特集「色物さん。」、おふたりめの登場は、
動物ものまねの江戸家小猫さんです。
初春のウグイスやカエル、秋の虫たちから、
テナガザル、ヌー、アルパカまで。
じつに豊富なバリエーションと
じっと目を閉じて聞きたくなるクオリティ。
その絶品の芸を裏付けていたのは、
120年の歴史を誇る「江戸家」の伝統と、
全国の動物園に通い続ける努力でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。さあ、どうぞ。

>江戸家小猫さんのプロフィール

江戸家 小猫(えどや こねこ)

1977年、東京生まれ。江戸家猫八(四代目)の長男。2009年、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。2011年、江戸家小猫(二代目)を襲名。2012年、落語協会に入会。2017年に花形演芸会の銀賞、2018年に金賞、2019年に大賞を受賞。2020年に浅草芸能大賞の新人賞を受賞。同年、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

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第2回 闘病に捧げた、20代。

──
お弟子さんだった二代目をはさみ、
三代目・四代目と、
江戸家猫八という名跡を、
代々引き継いでこられましたが、
先代からは、
跡を継ぐように言われたんですか。
小猫
いえ、跡を継いでほしいという話は、
一切、言われたことがないんです。
基本的に、色物の世界は一代限りで、
自己完結の世界。
父がよく言っていたのは、
よほど好きで、この芸に興味を持ち、
一生をかけてやり遂げたいという
強い思いがあるならいいと。
ちょっとでも、他に
やりたいことがあるくらいだったら、
気にせず、そっちへ行けと。
──
じゃあ、小猫さんは、
いつごろから「自分もやりたい」と?
小猫
子どもながらに祖父や父の芸を見て
すごいなあと思っていました。
笑われるよりも笑わせる芸で、
カッコいいなあと思っていたんです。 
──
具体的には、どういうところが‥‥。
小猫
わたしが子どものころ、父の高座での
最初の鳴きまねはウグイスが大半でした。
そのウグイスが鳴く前の
満席のお客さんの静まり返る感じと、
鳴き終わったあとの拍手、
あれがまず‥‥カッコよかった。
跡を継ぐ継がないじゃなく、
単純に自分もやってみたいなあとは、
そのころから感じていました。
──
おお、子ども心に。
小猫
わたしが小学校のとき、
おじいちゃんの出演する番組に呼ばれ、
親子3人で、
秋の虫を鳴く機会があったんです。
舞台の上の高揚感、のようなものは、
幼いながらも感じていましたが、
跡を継ぎたいという思いではなくて、
おじいちゃんや父と一緒に出て、
拍手をもらえてうれしいなあなんて、
ただただ、それだけでした。
──
つまり、舞台に上がれるくらい、
そのころから
鳴きまねの練習をしてたわけですか。
小猫
指笛に関しては、
一朝一夕では音が出ない世界なんで、
父の芸を見て、
真似事のようにやりはじめてまして。
もちろん最初は、ぜんぜん出ません。
父とお風呂に入っているときなどに、
小指の角度を見てもらったり、
「もうちょっとこうかな」
みたいなことは教わっていましたが、
結局、歯並びや手指のかたちって、
人によってそれぞれなので、
最終的には、
自分で探り出すしかないんですよね。
──
なるほど‥‥。
小猫
数日やっては音が出ずに飽きて、
父の芸をテレビで見ては、またやる。
その繰り返しでした。
そういう遊びの延長のようなものが、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
雪が積もっていくように土台となり、
高校3年のときに、
自分の将来を見据えて、
本格的に、練習をしはじめたんです。
──
おお、高校生で。
小猫
10回吹いたら10回、
きちんと音にしなきゃいけない世界。
最初は、ただのすきま風。
だんだん
遠くで鳴る笛みたいな音が入り出し、
それが1になり2になり‥‥と
徐々に厚みが出てきて、
でも、その当時はまだ、
息を10吹き込んだら3が音になる、
つまり、
半分も音にならないくらいのところで
苦労していた感じですね。
──
本格的にやっても、その難しさ?
小猫
人前で緊張したりすると、
途端にまったく音が鳴らなくなったり、
いい感じで鳴る日もあれば、
次の日はぜんぜん鳴らない‥‥。
とにかくとにかくその繰り返しでした。
だけでなく‥‥自分は、性格的に、
寄席の芸には向かないんじゃないかと、
真剣に悩んだ時期もあって。
──
それは、どうしてですか?
小猫
まず、話していてわかると思いますが、
キャラクター的に、
羽目を外せないくらい真面目なんです。
父のような華もなければ、
おじいちゃんのような茶目っ気もない。
子どものころはまだあったようですが、
高校時代、
思春期を経て、人格形成された自分が、
あまりにカタかった‥‥。
──
なっ、なるほど(笑)。
小猫
自分は芸人に向かないんじゃないかと。
しかも、そのあと、
ネフローゼという腎臓系の病気を患い、
12年間も、
自宅で闘病生活することになりました。
──
12年? そんなに長い間?
小猫
ちょっと無理すると、再発しちゃって。
薬を大量に飲み続けるんですけれども、
すると副作用で身体が壊れてしまう。
薬の量を減らせば再発リスクが高まる。
そのせめぎ合いで、
非常に難しい病気なんですね。
いちばんしんどいときは
歩行器を使わないと歩けないくらいで。
──
それは、何歳から何歳までの間‥‥。
小猫
18から30ですね。
──
うわあ‥‥。
小猫
20代のすべてを闘病に捧げました。
──
そうだったんですか‥‥!
小猫
父は、とにかく病気に向き合え、と。
自分が元気なうちは、
お金の心配はしなくていいから、と。
親のおかげで闘病に専念できました。
ただ、なにしろ自力で起きたり、
歩いたりもできない状態でしたから、
真面目すぎる性格だけじゃなく、
体力的な部分も含めて、
こんなことでは絶対に跡は継げない。
──
お身体がそんな状態だったら‥‥
そう思ってしまっても仕方ないです。
小猫
父も一時はあきらめていたようだと、
父が亡くなったとき、
まわりの方から、うかがいました。
自分の代で、
江戸家猫八の暖簾を下ろす覚悟を
していたみたいだよって。 
でも、三十路を迎えるころになって、
何となく、病気と折り合いがついて。
──
おお、よかった‥‥!
小猫
まあ、とはいえ、
すぐに跡を継げるはずなどないので、
2年間、
立教大学の大学院に通ったんです。 
講義は夜中心で、学生の8割は社会人。
年齢も幅広く、
学部から上がってきた若い世代もいて、
70代の方もいらして‥‥
それが、いい社会勉強になりました。
──
何の研究をしていたんですか。
小猫
社会学です。
いまは亡き友人が、とても難しい
平滑筋肉腫という病気を患っていて、
患者数が少なすぎて
治療の研究が進まないと言っていて。
──
ええ。
小猫
その当時、時間は山ほどあったので、
患者会のメンバーとして
研究開発をバックアップするには‥‥
というような活動をしました。
一般的に「患者会」というものは、
患者同士、おたがいに
励まし合うようなものが多いのですが、
わたしたちは
患者として研究をバックアップしつつ、
うまくレールに乗ったら即解散、
みたいな
ミッション型の患者会をやってまして。
その経験から、
組織論・支援論で論文を書いたんです。
──
社会復帰への、リハビリのような時期。
その間、芸のことって‥‥。
小猫
大学院に通っていた2年間は、
父が小猫から猫八になった時期でした。
なので、修士論文を書きながら、
猫八襲名の公演の手伝いもしたりして、
いろいろ忙しくしていた結果、
気づけば病気が離れていた‥‥という。
──
じゃあ、大学院に通いながら
動物ものまね芸への道に‥‥戻った。
小猫
2009年の秋、父の猫八襲名公演で、
北海道から沖縄まで、
20カ所くらいついて回ったんです。
そのとき、ゲストなしの独演会限定で、
父が、
「最後、ちょっと
親子共演させてもらっていいですか、
って流れで呼ぶぞ!」と。
それで、10カ所くらいでしょうか、
親子で競演をしたんです。
──
四代目の猫八さんとの親子共演、
見たことあります。虫を鳴いてました。
コオロギとかスズムシ、マツムシとか。
ちなみに、そのときは「小猫」ですか。
小猫
いえ、まだ「小猫」を名乗る前でした。
なので名前はどうしようと考えまして、
「そのうち小猫」はどうだろう、と。
──
ははは、いいなあ(笑)。
小猫
そのうち小猫です、というあいさつが
いいつかみになって、
思いの外、笑っていただけたんですよ。
その後の2011年、
大学院を修了した年の3月の末に、
二代目小猫で、デビューいたしました。
──
襲名披露公演は、どちらで?
小猫
紀尾井小ホールで、やらせていただいて。
三代目の(三遊亭)圓歌師匠、
落語協会最高顧問の(鈴々舎)馬風師匠、
父が司会で口上をやらせていただいて、
ゲストにナポレオンズさん、坂田明さん、
内海桂子師匠にも来ていただいて‥‥。
──
超豪華!
寄席にはじめて出たのは、いつですか。
小猫
はい、すでに「そのうち小猫」としての
自分のネタもできていたし、
一人で舞台に上がれないわけでは
なかったのですが、
二代目小猫を襲名したとき、
父が「寄席だけは、次元が違うんだ」と。
──
次元?
小猫
あの‥‥寄席独特の空気の流れを
読めるようになるまでは、
一人では舞台を踏ませられないと。
まずは、見習いのようなかたちで
父について行って出て、
割(出演料)も一切なし、
15分のうちの後半7分くらいで、
「息子が最近、
小猫になったばかりなもので」と
呼び込んでもらって、
襲名した年の4月の上席から、
親子の共演をしばらく続けました。
──
お正月の華やかな演芸番組だとか
『笑点』にも出ていたお父さまが、
「寄席だけは次元が違う」と。
小猫
そうなんです。特別な場所だ、と。
そのまま1年半ほど続けていました。
すると、当時の会長・
(柳家)小三治師匠をはじめとする
理事のみなさまがたが、
そろそろ小猫さん、
高座、一人でいいんじゃないのって、
父に打診してくださった。
父は、それを待ってたみたいですね。
──
声がかかるのを。
小猫
つまり「寄席」というところは、
とにかくまわりが「見てる」んだと。
師匠方はもちろん、
出囃子をやってくださる
お囃子の師匠方、前座さんを含めて、
とにかく
いろんな人がおまえの芸を見てると。
見どころがあるなら、声がかかる。
たぶん父はその日を待ってたんです。
──
わあ‥‥。
小猫
それが、2012年の秋のことでした。
ポンと背中を押していただいて、
それから
一人で寄席に立たせてもらってます。

(つづきます)

2022-10-11-TUE

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  • 定番のウグイス、カエル、秋の虫から、
    フクロテナガザル、アシカ、
    さらにヌーやクロサイ、アルパカまで!
    来年2023年の春には、
    五代目の江戸家猫八を襲名する
    小猫さんの動物なきまねは本当に絶品。

    ぜひとも寄席などへ、
    きがるに聞きに行ってみてください。
    地方の動物園で公演してたりするので、
    出演情報は、公式サイトでチェックを。
    たまに開催している
    Twitterスペースも楽しいですよ。

    なお、今回の取材に際しては、
    小猫さんもたびたび通っているという
    井の頭自然文化園のなかに佇む
    童心居という建物をお借りしました。
    ここは、詩人・野口雨情さんの書斎を
    移築したもので、
    申請すれば有料でお借りできるんです。
    (小猫さんに教えてもらいました)
    ふだんはお茶会や句会が開かれている
    この趣き深い建物、
    機会があったら、訪れてみてください。

    ※インタビューの数日後、小林のり一さんがご逝去されました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

    撮影:中村圭介