「福島なんて嫌だと思って去ったのだし、
実家はできれば帰りたくないと思って生きてきた。
それなのに、震災が起きてから、
自分の内側に郷里に対しても家族に対しても
愛情としか言いようのないものがあることがわかって、
それをやっと公表できるようになった」
古川日出男さんの言葉です。

「言葉と肉体」だけを頼りに生きてきた作家が、
その両方をフルに使い、54歳の身体に鞭打って、
夏の炎天下、福島の国道を19日間歩き通し、
秋になって隣の宮城に足を伸ばし、
総延長360キロを踏破。
人々の声に耳を傾けつづけ、
初のノンフィクション『ゼロエフ』を上梓しました。
その古川さんが3月6日、
ほぼ日の學校でお話ししてくださいました。
この模様をお伝えします。

>古川日出男さんのプロフィール

古川日出男 プロフィール画像

古川日出男(ふるかわひでお)

小説家。早稲田大学文学部中退。1998年『13』で作家デビュー。主な著書に『アラビアの夜の種族』(日本推理作家協会賞、日本SF大賞)、『ベルカ、吠えないのか?』(直木三十五賞候補)、『LOVE』(三島由紀夫賞)。古川『源氏物語』ともいえる『女たち三百人の裏切りの声』で野間文芸新人賞と読売文学賞を受賞した。文学の音声化にも積極的に取り組み、2007年、雑誌『新潮』に朗読CD「詩聖/詩声 日本近現代名詩選」を、2010年には『早稲田文学』に朗読DVD「聖家族voice edition」を特別付録として発表している。2016年、『平家物語』を現代語訳(池澤夏樹=個人編集『日本文学全集09』)。1966年生まれ。
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第1回

甦った18歳までの身体の記憶

まずは時計の針を大きく巻き戻して、
2011年3月11日のことを

うかがいました。

取材のために京都に行った翌日が3月11日でした。
ホテルで少し揺れを感じた程度で、
当時はケータイ持ってなかったし、
テレビも見ないでいたので、何も知らずにいました。
夜の取材に出ようと思って京都駅に行ったら、
新聞の号外を手にしている人がいる。不吉な文字づら。
のぞきこまなくても大きな文字が見えました。
「東北で大きな地震」
びっくりして公衆電話に向かって実家にかけたら、通じた。
「大丈夫?」「玄関が崩れたぐらい」
でも翌日からは電話が通じなくなりました。
ホテルの部屋にいるしかなくて、
やれることはニュースを見るだけ。
岩手や宮城の酷い被害が報じられる。
岩手の人だろうが宮城の人だろうが、
出てくる人は、みんななまっている。
それが全部、知っている言葉だった。
ぼくはずっと泣いているか、怒っていました。
18歳までそこにいた身体の記憶がぜんぶ甦って、
その人たちの苦しさに共振してしまっている。
そのこと自体にびっくりしました。

翌12日、新幹線が動き出して、すぐに東京に戻った。
新幹線の中は全員黙り込んで、見たこともない雰囲気。
自宅について玄関をあけたら、
2階にあるはずのCDや本が1階に落ちている。
まいったなあと思いながら、CDや本をかきわけて進む。
崩れたテレビをがんばって配線してニュースをみると、
福島第一原発の建屋の映像が流れていた。説明がないまま。
あの映像だけ見たときは、愕然と、
いろんなことが終わっていくのだと思いました。

こう話すと、「故郷が傷を受けて、
家族と連絡がとれない苦しさや悲しさや
怒りにまみれている」と聞こえると思うし、
そのとおりだと思うんだけど、
実は少し時間がたってくると、
自分の中が複雑だということに気づかされました。

そのあとだんだん東京でニュースを見て
泣いたり怒ったりするのに耐えられなくなって、
とにかく現場に行かないと、と思ったけれど、行けない。
生き方のポリシーがあって、
ぼくは車の運転免許をもっていない。
どうやって福島に入っていいのかわからない。
週刊誌の派遣なら行けると思って、編集者に相談し、
かみさんに「ちょっと、おれ福島行くわ」って
唐突に言い出して、
発生から1ヶ月たたない4月あたまに
出版社が車を出してくれることになって、
それがすごく大きな体験でした。
それを基に『馬たちよ、それでも光は無垢で』
という本を出させてもらいました。

でも、震災直後のこの作品では、
古川さんが書けないことがありました。

このとき覚悟を決めたのは、嘘を書かないということです。
嘘を書かずにちゃんと震災と自分のことを書いていて、
そのこと自体は、本当なんです。
自分の家庭や生い立ちのこともちゃんと書いている。
たしかに嘘はひとつもないけれど、
言わないことは、言わないでいる。
だから、この時に書いた文章は非常にヘンです。
なぜなら、震災後、初めて福島に入るのに、
実家に寄らないんですよね。
実家はそこにある。インターチェンジを降りると
数百メートルで実家があるのに、寄らない。
震災と原発事故で何がどうなっているか現場を見て、
そこで受け止めたこと、感じることを
言葉だけで書きあげて届けたあとにしか、
実家にだけは寄れないと思っていて、
この複雑さの説明はできないと思っていて、
説明できないことは語らず、書かないでおく。
書かなければ誰にも気づかれないし、質問もされない。
だから全力で故郷と家庭との関係を書いているけれど、
この時点では、本当は語っていないのです。


シイタケを育てていた実家の森

(つづく)

2021-03-11-THU

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