シャンソンって、フランスのふるい歌ですよね?
なーんて思い込んでいたら、もったいない。
それは、日本の歌謡曲の中にも流れ込んでいて、
いまもたまらない魅力を放っています。
たとえば、中森明菜さんの「難破船」の中で。
なかにし礼さんのつくった多くの歌の中で。
シャンソンのDNAみたいな何かが、
ぼくらの大好きな歌の中で、生きているんです。
そのあたりの尽きせぬテーマについて、
「神野美伽さんが歌う はじめてのシャンソン」
をやろうと言い出した画家の笹尾光彦さんと
糸井重里を囲んで、おしゃべりしました。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。

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第4回  「オー・シャンゼリゼ」って実は

笹尾
これ、いまから45年くらい前に、
シャルル・アズナブールが
新宿でやったコンサートの切符なんですけど。
糸井
おおー。
笹尾
ぼくがデザインしたんです、当時。
糸井
わあ、そうですか。
笹尾
ポスターやパンフレットをはじめ、
一式、デザインしたんですよ。若いときにね。
実際にコンサートにも行って、
フランス語はまったくわからないんだけど、
「ラ・ボエーム」にしても、
「イザベル」にしても、
聴いただけで、涙が、本当に出てくるんです。
糸井
いいですよねえ。
笹尾
センターマイクを1本立てて、
バンドをバックに、アズナブールが歌ってる。
ただそれだけ。派手な演出なんて何もない。
それで「人生」というものを歌ってくれた。
歌のちからで、
言葉なんかわからなくったって通じるんです。
糸井
アズナブールって、
映画の『アイドルを探せ』にも出てますよね。
笹尾
出てます、出てます。
糸井
あれ、主演がシルヴィ・ヴァルタンでしょう。
笹尾
すばらしいよね(拍手しながら)。

糸井
あの映画のときに絶頂期だったと思うけど、
ある意味で、ビートルズより「上」でしたよ。
王女さまみたいなシルヴィ・ヴァルタンを、
ビートルズの4人が囲んで、
「わあ!」みたいな顔をしてる写真もあるし。
──
楽曲のほうの「アイドルを探せ」は、
中尾ミエさんとか
ザ・ピーナッツがカヴァーしてるようですが、
さっきの弘田三枝子さんも歌ってました。
糸井
映画の中では、
アズナブールが「想い出の瞳」を歌っていて、
あれも圧巻だったなあ。
本当に一生懸命、一生懸命に歌っていたから、
当時は中学3年でまだコドモなんで、
何でも茶化したくなる年齢じゃないですか。
でも、笑いたいとも思わなかった。
あまりに没入してしまったせいで、笑えない。
どうしても「いい!」になっちゃう。
──
中学生の心もつかんでしまった。
糸井
ぼくが、最初にシャンソンにつかまったのは、
あのときのアズナブールだったのかも。
あらゆるものをからかいたい中学3年生が、
あの「想い出の瞳」は笑えなかった。
本当はシルヴィ・ヴァルタンを見に行ったのに。
笹尾
のちの話ですけど、ぼくも中野サンプラザで
シルヴィ・ヴァルタンを見てます。
すごくよかったんだけど、
最後が「オー・シャンゼリゼ」だったんです。
7年か8年くらい前に、
Bunkamuraのオーチャードホールで観た
ZAZ(ザーズ)という
大人気の女性シンガーのコンサートでも、
最後は、「オー・シャンゼリゼ」だったなあ。
──
でも、お話を聞いていると、
日本でシャンソンが華やかだった時代って、
いろんな人のバックグラウンドに
シャンソンがあって、
かつ、いろんなジャンルの人や歌や文化が
つながってる、
一緒にあったんだなあという感じがします。
別件で昭和喜劇、
三木のり平さんの取材をしているんですが、
越路吹雪さんのお名前が、
もう、さまざまなところで出てくるんです。
糸井
だから、ひょいっと何かがつながったら、
いろんなことができそうだよね。
笹尾さんの提案に、
神野さんが「やります」って言ったのだって、
演歌と「つながった」わけだし。

──
なるほど。
つながりたいって思う気持ちさえあれば、
つながれる。
糸井
それに、さっきから話に出ている
「オー・シャンゼリゼ」という曲のことを
「シャンソンといえば」
みたいな感じでみんな言うけど、
ぼくはポップソングだと思って聴いてたし。
シャンソンとして出てきたっていうよりも、
「世界のベストヒット」みたいな番組の
チャートを上がってきた曲だったんだよね。
──
まさしく、おっしゃる通りなんだそうです。
つまり「オー・シャンゼリゼ」って、
もともとシャンソンじゃないらしいんです。
糸井
あ、やっぱり。
──
60年代のイギリスのロックバンドの
「ウォータールー・ロード」って曲が元で、
売れなかった、と。
で、その歌をフランスへ持っていった人が
詞を「シャンゼリゼ」にして歌ったら、
大ヒットしてしまった、と。
笹尾
じゃあ「ウォータールー通り」だったんだ。
「シャンゼリゼ通り」じゃなくて。
──
そうなんです。元の曲をサブスクで聞くと、
メロディも
伴奏の合いの手などもほとんど同じですね。
糸井
歌っていたのは、ダニエル・ビダル‥‥。
笹尾
そうですね。
──
その代わりってわけでもないですが、
「マイ・ウェイ」は「シャンソンだ」って、
みなさんおっしゃいます。
糸井
えっ、そうなんだ。
──
フランク・シナトラが歌って大ヒットして、
世界中いろんな国で歌われているという
イメージがありますけど、
もともとは、フランスの人がつくった
「Comme d'habitude」
という曲が、オリジナルなんだそうです。
糸井
おもしろいねえ。
ああ、フランス・ギャルという人もいたな。
どんどん思い出してきたぞ。
セルジュ・ゲンズブールの
「夢見るシャンソン人形」を歌ってたんだ。
──
弘田三枝子さんも歌ってらっしゃいますね。
「夢見るシャンソン人形」。
こちらも世界中でヒットしたという曲です。
糸井
あと「待ちくたびれた日曜日」という歌が
あったんだけど‥‥
あれは、誰が歌詞を書いていたんだろう。
髪もきれいにとかしたし、
靴もピカピカ光ったし‥‥って歌い出しで、
2コーラス目、
最初に「犬もお風呂に入ったし」‥‥って、
もうさあ、たまんないよね(笑)。
笹尾
いいですねえ(笑)。
糸井
あなたの好きなアネモネも
ほどよく咲かせておいたのに、
待ちくたびれた日曜日‥‥。
──
いま、ネットで調べたところ、
作詞は「小薗江圭子さん」、だそうです。
糸井
ああ、小薗江(おそのえ)さんなのか!
イラストレーターもやってた人なんだよ。
協和銀行のノベルティで、
ソフビの桃太郎セットをつくった人。
婦人画報社で、イラストを描いてました。
『MEN’S CLUB』とか。
笹尾
そういう人が、詞も書いてたんですか。
糸井
本業は何だったのかなあ。
──
ぬいぐるみ作家や著述業、映像なんかも
手掛けていたそうです。
糸井
作詞が唯一の本業だったわけじゃなくて、
いろいろやってたんだよね。
たしか「クィクヮイマニマニ」っていう、
NHKの「みんなのうた」の曲の歌詞も、
そうじゃなかったかな。
そうかあ、小薗江さんだったのかあ‥‥。

(つづきます)

2025-10-20-MON

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