江戸時代の京都では、
子犬の絵が大流行していたそうです。
円山応挙、長沢蘆雪、伊藤若冲といった
京都の画家たちは、
元々あった型にとらわれずに
子犬を「かわいく」描きました。
江戸時代の子犬の絵が
「かわいい」子犬の絵になるまでの歴史を
府中市美術館学芸員の
金子信久さんに教えてもらいます。

>金子信久さんプロフィール

金子信久(かねこのぶひさ)

府中市美術館学芸員。江戸時代の絵画史専門。
「かわいい江戸絵画」や「へそまがり日本美術」
「かっこいい油絵」などの展覧会を企画。
犬も猫もどちらも好きなので、
「犬派か猫派か?」の質問はちょっと苦手。

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第5回 北斎の子犬を描いてみる

金子
今日は第二部がありまして、
「子犬お絵かき」をやってみたいと思います。
おそらく、江戸時代にお絵かきが
流行していたと思うんです。
「おそらく」という
あいまいな言い方しかできないのは、
一般の人たちが描いたお絵かきが
残っていないからです。
そりゃ、残ってないですよね。
ではなぜ、流行したと想像できるかというと、
教科書がいっぱい出版されているからです。
江戸時代の有名な画家が手掛けた、
一般の人たち向けの絵の教科書が
たくさんあります。
今日はその中から葛飾北斎の
『略画早指南(りゃくがはやおしえ)』をつかいます。
北斎といえば『冨嶽三十六景』が有名ですが、
実は浮世絵の仕事をした一方で、
趣向を凝らした絵の教科書を、
いっぱいつくっているんです。
今日取り上げるこの本は
「すべて『ぶん回し』を使って描く」という
特徴があります。
『ぶん回し』は今でいう、コンパスのようなものですね。
こちらが『略画早指南』のページです。

金子
右がリスとぶどうの絵、
左下が親犬、上が子犬ですね。
北斎が描き方を説明していることがわかりますが、
なんて書いてあるか見てみますと‥‥

金子
「ぶんまわしにて子犬を描くのわり、
よくよくほんもんと引き比べ描くべし」。
つまり、
「右に描かれた完成作を見ながら
コンパスを使って描いてごらんなさいね」
という指導が入ってます。
それでは、みんなで描いてみましょうか。

△金子先生作のお手本。これを使って、参加者も先生といっしょに子犬を描いてみました。
△金子先生作のお手本。これを使って、参加者も先生といっしょに子犬を描いてみました。

金子
北斎は一時、こういう本の出版に
夢中になる時期があるんです。
本がたくさん出ているということは
それだけ売れていたということにもなりますね。
いまちょうど、大河ドラマで
蔦屋重三郎のお話をやっていますが、
画家と版元が一緒になって、
ヒット本を次々と考えていく時代です。
そうすると北斎みたいな人気者で
アイデア豊富な人っていうのは、
ひっぱりだこになりますよね。
「北斎先生、こういうのいっぱい出してくださいよ」
って、版元も依頼していたんだと思います。
想像ですが、
すばらしい浮世絵をつくることとは別に、
画家としての頭の中、
つまりアイデアを見せることは、
北斎にとっても
おもしろい仕事だったのではないでしょうか。
買うほうも
「ああ、北斎はこういうふうに描くのか」って、
手の内を見せてもらうのはおもしろかったはずですし。

──
ちなみに北斎は「かわいい絵」は
描いているのでしょうか。
金子
わたしの想像ですが、あまり「かわいい」に
興味はなかったと思います。
たとえばこの時代、
こどもをかわいく描くのが流行るんですけど、
北斎はあまり、かわいくこどもを描かないんです。
──
それは京都と江戸の違いでもあるんですか?
応挙や蘆雪は京都で、北斎は江戸の人なので。
金子
はい、それはあるかもしれません。
京都は応挙の影響がすごく大きくて
かわいい絵画がたくさんあります。
江戸はかわいいというよりは、おもしろい印象です。
──
その地域の人たちが求めていたものと
関係しているのでしょうか?
金子
そうですね。
江戸時代は京都、大阪、江戸が
文化的にかなり独立していました。
たとえば伊藤若冲が京都でどんなに人気があっても、
江戸にはほとんど影響がない、そういう時代なんです。
だから、どういうものが好まれたかというのも、
それぞれ町の特徴があるように思います。
こじつけになるかもしれないけど、
京都はお公家さんの文化の町で
江戸は武士の町、大阪は商人の町だったので、
そういう違いがあるかもしれませんよ。
──
‥‥そろそろ、みなさん終わったみたいですね。
先生はいかがですか?
金子
私はうまく描けませんでしたが、
北斎のお手本みたいなプロポーションには
なってると思います。
おもしろいもんですね。
北斎の場合は直線や三角、丸などの、
「幾何学の世界」が頭の中にあって、
風景でもなんでも、
それに置き換えて描くようなところが
感じられます。
形のかっこよさを追求したというか。
それがおもしろいですし、
この本も、北斎らしいアイデアですね。

△金子先生の描いた北斎風の子犬

金子
みなさんの絵も、ぜひ見たいので並べてみましょうか。

金子
すごい! 
みなさんよく描けていらっしゃいます。
北斎の描き方を忠実に再現しつつ、
かわいらしさも出せていますね。
作品を拝見しながら、
みなさんからお話を伺うとなるほどなって思いますね。
お手本の素晴らしさも、難しさも、
どちらもみなさんが感じながら描かれていて、
すごく興味深いです。

かわいい絵の描き方は、心理学の分野だと
人間の赤ちゃんと身体的な特徴が似ていることが
ポイントだという方もいます。

ただ日本の美術のおもしろいところは、
そういうかわいい絵も存在する一方で、
それを崩して、新しいかわいらしさを
生み出した絵もあるところだと思います。

ヨーロッパの場合、
写実的に描くことが立派な芸術とされる歴史が
長くありました。
「絵っていうのは、こうじゃなきゃいけないんだ」
ということが染みついているところがあるんです。
だけど日本は早い話、「おもしろけりゃなんでもいい」
みたいなところがあって、
応挙のような少し西洋に近い感覚の人の絵もあれば、
蘆雪のように上手な人が崩した絵も、
もともと下手な人が描いた崩れた絵でさえも、
どれも全部たのしんできたんです。
「ゆるかわ」という言葉はすっかり定着しましたが、
そういうかわいらしさも愛されるのは、
日本らしいところではないでしょうか。

だから「赤ちゃんに似ている」ということだけでは
日本のかわいい絵は説明しきれないですね。

かわいい表現の様々という点で、
日本はとても豊かな国なんじゃないかなと思っています。

(おわります。お読みいただきありがとうございました!)

2025-05-09-FRI

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