さまざまなミュージアムが所蔵する作品や
常設展示を観に行く連載・第3弾は
「トライアローグ」展を開催中の
横浜美術館さんに、おじゃましました。
「トライアローグ」展は、
横浜美術館・富山県美術館・愛知県美術館
という日本の公立美術館を代表する3館が、
それぞれのコレクションを組み合わせて
20世紀の西洋美術の歴史を振り返る試み。
「所蔵作品を活用した企画展」なので、
常設展じゃないけど、行ってきました!
ピカソ、デュシャン、マティスから、
シュルレアリスムを経て、
ウォーホルやリヒターなど現代美術まで。
作品の解説をしてくださったのは、
学芸員の大澤紗蓉子さん。
担当は、ほぼ日奥野です。どうぞ!

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第2回 ピカソ、デュシャン、マティス。

──
今回の「トライアローグ」展の概要を、
さっそく、教えていただけますか。
大澤
はい、当館と同じように
20世紀西洋美術の収集に注力されている
富山県美術館さん、
愛知県美術館さんと一緒に
コレクションを展示するこころみです。
──
3館で合同で‥‥というアイディアは、
横浜美術館さんの発案で?
大澤
はい。うちの企画者が立ち上げました。
──
そういう他館との合同の取り組みって、
けっこう、あることなんですか。
大澤
そうめずらしい方ではないですかね。
ただ、「2館合同」が多い印象です。
3館で合同した例は、
たしかにあまり多くないと思います。
──
3館が集まったことがテーマそのもので、
タイトルにまでなっているのは、
なんだか、おもしろいなと思ったんです。
大澤
あ、そういう意味では、
めずらしいというか、初だと思いますね。
3館でコレクションを合わせて、
20世紀西洋美術を考えるという趣旨ですが、
それぞれの得意分野を持ち寄り、
バランスを取りながら補い合っています。
──
具体的には、どういう切り口なんですか。
大澤
年代順に、3章仕立てにしています。
第1章「アートの地殻変動」は
1900年代から1920年代、
第2章「アートの磁場転換」は
1930年代から1950年代、
第3章「アートの多元化」は
1960年代から1990年代、
というふうに、順を追って。
──
今のは、美術史的な区分なんですか。
大澤
いえ、そこのところが今回の特徴です。
20世紀の美術って、
基本的には「第二次世界大戦」で
前後に区切られることが多いんですね。
──
終戦前と、終戦後と。なるほど。
大澤
そう、つまり1945年を境目として
現代美術へ向かうという区分が
多いんですけれど、
今回は、第2章のあいだに
第二次世界大戦が挟まっているんです。
これは、第二次世界大戦を境に、
アートの中心地が
パリからニューヨークへ移るんですが、
その「磁場転換」を
わかりやすく展示しようという目的で。
──
まず、入り口のところで、
ピカソが4点も並んでいて壮観ですね。
大澤
愛知県美術館さんが青の時代の作品を、
富山県美術館さんが古典主義の時代と晩年の作品を、
そして当館は、
シュルレアリスムに影響された時代の作品を。
こうして3館の作品を並べてみると、
ピカソの画風の変遷がよくわかると思います。

左から:パブロ・ピカソ《座る女》1960年 富山県美術館蔵、《肘かけ椅子で眠る女》1927年 横浜美術館蔵、《肘かけ椅子の女》1923年 富山県美術館蔵、《青い肩かけの女》1902年 愛知県美術館 左から:パブロ・ピカソ《座る女》1960年 富山県美術館蔵、《肘かけ椅子で眠る女》1927年 横浜美術館蔵、《肘かけ椅子の女》1923年 富山県美術館蔵、《青い肩かけの女》1902年 愛知県美術館

──
どの絵も「椅子に座っている女性」ですけど、
描いたの、同じ人なんですもんね‥‥。
はじめにピカソを持ってきたのはなぜですか。
大澤
やはり、20世紀美術のはじまりにおいては、
ピカソの画業は、絶対に外せないので。
印象派が登場したあと、
ピカソが現れて
ルネサンス以来の遠近法などのルールを
解体して、
複数の「視点」を
ひとつの画面のなかに入れるという‥‥。
──
キュビスム。
大澤
はい、20世紀美術の動向に、
決定的な影響を与える仕事を成し遂げました。
その意味では、それまでの美術の考えかたを
根底から覆したマルセル・デュシャンも
最初に持ってきたかったんですけど、
残念ながら、
今回は都合により、映像しかありません。
──
便器で《泉》です、とやった人。
素人の失礼さで申し訳ございません、
デュシャンという人も、
やっぱり、そこまでの芸術家だったんですか。
大澤
そうですね。20世紀初頭、
ピカソとデュシャンの2人が生み出した
キュビスムとダダという
2つの運動が、
美術界に大きな「地殻変動」を起こしたので。
──
それで、展覧会のトップバッターとして。
大澤
2人とも知名度が高くて、
引きが強いという理由もあるんですけど。
──
ああ、キャッチーですもんね。
大澤
この1章のパートでは、ピカソの他にも
レジェ、パウル・クレー、
カンディンスキーなど‥‥
あとはフォーヴ、フォーヴィスムの流れ。
──
マティスの。
大澤
今回、展示しているのは、
フォーヴィスム以後のマティスの作品で、
過激な色が薄れてきて、
古典的な方面へ寄っているんですけれど。

右:アンリ・マティス《待つ》1921-22年 愛知県美術館蔵、左:ラウル・デュフィ《サン=タドレスの浜辺》1906年 愛知県美術館蔵 右:アンリ・マティス《待つ》1921-22年 愛知県美術館蔵、左:ラウル・デュフィ《サン=タドレスの浜辺》1906年 愛知県美術館蔵

──
マティスの場合は「色彩」ということが、
よく言われると思うんですが、
具体的には、
どういう特徴があるのでしょうか。
大澤
はい、目の前にある色を、
目で見たまま忠実に再現するのではなく、
絵の中の秩序を確立させることや、
自分の内面を発露させるように、
色を選んで載せていくようなやり方です。
──
ピカソもマティスも、
いわゆるな作品を見ているばかりでは、
ぼくら素人目には
うまいかどうかがわからないのですが、
やっぱり技術は、すごいんですか。
大澤
はい、すごいです。
ピカソは先ほど見ていただきましたけど、
マティスが
フォーヴィスムにいたる以前の絵は、
遠近法でしっかり写実的に描かれていて、
非常に高い技術を持っていたことが
わかると思います。

──
その高い技術の上に、
斬新な表現の方法を載っけている‥‥と。
大澤
20世紀は、画家たちの間で
写実的表現の限界が共有されていました。
さまざま説があるんですけど、
印象派が成し遂げた画業や、
19世紀後半に写真が登場してきたことなど、
これらが大きかったと思います。
──
写実の「機能」では
写真に敵わなかったりするから、ですか。
大澤
高階秀爾先生などが書かれていますけど、
印象派が
写実主義を究めようとして編み出した、
筆触分割という方法があって。
──
ええ、絵の具をチューブから出したら
パレットの上で混ぜないで、
そのまま点々で絵を描いていく方法。
スーラやシニャックの「点描」にまで
到達する技法ですよね。
大澤
そう、その手法がむしろ、
写実主義ではなく、
逆に絵画独自の世界へ向かったと。
そのために、
ピカソやマティスら印象派以降の画家は、
写実はもう機能しないんだと気づいて、
写実を超えるような作品、
肉眼では捉えられない世界の描写を
目指していったということなんですね。
──
ピカソはキュビスムへ、
マティスはフォーヴィスムへ向かった。
大澤
はい、ピカソは「形態の革新」へ、
マティスは「色彩の革新」へと向かい、
それらの流れが、いずれ、
抽象絵画にまでいたるというのが、
20世紀美術の最初の20年です。
──
ピカソも、この時代はパリなんですか。
大澤
はい、パリです。
──
パリは、やっぱり渦巻いてたんですね。
パリ以外では、どういう動きが?
大澤
たとえば、ドイツのミュンヘンでは
表現主義が盛り上がったり、
ロシアのペトログラードでは
構成主義が生まれたり、
この時代は、
各地で同時多発的に美術の実験が行われ、
抽象表現が結実していきました。
こちらのエミール・ノルデという作家は、
ドイツ表現主義の画家です。
──
はい。ノルデさん。

エミール・ノルデ《静物 L(アマゾーン、能面等)》1915年 愛知県美術館蔵 エミール・ノルデ《静物 L(アマゾーン、能面等)》1915年 愛知県美術館蔵

大澤
また、あそこの壁にかかっている作品が、
タトリンという
ロシア構成主義の作家の作品。
ロシア革命のもと、
芸術が社会に貢献することを目指して
創作していた人なんですが。
──
この芸術は、どう見れば‥‥。

ウラジーミル・タトリン《コーナー・反レリーフ》1915 年(1979再制作) 横浜美術館蔵 ウラジーミル・タトリン《コーナー・反レリーフ》1915 年(1979再制作) 横浜美術館蔵

大澤
この作品「コーナー・反レリーフ」には
「建築と融合する芸術」
という大きなコンセプトがあるんですね。
レリーフって、ギリシャの時代からある
彫り込んで浮き上がらせる技法ですが、
この作品の場合は
壁から飛び出た造形で表現することから
「反レリーフ」と名付けられています。
──
はあ‥‥このあたりの作家になると、
自分なんかですと
ぜんぜん知らない人ばっかりなんですが、
美術史上、重要な方々なんですよね。
大澤
はい、たいへんに重要な方々です。
こちらはシュヴィッタースという作家で
新聞紙や金具、布地、切符、石など、
絵具以外の素材で
コラージュ作品をつくった人なんですよ。
コラージュ自体は
ピカソたちがはじめたものなんですけど、
その表現を引き継いだ作家で。

クルト・シュヴィッタース《メルツ絵画1c、二重絵画》1920年 横浜美術館蔵 クルト・シュヴィッタース《メルツ絵画1c、二重絵画》1920年 横浜美術館蔵

──
生物の進化も、ずーーーーっと長い間、
ぜんぜん変化しなかったのに、
突然、何かのきっかけで、
爆発的に多様性が高まったじゃないですか。
美術も昔からあると思うんですけれど、
見ていると、
これほど表現が多様になっていくのは、
最近なんですかね。
大澤
そうです。そのことが
今回の展覧会で表現したかったことの
ひとつなんです。
美術の多様性が、
この「20世紀の100年間」で、
一気に高まっていったんです。
たとえば、このナウム・ガボという人は
芸術作品に、
はじめてプラスチックを使ったひとりです。

左手前:ナウム・ガボ《空間の構造》1959年 横浜美術館蔵 左手前:ナウム・ガボ《空間の構造》1959年 横浜美術館蔵

──
新しいテクノロジーや素材がうまれると、
美術界にも取り入れられて。
大澤
また、ダダの創設者ハンス(ジャン)・アルプには
ゾフィー・トイバーという
非常に優れた芸術家の奥さんがいました。
彼女の作品は、
昨今、再評価が進んでいるんですけれど、
残念ながら、
3館どこも作品を持っておらず、
せめてもと解説の中で紹介しています。
──
前回、東京都現代美術館さんの取材でも
近代日本の美術界には
女性作家が少なかったと聞いたんですが、
それは、西洋でも‥‥。
大澤
はい、同じです。
西洋でも女性作家の数は、少ないんです。
20世紀の美術史というものが
白人男性中心につくられたことは確かで、
日本が戦後に
西洋美術品を収集したときも、
やっぱり
白人男性の作品ばっかりだったんですね。
──
なるほど。
大澤
東アジアや南米、インドなどの地域や
女性の芸術家の作品には、
ほとんど目が向けられていませんでした。
──
もったいないことですね。
大澤
この部屋も女性作家はミュンターだけ。

ガブリエーレ・ミュンター《抽象的コンポジション》1917年 横浜美術館蔵 ガブリエーレ・ミュンター《抽象的コンポジション》1917年 横浜美術館蔵

──
フランスの印象派の中には、
何人か、
女性作家がいるような気もしますけど。
ベルト・モリゾとか。
大澤
ですね、アメリカ人ですが
メアリー・カサットだったり。
それでも、数名ですものね。
ドイツ表現主義にも、
ミュンターほか数名しか出てきません。
ミュンターはカンディンスキーに学び、
才能を開花させていった人ですけど。
──
なるほど。
大澤
もちろん、その他にも女性芸術家は
いたのだけれど、
多くは
後世に名前が残されなかったという状況が
あったのかなあと思います。

(つづきます)

2021-02-23-TUE

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  • この連載で取材させていただいている
    「トライアローグ」展は
    2021年2月28日(日)まで開催。
    愛知県美術館・富山県美術館と共同で、
    3館それぞれが所蔵する
    20世紀西洋美術の名品がせいぞろい。
    みごたえばつぐんです。ぜひ!
    その後、展覧会は、
    愛知県美術館・富山県美術館に巡回。
    横浜美術館は、この展覧会をもって
    2年を超える長期休館に入りますので、
    その意味でもぜひこのタイミングで。
    来館する場合は、
    日時指定予約制になっていますので
    公式サイトでご確認を。