江戸時代の京都では、
子犬の絵が大流行していたそうです。
円山応挙、長沢蘆雪、伊藤若冲といった
京都の画家たちは、
元々あった型にとらわれずに
子犬を「かわいく」描きました。
江戸時代の子犬の絵が
「かわいい」子犬の絵になるまでの歴史を
府中市美術館学芸員の
金子信久さんに教えてもらいます。

>金子信久さんプロフィール

金子信久(かねこのぶひさ)

府中市美術館学芸員。江戸時代の絵画史専門。
「かわいい江戸絵画」や「へそまがり日本美術」
「かっこいい油絵」などの展覧会を企画。
犬も猫もどちらも好きなので、
「犬派か猫派か?」の質問はちょっと苦手。

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第4回 仙厓さんの子犬は問う

金子
今日はもう一人、重要な江戸時代の子犬描きを
紹介したいと思っています。
それは仙厓義梵(せんがいぎぼん)です。
禅のお坊さんなので、名前が特徴的です。
博多に聖福寺という大きな禅寺がありますが、
そこの住職を務めた、
禅宗の歴史の中では大変重要なお坊さんです。
庶民にすごく親しまれて、
「仙厓さん」と呼ばれていたと言われていますね。
仙厓さんの子犬の絵に、
「狗子仏性画賛」というのがあります。
「狗子仏性(くしぶっしょう)」というのは、
禅の言葉です。

金子
「狗子」は犬のことですね。
「仏性」とは「修行すると仏になれる素質」のことです。
「狗子仏性」とはこんな話のことをいいます。
趙州和尚という古い時代のお坊さんに、
あるとき弟子が
「犬にも仏性があるんですか?」と聞きます。
つまりこの質問は
「犬も修行をすれば仏になることができるんですか?」
という意味です。
もっと平たくいうと
「犬も人と同じような心を持っているんですか?」
という質問に置き換えてもいいと思います。
そうすると趙州和尚は「無」、
つまり「ない」と答えたという話なんです。
禅では、この2人のやりとりをどう考えるかが
修行のひとつになっています。
仙厓和尚が描いたこの作品は、
右下のほうに小さく描かれているのが子犬、
一番右にいるのが趙州和尚です。
その隣にこんな漢詩が書いてあります。
「狗子仏性、この無を言うなかれ、
風吹いて瀝々(れきれき)、東壁の葫蘆(ころ)」
‥‥なんのことかよく分からないですよね(笑)。

金子
細かくお話していきますね。
「狗子仏性、この無を言うなかれ」は、
「『狗子仏性』という有名な話があるけれども、
「無」なんてそんなことを言わないでよ」
と。
「風吹いて瀝々、東壁の葫蘆」というのは
「ただ風が吹いて東の壁にはひょうたんが掛かっている」
と言っています。
仙厓さんは、
「趙州和尚は犬に心はないと言ったけれども、
そんなむずかしいことを考えるより、
ありのままの日常を大事にしなさい」
と教えたんだと思うんです。
犬の絵と結びつけて考えてみると
「目の前に犬がいる。
『心があるかどうか』という難しいことを
考えるんじゃなくて、それを『ああ、かわいい』
と感じる心を大事にしなさいよ」
ということなんだと、わたしは考えています。
金子
仙厓さんは「絵を見て、かわいいと思う
自分の気持ちを大事にしなさいよ」
という意味で、子犬の絵をたくさん描いてるんです。
これは一番有名な子犬の絵です。

金子
右上の文字は「きゃふんきゃふん」と書いてあります。
ただ、それだけの絵です。
一同
(笑)。
金子
いまだと「ゆるかわいい」と言われそうな描き方ですが、
仙厓さんのこうした絵には、実は禅のお坊さんらしい、
ちゃんとした思想があります。
仙厓さんの絵は、
上手い人からするときっと、下手な絵になりますね。
だけど、見た人はかわいいと感じます。
ということは、
「絵の上手い下手に、どういう価値があるの?」
と仙厓さんは絵で問いかけているんです。
金子
中国や朝鮮からの影響で生まれた子犬の絵ですが、
円山応挙(まるやまおうきょ)が
「かわいいキャラクター像」を発明して、
長沢蘆雪(ながさわろせつ)がそれを崩すことで、
さらに発展させた。
あるいは、仙厓さんというえらい禅のお坊さんが
禅の教えに結びつけて、かわいい子犬を描いた。
そう考えると、日本美術の歴史の中でも
子犬の絵っていうのは非常におもしろい意味を
持ってると思えてきます。
いずれにしても、わたしたち現代人が見ても、
古さではなくて、かわいらしさが
ストレートに飛び込んできますよね。
子犬の絵は新鮮なすばらしさを持っている
美術なんじゃないかなと私は思っています。

子犬キャラが用いられたのは、
掛軸だけではありませんでした。
応挙や蘆雪の活躍で、
子犬キャラが様々な分野で流行するんです。
たとえば、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の表紙は
子犬の話ではないのに子犬柄です。
おなじく「八犬伝」の登場人物を描いた
歌川国芳の浮世絵には
子犬柄の着物を着た武者が描かれています。
他にも、江戸中期から後期にかけて
子犬の根付も数多く作られました。
武具にまで、子犬をあしらったものがあります。

わたしたちも日々かわいいものに囲まれてますけど、
江戸時代の人も相当だったと思いますね。
なんかちょっと、うれしくなっちゃいませんか?

(明日はみんなで葛飾北斎の子犬の絵を描いてみます)

2025-05-08-THU

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    開館時間:午前10時~午後5時
    (入館は午後4時30分まで)
    休館日:月曜日(5月5日は開館)