シャンソンって、フランスのふるい歌ですよね?
なーんて思い込んでいたら、もったいない。
それは、日本の歌謡曲の中にも流れ込んでいて、
いまもたまらない魅力を放っています。
たとえば、中森明菜さんの「難破船」の中で。
なかにし礼さんのつくった多くの歌の中で。
シャンソンのDNAみたいな何かが、
ぼくらの大好きな歌の中で、生きているんです。
そのあたりの尽きせぬテーマについて、
「神野美伽さんが歌う はじめてのシャンソン」
をやろうと言い出した画家の笹尾光彦さんと
糸井重里を囲んで、おしゃべりしました。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。

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第6回  火を絶やさないという仕事

──
今回のシャンソンの会は、
笹尾さんが「場をつくってくれた」ことが、
やっぱり大きなことでした。
なぜなら、シャンソンの会をやろうなんて、
自分の中からは、
たぶん一生、出てはこなかったと思うので。
糸井
うん。
──
ご自身は「場」を用意して、
そこで、ぼくらにチャンスを与えてくれる。
大人っぽいというか、
かっこいい仕事だなあって思うんです。
糸井さんも、
そういうことをずっとやってきてますよね。
糸井
きみらも、やったらいいじゃないか。

──
はい(笑)、ですよね。やりたいです。
でも、おいそれとはできないっていうのか、
その「場」自体が
楽しくなかったらダメじゃないですか。
そういう意味では、
今回の「シャンソン」は、おもしろいです。
取材すればするほど、知れば知るほど。
糸井
ぼくはともかく、笹尾さんは
画家になる前は
クリエイティブディレクターだったわけで、
そういう仕事をしてきた人だから。
こういうつくりものも、
言ってみれば、お手のものなんでしょうし。
──
今回に限らず、プロジェクトの開始時点で、
こういうものをつくってきてくれます。
それを見てぼくらは
「こんなふうにできたらいいなあ!」って、
その気にさせられてしまう(笑)。
笹尾
やっぱり、ぼくのあたまの中にあるものを
かたちにしたいんですね。
とくに、チームに何かを伝えるときには、
こういうものがあると助かるんですよ。
──
今回も、コンサート当日に会場に来る
お客さんのようすまでイメージしてくれて、
スカーフでもくつしたでも、
どこか赤いものを身につけてきてくれたら
素敵だよね‥‥とか。
糸井
ああ、だからつくってるんだ。
──
はい、そうなんです。
今回の会のオリジナルグッズとして、
笹尾さんの絵を用いたスカーフとくつしたを、
つくっています。
笹尾
こうして神野さんと「ほぼ日」のみんなに
シャンソンの会をやったらって言って、
迷惑ばっかりかけていて、
実際、大変なことをしてると思うんだけど、
ここ数年、
「ほぼ日」といろんな仕事をやってみて、
その経験から、
とにかく、「ほぼ日」なら、
新しい時代のシャンソンの会をつくれると、
本気で思ったから提案したんです。

糸井
できることできないことは当然ありますが、
そうやって
一緒に遊びたいって思ってもらえることは、
うれしいことだよね。
──
はい。
笹尾
いやいや、逆ですよ。
だって、40歳以上も離れている人たちに、
こっちが遊んでもらってる感じ。
糸井
ぼくもそうです(笑)。
──
先日、糸井さんに
今回のことについてメールをしたときに、
こういうお返事が来たんです。
場をつくる‥‥ということについて
「渦巻きの始点をつくる。
薪をくべる。
温度を下げないようにあっためる。
ときどき笑わせる」って。
笹尾
いいなあ。
──
はい、すごくいいなあと思いました。
糸井
ともすれば、
チャンチャンバラバラみたいな派手なことを
やり続けるのがクリエイティブだと
思い込んでしまうんだけど、
でも、じつは、
火を絶やさないようにたんたんと薪をくべて、
場の温度を下げないようにすることも、
ものすごくクリエイティブな仕事なんだよね。
この鍋で、すごい料理をつくろう‥‥なんて
腕まくりして言わなくたって、
火の燃えている場所から誰かに手招きしたら、
焼き芋を持ってくる人がいるかもしれない。
──
なるほど、そこに火さえ燃えていれば。
糸井
いい意味で「他人をあてにする」っていうか、
「時間をあてにする」っていうか。
火の番だけはしておこうよって、
それだけで、
じつは、案外いろんなことができるんですよ。

──
糸井さんとしては、そういう仕事については、
いつくらいからやってる感じなんですか。
糸井
ずっと人んちに出かけていく仕事だったから、
「ほぼ日」をはじめてからじゃない?
──
でも、たとえば「萬流コピー塾」とか。
糸井
うん、それはそれでやってたけど、
あれもやっぱり「人んち」でやってたんだよ。
編集長が変われば、企画も終わるし。
『ビックリハウス』の「ヘンタイよいこ新聞」
にしたって、
ずっとは続けていけないよねっていうことで、
最後はイベントをやっておしまいにした。
いわば「生命の短さ」が、
ぼくのやることの特徴だったんだけど、
やっぱり「永遠の生命」がほしくなるわけで。
──
ああ‥‥。
糸井
だから「ほぼ日」をやってはじめて、
場をつくって、火を絶やさないようしながら、
「仲間」とか「時間」をあてにする、
そっちのおもしろさが
わかるようになったんじゃないかなあ。
種類のちがうことだけど、
長くやったほうが、やっぱり、おもしろいよ。
とんでもないとこまでいくから。
──
そうですか。
糸井
だから、いまは、ぼくが途中で口を出して
ぼくのサイズになっちゃうのが嫌で、
見守っておこうって仕事が、いっぱいある。
今回のシャンソンの会だって、
半歩、外側から見てたほうがいいんだよね。
たぶん。火の番はしておくんで。
──
ありがとうございます。
糸井
そうやって、あたためられた場所で
偶然に出会うものは、ぜんぶ「いい」から。
──
はい。
糸井
今日の話で言えば、
やっぱり「自由」ということじゃないかな。
これまでの「シャンソン」から自由になる。
もっと言えば、
みんなは笹尾さんからも自由になっていい。
それぞれ自分自身からも自由になっていい。
いろんな場面で
「ここ、こうしちゃおうか!」なんてことが、
偶然のような起これば起こるほど、
この会は、きっと、おもしろくなると思うよ。
──
はい。
笹尾
神野さんの歌を聴いて、会場を出るとき、
みんなが、
自由な気持ちになっていたら最高だよね。
そんな会になったら、いいなあ。

(つづきます)

2025-10-22-WED

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