか、一種の『融合』なんです」
文化は、「手仕事」がつくる。
あの日、辰巳さんが教えてくださった
大切なことのひとつです。

 

自分のおばあちゃんと、
そのおばあちゃんと同居する従兄弟の
大輝さんを撮り続けた、吉田さん。
ふたりの日常は、
不意に終わりを告げることになります
‥‥って書くと、あまりに
吉田さんの写真に写った「不在」のことを
説明していません。
とにかくいちど、読んでほしいので、
詳しく書くのはやめますが、
ひとつ、
最初に何の説明も聞かずに見た写真が、
事情を知ってから見返したら、
まったく別の写真に見えてきたのです。
写真は好きでよく見るんですが、
こういう写真体験は、はじめてでした。

 

マリリン・モンローや毛沢東などの
歴史上の有名人から、
ダ・ヴィンチやゴッホ、マネなどなどの
歴史的な名画に扮した
セルフポートレイト作品で知られる、
美術家の森村泰昌さんに、
いまさらですが
「なぜそんなことをしてるんですか」
と聞きに行ったんです。
が、もちろん話はそこにとどまらず。
白眉は第5回。
ゴッホはどうして、あんなにもたくさん
自画像を描いたと思われますか‥‥
という質問に対する、
森村さんの答えが、すさまじまった。
自分もゴッホのことが好きで、
ゴッホ本は
わりに読んでるほうかなと思うんですが、
「なんであんなに自画像を」
については
「モデルを雇うお金がなかったから」
みたいな説明が多いんです。
森村さんの答えは、次元がちがいました。
森村さんを一躍有名にしたのは
他ならぬ「ゴッホの自画像」に扮装した
ポートレイト作品ですが、
つまりは、ゴッホ本人になりきって、
ゴッホの気持ちになったことのある
森村さんだからこそ、
あんな答えにたどり着けたんだろうなと。

 

まだ「建築家」ですらなかったくらいの
ものすごい若いときに、
エストニア国立博物館のコンペで
「勝っちゃって」、
建築家としてのキャリアを歩みはじめた
田根剛さん。
インタビューをさせていただいた場所は、
田根さん設計で、
フランスの
国外建築賞のグランプリを受賞した
弘前れんが倉庫美術館です。
同世代の星、
国内外で大活躍している田根さんに
「建築の主役って、誰なんでしょう?」
と聞いてみました。
住む人なのか、使う人なのか、
お金を払った人なのか、
設計した人か、
はたまた、実際に建てた人なのか‥‥。
田根さんの「答え」はどれでもなくて、
思いもよらなかったけど
「なるほど~!」と、おもしろかった。
こんど建て変わる帝国ホテルの設計も
田根さんですが、
完成するのは「2036年」だそうです。
ずいぶん先ですけれど、
そのときにまた、
話をうかがってみたいなあと思います。

 

これ、じつは
「おしゃべりとインタビューの中間」
みたいな録音を、
ずいぶんあとから記事にしたんです。
はっきりと「インタビューですよ!」
って感じじゃなく、
でも、単なるおしゃべりでもない。
具体的には、おおむね第2回目以降が、
メインの取材が終わったあと、
適当に雑談している部分なんです。
だから、いつも以上に、
どっちに転がってってもまあいいやと
放置してるんですが、
視界の片隅の録音機の存在によって、
かろうじて
グダグダにはなっていないという、
へんてこりんなコンテンツなんです。
雑談にはコンセプトとかないんで、
うまいタイトルもつけられなくて、
主に出てきた3つの話題を、
ただ順番に並べているだけっていう。
だけど、妙に気に入ってるんですよ。
思い出しては読み返してます。
こういうコンテンツ、
もっとやりたいなあと思っています。

 

大学の恩師にインタビューした記事。
当時、学生たちに
「鬼」と呼ばれていた先生なので、
めっちゃくちゃ勇気を出しました。
坪井先生には
都合4年間お世話になったんですが、
こんなに長くお話したのは
思えば、はじめてだったと思います。
関係性が変わると、会話も変わる。
先生と学生の関係のときは、
こんなこと聞く機会なかったよなあ、
みたいなことも聞いてます。
たとえば、第2回の最後。
教えることのおもしろさ、について
質問しているんですけど、
先生の答えに、本当に、おどろいた。
そして、いまでも涙腺が緩みます。
先生という人たちは、
こんな気持ちで、
ぼくら学生たちに向き合って、
いろいろ教えてくださっていたんだ。
当時は、そんなこと、
まったく気づいていないバカでした。

 

今回、挙げているコンテンツのなかでは、
唯一インタビューの形式ではなく、
レポートのような体裁をとってます。
ザックリ言うと、
就職の面接に落ち続けて、
就職活動に悩んだ京都大学の学生が、
糸井重里に
「ぼくを『面接』してください。
そして、そのようすを、
ほぼ日のコンテンツにしてください」
と連絡してきたことに端を発する、
1年4ヶ月のドキュメンタリーです。
これ、記事を書いているときは、
われながらピンと来てなかったんです。
いま書いてるこの記事が、
おもしろいのかおもしろくないのか。
どっちかっていうと、
ぜんぜんおもしろくないんじゃないか、
と思いながら、
でも、そうだとしてもいいや、
志谷くんに満足してもらえればそれで、
みたいな気持ちで書いてたんです。
でも、公開してみたら、
何だかもう、すごい反応がありました。
自分が担当した記事の中では、
閲覧数とかで言うと、
いまだに、これがトップだと思います。

(つづきます)

2022-12-30-FRI

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