江戸時代の京都では、
子犬の絵が大流行していたそうです。
円山応挙、長沢蘆雪、伊藤若冲といった
京都の画家たちは、
元々あった型にとらわれずに
子犬を「かわいく」描きました。
江戸時代の子犬の絵が
「かわいい」子犬の絵になるまでの歴史を
府中市美術館学芸員の
金子信久さんに教えてもらいます。

>金子信久さんプロフィール

金子信久(かねこのぶひさ)

府中市美術館学芸員。江戸時代の絵画史専門。
「かわいい江戸絵画」や「へそまがり日本美術」
「かっこいい油絵」などの展覧会を企画。
犬も猫もどちらも好きなので、
「犬派か猫派か?」の質問はちょっと苦手。

前へ目次ページへ次へ

第3回  蘆雪のやんちゃ犬

金子
かわいい美術の歴史上、円山応挙は大変重要ですが、
もう一人、重要な人がいます。
それは円山応挙の弟子、長沢蘆雪(ながさわろせつ)です。
蘆雪は応挙の大勢の弟子の中でも非常に優秀で、
応挙そっくりの、真面目な絵も描けた人なんです。
ところがですね、その蘆雪が描いた子犬がこちらです。

△長沢蘆雪『狗児扇面』(本間美術館) △長沢蘆雪『狗児扇面』(本間美術館)

一同
わあ〜(笑)
金子
おもわず「わぁ、かわいい!」ってなりますよね。
酔っぱらったおじさんが寝そべってるような、
言ってみれば、だらしない子犬です。
本当はものすごくきれいな線が引ける人なのに、
わざとだらしない線で描いている。
でもそうすることで、
一瞬で見た人の心をゆるませる効果が
あるように思えます。
これもひとつの発明だなと思うんです。
これは長沢蘆雪が真面目に描いたタイプの絵です。
応挙に似ていますよね。

金子
こんなふうに描くこともちゃんとできた人なのに、
こういうのも描いちゃった(笑)。

一同
(笑)。
金子
この作品は、はじめて拝見したときに、
思わず大笑いしましたね。

金子
しかし蘆雪はこの路線でも、
完成度の高い作品も描きました。
これなんかすごいですね、『菊花子犬図』。

金子
白と黄色の菊が咲く中で、
子犬の軍団がだんごになっています。
何をしにやってきたのかわかりませんが、
菊を踏みつぶして、とにかく遊んでいる。
ちょっと群れから離れてみている
後ろ向きの子犬もいますし、
群れにこれから入っていこうとしているのか、
おしりを見せている犬もいますよね。

金子
目をつむっている子犬もいますが、
この描き方の子犬は、蘆雪の絵によく出てきます。
応挙も描かない、蘆雪のオリジナルの子犬キャラです。
これもまた、発明ですね。
ある方がこの目を10時10分っておっしゃいました(笑)。
一同
あはは。
金子
応挙の犬も大変かわいいのですが、
なんていうか、理知的な印象をうける子犬ですよね。
だけど蘆雪の犬を見てると、
「ダメ犬かな?」って思います。
もちろん悪口ではなくて、
親しみを覚えるようなかわいらしさが
蘆雪の子犬にはあります。
金子
応挙と蘆雪の細かい違いを、ひとつだけ見てみましょう。
これも蘆雪の作品です。

金子
このなかの1匹の顔と、応挙の子犬の顔とを並べてみます。

△左が応挙、右が蘆雪の子犬 △左が応挙、右が蘆雪の子犬

金子
右の蘆雪の子犬は
目の輪郭がキリッとした、濃い墨で描かれています。
少し漫画チックな描き方だなと感じませんか?
ところが左の応挙のほうは、
そんなに濃い墨を使っていません。
薄い墨や淡い茶色などを何度も重ねて、
うるうるした感じに描いているんです。
だからか、応挙の犬は理知的で
ちょっと引っ込み思案な感じにも見えますが、
蘆雪のほうは、やんちゃまる出しな印象に見える。
そういうキャラクターの違いが生まれるんです。
蘆雪は応挙の弟子ですから、
まさに同じ時代を生きた人たちです。
時代で言うと江戸時代中期、
18世紀の後半という時代ですね。
このときに京都で2人の天才的な子犬描きが
大活躍したということになります。

△長沢蘆雪『枯木狗子図』△長沢蘆雪『枯木狗子図』

いまでこそ、犬はかわいい生き物だという
イメージがありますが、
私がこどもの頃はちがっていました。
大きな野良犬もいましたから、
犬は怖くて汚い生き物だと思っていました。

江戸時代にも、そう思っていた人が多いと思います。
実際に、犬に困っている江戸時代の人の様子を
描いた絵も残されていますから。

でも一方で、
こどもたちが集まって、生まれてきた子犬に
犬小屋をつくってあげる絵なども
描かれているんです。

「かわいい」だけでは片付けられない
生き物ではあるけれど、
時には足を止めて見たり、
守ってあげたりもする。
そんなちょっとややこしい関係が
人間と犬にはあったみたいですね。

子犬の絵が中国から伝わってきたとはいえ、
みんなが純粋に「かわいい」と思っていた
わけではない題材を選び、
きれいな一服の掛け軸に仕立てたのは
応挙や蘆雪のおもしろくて
すばらしいところだと思います。

(明日はさらに脱力系! 仙厓さんの子犬の絵です)

2025-05-07-WED

前へ目次ページへ次へ
  • 江戸時代の油絵が見られる!

    『かっこいい油絵』が開催中です

    金子信久さんが学芸員として手掛けた
    展覧会がただいま開催中です。

    油絵というと西洋のイメージがありますが、
    ここで取り上げられているのは、
    江戸時代に油絵を描いていた
    司馬江漢と亜欧堂田善という画家の作品です。
    「滅多に見られない展覧会で、
    次は何十年先になるかわかりません」
    とのことですので、
    ご興味あるかたはお急ぎくださいませ!

     

    春の江戸絵画まつり
    司馬江漢と亜欧堂田善 かっこいい油絵

    期間:2025年3月15日(土曜日)~5月11日(日曜日)
    場所:府中市美術館
    開館時間:午前10時~午後5時
    (入館は午後4時30分まで)
    休館日:月曜日(5月5日は開館)