シャンソンって、フランスのふるい歌ですよね?
なーんて思い込んでいたら、もったいない。
それは、日本の歌謡曲の中にも流れ込んでいて、
いまもたまらない魅力を放っています。
たとえば、中森明菜さんの「難破船」の中で。
なかにし礼さんのつくった多くの歌の中で。
シャンソンのDNAみたいな何かが、
ぼくらの大好きな歌の中で、生きているんです。
そのあたりの尽きせぬテーマについて、
「神野美伽さんが歌う はじめてのシャンソン」
をやろうと言い出した画家の笹尾光彦さんと
糸井重里を囲んで、おしゃべりしました。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。

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第3回  わたしの人生、わたしの歌

──
シャンソンの要素や遺伝子が
日本の「歌謡曲」に流れているという話は、
すごくおもしろいです。
糸井
そこに、みんなの集まる場所があると思う。
たとえば、中森明菜が
泣きながら「難破船」を歌うというときに、
「わたしの歌」にしちゃうでしょ。
それくらい「自分」を入れて歌うわけです。
──
もともとは加藤登紀子さんの歌を。
糸井
そのときの
歌としての「強さ」っていえばいいのかな、
美空ひばりにも通じるよね。
「わたしの歌、わたしの人生」みたいな。
いま、ぼくがカラオケに行って歌うのって、
そういう歌ばっかりだしね。
笹尾
シャンソンが「わたしの歌、わたしの人生」
というのは、
まさしくそのとおりだと思います。
ぼくが20歳のころだから、
もう65年くらい前の話なんだけど(笑)、
当時の厚生年金会館で
イヴ・モンタンを聴いたんですよ。
フランス語だから歌詞の意味はわからない。
でも自分の人生を歌ってることがわかった。
それだけで、本当にかっこよかった。

糸井
うん、うん。
笹尾
はじめてシャンソンに触れたのがそのとき。
いまでも鮮明に覚えていますよ。
マイク1本だけ立てた真っ黒なステージに、
黒いスーツ、黒いネクタイの姿で。
もう、忘れられないです。
糸井
シャンソンの代名詞みたいな人ですもんね。
「枯れ葉」ですよね。
笹尾
この中で、65年も前のコンサートを
見ることができた大人ってぼくだけだけど、
桑山哲也さんが、
先日の「ほぼ日」のインタビューの中で
「おすすめの1曲」として
イヴ・モンタンの「枯葉」を挙げてたのは、
うれしかったなあ。
──
いま、ぼくらは「シャンソン」って聞くと、
ちゃんと聴いたことないなとか、
ちょっと難しそうなんて思ったりしますが、
昔はもっと、世の中というか、
みんなが触れていた大衆的な文化のなかに、
ふつうにあったものなんですよね。
糸井
『おそ松くん』にも影響してるしね。
──
えっ!
糸井
あのフランスかぶれでイヤミさんってのが、
「枯れ葉よ~」って言ってるじゃない。
笹尾
ああ、そうだ。
糸井
つまり、当時の赤塚不二夫さんのまわりに、
というか、日本のあちこちに、
ああいうフランスかぶれの人がいたんです。
──
「シェー!」みたいな人が。
糸井
たぶん「パリ」ってところは、
日本が嫌だと思った人が出て行くところの
ひとつだったんじゃない?
岡本かの子の息子をやってるのが嫌になった
岡本太郎もそうだろうし、
〈ふらんすに行きたしと思へども〉と書いた
萩原朔太郎もそうだろうし。
日本の「土着性」みたいなものから離れたい、
と思った人が、
一時期、アメリカじゃなくて、パリへ行った。
──
就職する会社が次々と倒産していった
レ・ロマネスクのTOBIさんも‥‥パリへ。
糸井
そうそう(笑)。
見知らぬ国でぜんぶを捨てたいと思った人が、
海の波間でつかまった木切れ、
それが、
フランスのシャンソンの黒ずくめの服だった。
──
なるほど。
糸井
笹尾さんが見た黒づくめのイヴ・モンタンも、
長い黒髪のジュリエット・グレコも、
ある種の「暗さ」を歌う人たちだったんです。
それまでの日本の歌謡曲にはなかった要素で、
だからこそ「理解されない人たち」が、
「こぞってつかまる場所」になったんですよ。
漂泊の詩人になろうと思ったとき、
山頭火を目指すかパリに行くか‥‥みたいな。

──
少し前に観にいった赤塚不二夫さんの舞台に、
イヤミが出てきたんですけど、
演じていたのがROLLYさんだったんです。
で、ROLLYさんって、
ロックの前にシャンソンの人だったんです。
いまは「パリ祭」の司会もしてるし。
ひとりの人の中でも「混ざってる」んですね。
糸井
ぴったりのキャスティングだね(笑)。
──
顔も似てるし、最高でした(笑)。
もともとトニー谷がお好きだったそうですが。
ちなみに、その舞台の脚本と演出は、
かつて、ほぼ日の「はじめてのJAZZ」でも
構成を手掛けてくださった、
「笑っていいとも!」の髙平哲郎さん。
髙平さんもシャンソンにお詳しい方ですよね。
「パリ祭」の構成・演出もしているし。
笹尾
いろいろと、つながってくるね。
──
そうなんです。それで、おもしろいんです。
糸井
とにかく、パリってところは、
東京の子がふらっと行くんじゃない気がする。
地方の封建社会から逃れたい人が、
一気にパリをつかみに行く気がするんですよ。
笹尾さんだって、東京じゃないでしょ。
笹尾
静岡です。
糸井
東京にいて、あるていどうまくやってたら、
わざわざパリまで行かなくても、
そこそこひねくれたことはできるからね。
江戸っ子の仲間に入ればいいというか、
落語や小唄の世界だってあるわけですけど、
地方の田舎にいると、
もっと強く何かをつかみたくなるんだよね。
──
それが「パリ」だった。
糸井
その時代その時代の
「真ん中」にいられなかったような人を
助けてくれるのは、いつも外国なんです。
ぼくの場合は、ジーンズを穿くだとかさ、
ベンチャーズだとかさ、
つまりは「アメリカ」だったんだけど、
ある時代には
「シャンソン、パリ、エッフェル塔」が、
その役をやってたんじゃない?
笹尾
そうかもしれない。
糸井
で、それぞれにいろんな事情があって、
日本から出ていくんだって決めた人たちが、
真剣に自分の人生を歌ったら、
それはもう、泣いちゃうと思うんです。
──
それが、つまり「シャンソン」。
糸井
わたしの歌、わたしの人生。
シャンソンって、そういう歌なんですよね。

(つづきます)

2025-10-19-SUN

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