さまざまなミュージアムが所蔵する作品や
常設展示を観に行く連載・第3弾は
「トライアローグ」展を開催中の
横浜美術館さんに、おじゃましました。
「トライアローグ」展は、
横浜美術館・富山県美術館・愛知県美術館
という日本の公立美術館を代表する3館が、
それぞれのコレクションを組み合わせて
20世紀の西洋美術の歴史を振り返る試み。
「所蔵作品を活用した企画展」なので、
常設展じゃないけど、行ってきました!
ピカソ、デュシャン、マティスから、
シュルレアリスムを経て、
ウォーホルやリヒターなど現代美術まで。
作品の解説をしてくださったのは、
学芸員の大澤紗蓉子さん。
担当は、ほぼ日奥野です。どうぞ!

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第3回 シュルレアリスム、アメリカへ渡る。

大澤
さて、ここから、2章に入ります。
1930年代から50年代までの作品を
展示しているのですが、
主にシュルレアリスムに注目しています。

──
はい。かの有名な。
大澤
シュルレアリスム自体は、
厳密にいうと1章の範疇なんですけれど。
というのも、シュルレアリスムって、
もとはアンドレ・ブルトンという詩人が
パリで強力に牽引した運動で、
ブルトンの「シュルレアリスム宣言」が
1924年なんです。
──
ええ。
大澤
ただし、1930年代以降になってから、
スイスやアメリカに
その運動が拡大していったんですね。
日本でも紹介されて、
洋画家である福沢一郎などが影響を受け、
警察に捕まったりもしています。
──
特高というか、思想警察みたいなものに。
大澤
反逆的な思想を撒き散らしているのでは、
と疑われたんですね。
ともあれ、この2章では
そのシュルレアリスムを起点として、
それがアメリカに渡り、
ジャクソン・ポロックなどの
アメリカの抽象絵画が誕生するところまでを、
ひとつのストーリーにしています。
──
シュルレアリスムという言葉は、
訳せば「超現実主義」ってことですよね。
大澤
そうですね。
──
それって、つまり「絵の表現」としては、
どういう特徴があるんですか。
大澤
理性や慣習、決まりごとから
画家、芸術家‥‥大きくは人間を解放し、
無意識や夢、偶然性などを
絵画に導入していくというこころみです。
たとえば、瀧口修造さんは、
デカルコマニーの作品をつくっています。
これは、みなさんも
図工の授業でご経験があると思いますが、
半分に折った紙の合間に絵の具を入れて
閉じて開くと、
左右対称の画像が出てきますよね。
──
ああ、はい、あります。
そこに作者のコントロールを超えた世界が、
うまれるということですか。
大澤
こちらのマックス・エルンストの作品
《森と太陽》は、
グラッタージュという技法が使われています。
木や石などの上にキャンバスを敷いて、
油絵の具を置いて削り取ることで、
木や石の表情を浮き上がらせるんです。
画家の自らの意図でなく、
偶然性を拾い上げているわけですよね。

左から:マックス・エルンスト《少女が見た湖の夢》1940年 横浜美術館蔵、《森と太陽》1927年 富山県美術館蔵 左から:マックス・エルンスト《少女が見た湖の夢》1940年 横浜美術館蔵、《森と太陽》1927年 富山県美術館蔵

──
無意識とか、偶然性。おもしろい考え。
大澤
偶然浮かび上がってきた模様や図像に
森だったり牛や女の人の姿を見出し、
その部分を、
そういうふうに仕上げていったりとか。
──
そこに作家性が入ってくるという。
とくに、デカルコマニーなんかは、
ぼくにもできますけど、
ぼくの作品と芸術家の作品では、
きっとぜんぜんちがうんでしょうね。
つまりその、芸術的に。
大澤
ええ、そうなんだと思います。
やっぱり、芸術というものは、
自分の世界を構築していくことですし。
──
シュルレアリスムの運動は、
どうして、それほど広まったんですか。
ぼくら一般人からすると、
一見、難しげな感じもするんですけど。
大澤
まず、ブルトンが1924年に出した
「シュルレアリスム宣言」が強烈で、
人を動かす力があったんだと思います。
当時、いろんなアーティストが
ブルトンに会いに行っていたりします。
──
つまり、芸術家はじめ、「人」を介して。
大澤
さらには、第二次世界大戦が勃発して、
シュルレアリスムをはじめ
前衛的な作家や作品は
ナチスに「退廃芸術」として迫害され、
エルンストや、
ダリはスペイン人ですけど同様に、
アメリカに亡命したりしているんです。
結果として
シュルレアリスムの拡大に
寄与したということがあると思います。
──
人と人との出会いや、人の移動‥‥が。
大澤
なかでも、アメリカという国は、
いちばん大きな影響を受けたともいえますね。
シュルレアリストたちが
自分たちの思想や考え、技法を携えて
アメリカへ亡命し、
現地の芸術家たちとつながって
たがいに影響を与えあっていく過程で、
新しい芸術家、
新しい表現が生み出されていきました。
──
なるほど。
大澤
そうやって育まれた部分が、
戦後アメリカ美術史のはじまりです。
──
アメリカという受け入れの地があって、
本当によかったですね。
大澤
そうですね、いま思うと。
ヨーロッパについては、
全土が戦地になっていたと思いますし。
──
こちらの作品は、ミロ。

左から:ジュアン・ミロ《花と蝶》1922-23年 横浜美術館蔵、《パイプを吸う男》1925年 富山県美術館蔵、《絵画》1925年 愛知県美術館蔵 左から:ジュアン・ミロ《花と蝶》1922-23年 横浜美術館蔵、《パイプを吸う男》1925年 富山県美術館蔵、《絵画》1925年 愛知県美術館蔵

大澤
はい、3館それぞれに作品を持ち寄り、
ミロが
ブルトンに会う前の古典的な作品から、
シュルレアリスムの作品まで、
変化がわかるように展示をしています。
──
冷静に考えると、ものすごい変化です。
ここまで変わっちゃう‥‥
でもブルトンって絵の人じゃないし、
シュルレアリスムの絵はこうです、
という「見本」があったわけでは、
ないじゃないですか。
大澤
そうですね。
──
シュルレアリスムという発想と宣言が、
あっただけで。
大澤
はい。
──
それで、ひとりの芸術家の絵を、
ここまでガラッと変えてしまうのって。
大澤
シュルレアリスムは、
詩とか文学からはじまっていますから、
画家たちは
自分たちでその思想を解釈し、
絵画という手法で表現したんですよね。
──
みんな、独自に「解釈」して、
それぞれ「発表」していったんですか。
大澤
いや、そういう感じでもなく、
基本的には、ブルトンが認めない限り
「シュルレアリスムの作品」
には、ならなかったらしいんですよね。
アンドレ・ブルトンって
非常に強力な指導者だったらしく。
──
それほど魅力的な人だったのかなあ。
大澤
とにかく、強烈な人だったみたいです。
ダリなんかは、ブルトンとケンカして
仲が悪くなっちゃって、
グループから追放されているんですよ。
──
はああ、芸術の方向性のちがいによる。
まるでバンド解散のような(笑)。
大澤
そうかもしれません(笑)。
ちなみに、この《パイプを吸う男》が、
富山県美術館さんがはじめて購入した
作品なんです。
世界ではじめて編まれたミロの本って
瀧口修造が書いているんですが、
彼の美術批評家としての活動を
富山県の美術館の特色にしようと
購入を決めたようですね。
──
有名だったんですか、その時点で。
大澤
いえ、そこが、すごいところなんです。
当時は、
日本ではそこまで知名度が高くなかった
ミロという作家の作品を、
行政が購入するという判断をくだした。
奇跡のようなことだと思います。
──
ミロって、どういう芸術家だったのか、
あらためて教えてください。
大澤
はい、スペインのバルセロナ生まれの
シュルレアリストで、
パリに出てきたときは
古典主義的な絵や
キュビスムに影響を受けた絵を描いていたんです。
でも、ブルトンに出会ったことで、
ごらんのように画風が変遷していって。
──
この絵は何という‥‥夢の絵画。
大澤
夢や幻覚を、手のおもむくままに描く
「オートマティスム」という
シュルレアリスムの手法で
描かれたとされてきました。
ただ、じつは後年になって
緻密なスケッチがあったということも、
わかっているんですけれど。
──
文学でも自動筆記ってありましたけど、
絵の分野でもあったんですね。
大澤
はい、戦後のアメリカには、
実際に目を隠して線を描いた
サイ・トゥオンブリーという画家も。
──
視覚を閉ざして描くなんていうことは、
究極的だと思うんですが、
自分が描きたいものより、
偶然性だけに頼って描きたい‥‥と?
大澤
可能性を追求したんだろうと思います。
絵画の上に現れる世界を、
どういうふうに、うみだせるかという。
──
こうして見ると、芸術家の人たちって、
つねにいろいろ考えて、
新しい技法に挑戦していったんですね。
大澤
その20世紀美術における嚆矢が、ピカソです。
以来、従来の技法からいかに逸脱するか‥‥
という取り組みが、
連綿と繰り返されてきているんですね。
──
そうした芸術家の探求心って、
21世紀のいまでも、続いているんですか。
大澤
そうだと思います。
新しさの追求は終わった‥‥という
言説もあるんですけど、
芸術家という人たちは、
やっぱり‥‥新しい絵や新しい描き方を
追い求めているんだなあと思います。
──
あらためて古典主義に回帰したりも?
大澤
ええ、そうした動きもありますよね。
ピカソら20世紀初頭の先鋭的な画家たちは、
自分がやっていることは美術界の「前衛」で、
戦場での「最前線」と
同じ意味を込めて、活動していたんです。
──
あ、そういう気持ちで描いてたんですか。
大澤
でも、第一次世界大戦によって
ヨーロッパにもたらされたのものは
「荒廃」だけだった。
その世界を目のあたりにして、
そうした前衛芸術家たちは、
古典に回帰していきます。
──
芸術家にとって、心の状態とか、
ものの考えかたとか、言葉とかって、
本当に重要なんですね‥‥。
大澤
穏やかな女性の姿を描いた
ピカソの1923年の《肘かけ椅子の女》は
まさにそういう時代の絵です。

右から:パブロ・ピカソ《肘かけ椅子の女》1923年 富山県美術館蔵、《肘かけ椅子で眠る女》1927年 横浜美術館蔵、《座る女》1960年 富山県美術館蔵 右から:パブロ・ピカソ《肘かけ椅子の女》1923年 富山県美術館蔵、《肘かけ椅子で眠る女》1927年 横浜美術館蔵、《座る女》1960年 富山県美術館蔵

(つづきます)

2021-02-24-WED

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  • この連載で取材させていただいている
    「トライアローグ」展は
    2021年2月28日(日)まで開催。
    愛知県美術館・富山県美術館と共同で、
    3館それぞれが所蔵する
    20世紀西洋美術の名品がせいぞろい。
    みごたえばつぐんです。ぜひ!
    その後、展覧会は、
    愛知県美術館・富山県美術館に巡回。
    横浜美術館は、この展覧会をもって
    2年を超える長期休館に入りますので、
    その意味でもぜひこのタイミングで。
    来館する場合は、
    日時指定予約制になっていますので
    公式サイトでご確認を。