
能登半島の先に、珠洲(すず)という町があります。
2024年1月1日の能登半島地震で、
甚大な被害を受けた場所のひとつ。
コスチュームアーティストのひびのこづえさんは、
2017年の「奥能登国際芸術祭」での関わりから
珠洲に惚れ込み、ずっと通いつづけている人。
震災後のいまも、現地にてワークショップや
ダンスパフォーマンスをされています。
そんなひびのさんとほぼ日でおこなっているのが、
「珠洲の食堂をカラフルな編み物で包む」という試み。
震災後、珠洲中心部にある道の駅のそばに誕生した
「すずキッチン+すずなり食堂」は、
震災後、地域の飲食店4軒が協力し合いながら、
能登の新鮮な食材を使った、
おいしいごはんやお弁当を提供しています。
その仮設の店舗を、みんなで編んだカラフルな
飾りで覆って、たのしい気分を増やす
プロジェクトをしています。
見た目はなんだか芸術祭の作品のようで、
ちょっとしたフォトスポットにもなっています。
その活動について、また珠洲という町について、
もっともっと多くの方に知ってほしくて、
2025年初夏、ひびのさんにお話をうかがいました。
珠洲という町のこと、震災のこと、
ぜひ心に留めていただけたら嬉しいです。
聞き手:
ゆーないと・やすな・たなかま(ほぼ日)
トップの飾りの写真:網中 健太
ひびのこづえ
静岡県生まれ。
東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
コスチューム・アーティストとして
広告、演劇、ダンス、バレエ、映画、テレビなど
その発表の場は、多岐にわたる。
毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞、
紀伊國屋演劇賞個人賞受賞ほか展覧会多数。
NHK Eテレ「にほんごであそぼ」のセット衣装を担当中。
歌舞伎「野田版 研ぎ辰の討たれ」、
「野田版 桜の森の満開の下」
現代劇の野田秀樹作・演出の「兎、波を走る」、
「フェイクスピア」、「正三角関係」
森山開次ダンス「サーカス」新国立劇場、
「不思議の国のアリス」、
「星の王子さま-サン=テグジュペリからの手紙-」
KAATなど衣装担当。
ダンスパフォーマンス「WONDER WATER」、
「FLY、FLY、FLY」、「Rinne」、
「Piece to Peace」「MAMMOTH」、「RYU」、
「ROOT:根」、「UP AND DOWN」
「二人のアリス」「アリとキリギリスと」を企画展開中。
2018年個展「60(rokujuu)」市原湖畔美術館、
2019年個展「ダンス・ザ・イフク/太ンス宰府ク」
太宰府天満宮文書館・九州国立博物館、
2021年個展「森に棲む服」そごう美術館、
2022年個展
「不思議の森に棲む服 ひびのこづえ×熊本展
Wonder Forest Closet」熊本市現代美術館にて開催。
奥能登国際芸術祭、大地の芸術祭、
瀬戸内国際芸術祭に参加。
能登地震・珠洲応援ダンスプロジェクト発足活動中。
- たなかま
- で、年が明けて2025年6月。
2回目の編み物ワークショップを
東京で開催して。
- やすな
- また大勢参加してくださって、ありがたくて。
ほぼ日が能登のことでお世話になっている、
珠洲の木村さんも来てくださいましたね。 - 編むもの自体はシンプルだし、お互いに教え合うから
「全然できないわ」と言ってた方も、
隣の方と協力しながら完成してて。
みんなでやる感じも、すごくいいなと思いました。
2回目のワークショップより。前よりも手際がよくなってる?
- ゆーないと
- 2日かけて飾りを編んで、つなげて。
それを珠洲まで持っていって。
暑かったー(笑)。けど、面積もすごい増えました。
- ひびの
- あのときもまた暑かったですね(笑)。
だけど、面積的には2倍以上になりました。
取付作業中。
- ゆーないと
- 今回も取りつけてると、珠洲の方が
けっこう話しかけてくださるんですよ。
「大学生?」「違います」とか(笑)。
写真を撮っていく人とかもいて。 - わたしたちは2日で戻りましたが、
ひびのさんは週末まで滞在されてました。
- ひびの
- そのときは編み物のワークショップや、
ダンスやカーテンのワークショップを
いろいろやったんですけど、それも良かったんですよ。
- ゆーないと
- SNSでそのときの感動を書かれていて、
これはちゃんとお話をうかがわなくちゃと
思いました。
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- ひびの
- 深くていい時間でした。編み物しながら、みなさん
いろんな話をしてくれたりして。
- やすな
- 編み物って、話せますもんね。
同時に、話さない時間があっても
それはそれで別にいいし。
- ひびの
- 珠洲での最初のワークショップは平日だったから
そんなに人数が来なかったんです。
だけどその少なさもよくて、一緒に座ってると
震災時の話をしてくださったりしました。 - 人数が増えるとそこまで話せなくて。
まあそれはそれで
「みんなで一緒に作って、お互いに見せ合う」
というのがすごくいいんだけど。
- やすな
- どんな話をされていたんですか?
- ひびの
- たとえばあるお母さんは
イチゴのハウス栽培をしている方で、
元旦の夜からハウスの中で暮らしはじめたとか。
イチゴって本当に寒さに弱いから、
ハウスは暖かいんだって。 - そしたら、近所のおじさんが
「発電機があるよ」と持ってきてくれて、
さらに、地域の人たちが運動会になると敷く
しっかりした畳まで運んできたら、
すごい快適だったと(笑)。
- たなかま
- それほどまでに快適(笑)。
- ひびの
- ただ、イチゴはいまも作れてないんですよね。
というのも、苗を育てるには
すごくたくさんのお水がいるんだけど、
いまは水道は通ってても、
農業用水の管が壊れているから。
それを直すにはすごくお金が必要で、
後回しになってるから作れてないとか。
- やすな
- 聞かせてもらって初めて知る話って、
本当にたくさんありますね。
- ひびの
- あと、以前パフォーマンスに出てもらった
仲のいい一家がいるんですけど、
そのお母さんとも今回、けっこう話ができたんです。 - 元旦の夜、地域の小学校が避難所になって、
500人集まったんですって。
それでまずはいろんな確認のために
500人の名簿を作らなきゃいけない。 - だから動ける人が率先して、
ひとりずつ聞いていったんだけど、
簡単じゃないらしいんです。
「そんなことやってる場合じゃない」とか、
「早く救急車来ないのか」とかって。
- ゆーないと
- ああ。
- ひびの
- その人たちも怒られる立場ではないけど、
みんなもう、自分の思いをどう吐き出せばいいのか
わからないから、怒鳴っちゃうらしいんです。 - そういう感情を受け止めながら、
全部手書きで名簿を作るだけでも大変で。
- やすな
- そうですよね。
- ひびの
- さらに地震が起きたときに、
小学校のガラス窓が全部割れちゃってて。
真冬だし、寒いから、カーテンを引きちぎって、
みんなで貼っていったんだと。 - で、元旦の日は帰省してた若い人たちが
けっこういたからまだ良かったけど、
2日目にはみんな帰っちゃったから、
お年寄りばかりになって、
動ける人が一気に減っちゃったとか。 - それに「500人分のごはん」を作るなんて経験、
したことないじゃないですか。
でもどうにかして作らなきゃいけない。 - そしたら、富山から、
大きな鍋とコンロを持った方が来てくださって、
それはすごく助かったとか。
- ゆーないと
- おおー。
- ひびの
- とはいえ、そこから500人分の食事を
つくらなきゃいけない。 - やったことないけど、やるしかないから、
その日からごはんを作り出して、
5日間ぐらい、毎日2時間ぐらいしか寝ないで、
次から次へとやってたらしいんです。 - いっぱい人がいるなか、
ぎゅうぎゅう詰めの状態で寝て、
起きたらまた、ごはんの支度をしたり、
おばあちゃんたちに付き添ってトイレ行ったり。
- たなかま
- トイレって使えたんですか?
- ひびの
- いや、トイレの水も流れないわけですよね。
だから「どうしたの?」って聞いたら、
「もう校庭に穴を掘りました。
周りを囲って、雨用に屋根もつけて」って。 - そういう話もやっとできるくらいになって。
聞きながらショックもありましたよね。
- やすな
- やっぱり、壮絶ですよね。
- ひびの
- まあ、壮絶ですよね。500人ってね。
- 現場に動ける30代40代50代とかが少ないから、
そういう意味でも大変だったみたいで。 - 話してくれた人は子どもが2人いるんだけど、
子どもの世話をする暇がないので、
とにかく「何か食べてなさい」と言ったことしか
覚えてないと言ってましたね。
- ゆーないと
- はぁー‥‥。
- ひびの
- でも能登全体で、震災後3~4日目には
すでに小学校の再開を目指して動いてたらしいんです。
場所によっては、すぐに再開できた
学校もあったらしくて。 - でも、そのお母さんが滞在していた小学校は、
体育館の屋根に穴が開いちゃってたから
教室を避難場所にしてたらしいんです。
だから
「じゃあ、学校をはじめるために
避難している人たちにどう動いてもらおう」
みたいなことを、
その5日間でやったって言うんですよ。 - で、私が話を聞いたそのお母さんは、
別の学校の教師をしている方なんですね。
だけどそのとき、勤め先の校長先生から
「そろそろこっちの学校再開するけど」
って電話があって、
「いや、私はもう動けません」と答えたと。 - とにかく5日間とか寝ずでやってたから、
そう言いながら
「これはもう自分がちょっとやばいな」
と思って、とにかく1回家族で家に戻ったと。
- たなかま
- わぁ。
- ひびの
- その人のおうち自体は倒壊しなかったけど、
中がぐちゃぐちゃだったから、
「とにかく1部屋だけ片づけて、
寝に帰れるようにした」って言ってて。
その後も昼間は避難所にごはんを作りにいったりとか
ずっとされてたらしいですけど。 - その一家はすごくて、
その家の70代のおじいちゃんが1か月弱、
そこの小学校をずーっと見てたとか。 - でもそれも「この状態、ちょっと危ないな」と思って、
家のもう一部屋を片づけて、
おじいちゃんも連れて帰った、とか。
- やすな
- すごい動き方。
- ひびの
- そこの一家、すごいんですよね。
私がコロナ禍で映像を撮りに行ったとき、
お子さんたち2人に出演してもらったことで、
仲良くなった人たちなんですけど。 - もうずっとつながってて、2024年4月も会ったけど、
そのときにはそこまでの話はできなくて。
今回初めてそういう話をできたんです。 - しかも、その小学校に避難してたのは500人だけど
「もう100人いる別の避難所のお昼も作って
届けたりもしてた」とか聞いて。
え、そんな余裕がないだろう!と思うんですけど。 - だけどそっちにあんまり若手がいなかったから、
きっと「自分がやるしかない」みたいに
やってたんだと思うんですよね。
- やすな
- 避難所の方のお話で、
私がすごく印象にのこっているのが、
小学校の床とかで寝ていると、自分のことを
「こんな生活しかできない人間なんだ」と
卑下してしまうとおっしゃってて。
だから気持ちがどんどん落ちていくんだと。
- やすな
- それを聞いて、人間の尊厳みたいなものって、
1週間とかでも、いとも簡単に
失われてしまうんだ、と思ったんですよね。 - だから避難所というのも、
ただ屋根があって囲われてるだけじゃなく、
ちゃんとお部屋があって、片づけられてたり、
見た目がきれいであることとかって、
すごく重要なことなんだなって。 - そういうことも、お話を聞いて
ようやく自分でも想像できるようになるというか。
- ひびの
- ほんとね。生活って、
ただ生きていることだけじゃないんですよね。
- やすな
- 最近では、震災から時間が経って、
元通りではない暮らしに慣れてきてらっしゃって、
「日常をたのしくしてくれる機会」や
「明るい気分にしてくれるもの」が
求められている、という話を聞きます。
2回目の取り付け後。ここから少しでも、たのしい気分が増えますように‥‥!
(つづきます)
2025-08-29-FRI
-


珠洲の中心部にある「道の駅すずなり」の隣に
2024年9月に誕生した、食堂とお弁当のお店。
能登半島地震後、避難所の方や工事関係者の方のため、
毎日1500食ものお弁当を作り続けた
地元7社の飲食店のうち、4社が運営しています。すずキッチンでは、
早朝5時から多数のお弁当が並びます。
すずなり食堂では名物の「福幸丼(ふっこうどん)」や
「タコカツ丼」、うどんや定食など、
おいしい食事を気軽にたのしめます。
カラフルな外の飾りは、プレハブの建物を
すこしでもたのしい雰囲気にできるよう、
みんなで編んだ飾りをつなげていったもの。
これからますます面積も広がっていくかもしれません。珠洲を訪れたら、ぜひ立ち寄って、写真も撮って、
「珠洲に来たよー! いいところだよー!」と、
シェアしていただけたら嬉しいです。
#珠洲をあむプロジェクト<すずキッチン+すずなり食堂 Instagram>
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(2024.11.1開催)
(2025.6.12開催)

