さあ、冬季五輪です。今年はイタリア。
ミラノとコルティナダンペッツォ(長い!)で
2月6日から2月22日まで開催されます。
かつては膨大な量のメールを
狂気じみた長さで翌日に掲載していた
「観たぞオリンピック」シリーズですが、
東京オリンピックでその形式は終わり、
その後に開催されたオリンピックからは、
ぼくが1日に1本、原稿を書く
というスタイルでひっそり続けています。
あ、ぼくというのは、ほぼ日の永田です。
さて、今回のオリンピックでは、
さらにのんびりと、書けたら書きます、
というくらいの感じで行きたいと思います。
そしてリアルタイムの観戦実況的な発信は、
Xの「#mitazo」をご覧ください。
さあ、はじまったらはじまっちゃうよ?
開会式から閉会式まで、よろしくお願いします!

 

永田のX(旧Twitter)アカウントはこちらです。
>@1101_nagata

感想のメールはこちらからどうぞ。
>メールを送る

前へ目次ページへ次へ

#07

勝ち負けについて考えるとき思い出すこと

 
スポーツを観る、というのは、
基本的に勝ち負けを観るということで、
当然のことながら、ぜんぶ勝つわけじゃないから、
負けるのをたっぷり観ることになる。
ことオリンピック観戦ということに限るなら、
ほとんど負けばかりを観ることになるといっていい。
私たちは負けるところを観るために夜ふかしし、
負けるところを観るために目覚ましをかける。
友だちの誘いを断って負けるところを観て、
負けるところを観るときのために夜食を準備する。
リモコン片手にチャンネルを切り替えながら
複数の負けるところをほぼ同時に観る。
仕事中にスマホでこっそり負けるところを観る。
ニュースで負けるところを観る。
LIVEで負けるところを観たりする。
スーパースローで負けるところを観る。
過去のなつかしい負けるところを観る。
LIVEで負けるところを観ているつもりが
じつはそれは録画の負けるところで
なんだこれ録画の負けるところじゃないかなどと言う。
ちがう。そういうことを書きたいんじゃない。
ごめん、なんかおもしろくなって書いちゃった。
やあ、みんな、負けるところ観てる?
思ったのは、金銀銅という3つのメダルがあるのって、
スポーツ観戦における大発明だなということだ。
だって考えてもみてほしい。
これがもしも金メダルしかなかったとしたら?
一等賞にメダルをあげる。以上。
むしろスポーツのイベントとしてはそのほうが自然だ。
しかし、もしもそうだったら、
人類が得るオリンピックのよろこびの総量は
いったいどれだけ減ってしまうことだろう。
表彰台に上がるのもひとりだし、
メダル確定! なんていうよろこびもなくなるし、
3位決定戦は盛り上がらなくなるし、
メダルラッシュなんてそうとう難しいことになるし、
朝起きたらメダルが増えてました、
みたいなこともすくなくなるだろう。
マルケル・フェルプスの首にじゃらじゃらとかけられた
メダルの数も激減してしまうはずである、
と書こうと思って調べてみたら、
フェルプスが獲得した28個のメダルのうち
金メダルの数は23個だったから、
あんまり減らないじゃないか
なんだよフェルプスやっぱり化けものだな。
ていうか、もしも銅メダルと銀メダルがなかったら、
マイケル・フェルプスのようなとんでもないアスリートと
同時代に生まれたというだけで
ずっと手ぶらで帰ることになっただろう。
それが勝負というものだと割り切ることもできるが、
すくなくともスポーツを観る立場からすると、
そこに3つの色があるのはものすごくうれしいことだ。
なぜなら、おおらかにとらえれば、
それは「3つの勝ち」であるといえるからだ。
かといってこれが5つとか7つとかに増えるのもよくない。
アルミメダルとか鉄のメダルとか色がありすぎると
よろこびの輪郭もきっとぼやけてしまう。
いやあ、そう考えると、金銀銅という
3つのメダルを授与するシステムはたいへん優秀である。
クーベルタン男爵はすごい発明をしたものである。
クーベルタン男爵がカードゲームをしながら
片手でかけられるメダルはないだろうか?
と所望されたので考案されたのが金銀銅のメダルである。
そういうわけのわからんことを延々と書いているのは、
昨夜の女子モーグルの決勝で
冨髙日向子選手が3位と同点でありながら、
構成点のうちのターンの点数で劣っていたため
4位となってメダルを逃したということについて、
ついついいろいろと考えていたからである。
3つのメダルはスポーツ観戦者のよろこびを豊かにしたが、
3位と4位のあいだにおおきな隔たりをつくったともいえる。
つまり、メダルがあるのとないのじゃ大違い、ということだ。
しかしそれは本質的なことではないはずだ。
スポーツにはルールがあって、
そのルールによって順位が決まる。
たとえポイント数で同点でも、
「同点の場合はここで判断する」というルールがあれば、
それによって順位が決まる。
その順位が3位ならメダルがもらえるし4位ならもらえない。
ほんとうは、ただそれだけのことである。
4位だからメダルがもらえなくて悔しくなったりするが、
そもそも7位も9位も14位もメダルはもらえないのだ。
だから、3位と同点なのにメダルがもらえないのはおかしい、
と感じてしまうのは、完全に、こっちの勝手な話である。
まあ、そう思えちゃうのもわからなくもないというか、
実際、ぼくもその瞬間は、えっ、マジかよと思ったけど、
9位なら悔しくないけど4位なら悔しいぞ、
というのはやっぱりへんだろう、俺。
そういう状況に輪をかけて、
じつは、昨夜の女子モーグルを観ていた私たちの心理は
よりややこしく、ぐらぐらと揺さぶられていた。
観ていない人のために説明しよう。
ちょっとややこしいけどついてきてくださいね。
冨髙選手が決勝のすべりを終えて78.00ポイントで
その時点では2位だったラフォン選手と同点となったとき、
画面にはすぐに「3位」と表示され、
実況と解説の方がすぐに上に書いたようなルールを用いて
同点だけど3位なのだ、ということを説明した。
観ていたぼくらは「なんだよそれ」と感じはしたけど、
まあそのへんのことは深く考えないでおこうと思った。
なぜかというと、冨髙選手の滑走順は6番目で、
まだふたりの選手が滑っていなかったからだ。
そしてそのふたりの実力はとても高く、
予選の成績から考えると、
おそらく上位に食い込むだろうと予想された。
つまり、いまの冨髙選手は
「2位と同点だけど3位」だけれど、
ふたりの実力者の得点がその上をいけば、
「4位と同点だけど5位」となり、
まあ、どっちにしてもメダルには届かなかったね、
ということになりそうだったのだ。
実際、つぎに滑ったカウフ選手は2位になり、
冨髙選手は「3位と同点だけど4位」になった。
最後はオーストラリアのアンソニー選手で、
彼女は北京オリンピックの金メダリストであり、
今季のワールドカップでも優勝している、
もっとも安定した実力者である。
ところがその優勝候補筆頭のアンソニー選手が、
雪のこぶにスキー板をとられてコースを外れた。
モーグルという競技はその瞬間に
高い点数が出ないということが観る者にもわかる。
それで、にわかファンの混乱がはじまった。
つまり、さっきまでは悔しがらなくてよかったのに、
アンソニー選手がミスしたことにより、
「4位と同点だけど5位」だとあきらめていたものが、
「3位と同点だけど4位」になり、
悔しさが転がり込んできたかたちになったのだ。
もう、じつになんというか、おかしな話でしょう?
「4位と同点だけど5位」だから悔しくなかったのに、
「3位と同点だけど4位」になったから、
「3位と同点だけど4位?!」って
急に悔しくなっちゃったんですよ。
深夜にいったいぼくはなにを書いているのでしょうか。
もちろん、冨髙日向子選手本人が、
メダルに手が届かなかったことを悔やむのはいいと思う。
けれども、観るほうが、気持ちをふらふらさせるのは、
なんというか、自分勝手すぎるでしょう、俺よ。
この例はいろいろと特殊だけれど、
オリンピックを観ていると
そのあたりの複雑な気持ちは観ているぼくらのなかに
やっぱりいくらか混ざってきて、
選手でもないのに引きずってしまったりする。
ほんとうは、応援する選手だけに拍手を送ればいい。
けれども、勝利というのは相対的なもので、
相手が上回ればどんなによい結果が出ても
負けてしまったりする。
ほんとはそれでもいいんだけどね。
とりわけ、メダルというものがからむと、
届くと思っていたものが
両手からすり抜けていったりすると、
観ているぼくらはどうしてももやもやしてしまって、
ややもすればルールやジャッジのほうを
疑いたくなったりしてしまう。
あるいは、相手の選手がベストのパフォーマンスを
出せないことを願ってしまったりする。
そんなとき、ぼくは、いつも思い出すことがある。
以前のオリンピックのコラムでも書いたと思うけど、
それは、北京オリンピックで、
宇野昌磨選手が銅メダルをとったときのことばだ。
試合のあと、金メダルをとることについて質問された
宇野昌磨選手はつぎのように答えた。
「この大会で金メダルを取るのを目標にすること自体が、
自分の成功じゃなく、
ネイサン選手の失敗を願うことと一緒だと思っていたので、
それ(自分が金メダルをとること)は
まったく考えてなかった」
オリンピックで全身全霊をこめて
パフォーマンスしたばかりの選手が、
「ライバルの失敗を願うことになるから、
金メダルをとることは考えない」と
当たり前のように言ったのだ。
ぼくはしばしばこのことばを思い出す。
なんなら、日常生活においても拠り所にしたりする。
そんなのただのきれいごとだろ? なんて、
自分のこころにつっこみが入りそうなときも、
「北京の宇野昌磨のコメントを思い出せ」と自分に言う。
スポーツを観ることは、
スポーツを観ていないときの自分にも
影響するのだということを、
スポーツを観ることを好きな人ならわかってもらえると思う。
WATCHING SPORTS COLORS YOUR LIFE.
女子モーグルの冨髙日向子選手の話に戻るなら、
彼女は昨夜、ほんとうに
すばらしいパフォーマンスをしたということだ。
上村愛子さんを応援し続けた古いファンならわかると思う。
モーグルという「一発勝負!」としか
いいようのない競技の厳しさを。
あのでこぼこしたコブの上を、
両膝をそろえながら高速で降りてくることの難しさを。
そのうえエアをふたつ決めて、
しかもスピードも得点に影響する。
メダルはぎりぎりで逃してしまったけれど、
「3つの勝ち」に手が届くほどのよい滑りをしたのだ。
きっと彼女はもう、
つぎの競技であるデュアルモーグルのほうを観ている。
それをぼくもしっかり応援したい。
もやもやしている場合じゃない。

(つづきます)

2026-02-12-THU

前へ目次ページへ次へ