シャンソンって、フランスのふるい歌ですよね?
なーんて思い込んでいたら、もったいない。
それは、日本の歌謡曲の中にも流れ込んでいて、
いまもたまらない魅力を放っています。
たとえば、中森明菜さんの「難破船」の中で。
なかにし礼さんのつくった多くの歌の中で。
シャンソンのDNAみたいな何かが、
ぼくらの大好きな歌の中で、生きているんです。
そのあたりの尽きせぬテーマについて、
「神野美伽さんが歌う はじめてのシャンソン」
をやろうと言い出した画家の笹尾光彦さんと
糸井重里を囲んで、おしゃべりしました。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。

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第2回  なかにし礼さんがすごい

──
なかにし礼さんのお名前も出ましたが、
シャンソンって「歌詞」が独特ですよね。
糸井
どこかに「本音」のようなものを感じる。
「花鳥風月」じゃなくて、
「わたしは娼婦で」みたいなことも
平気で歌っちゃうじゃない。
貧乏していたりしてもへっちゃらだしさ。
──
かと思えば、老女優が
かつての栄光の日々を懐かしんでいたり。
糸井
シャンソンじゃないのに、
シャンソンみたいに残っている歌があって、
「囚人の歌」っていうんだけど、
笹尾さんなら知ってるかなあ。
笹尾
はい、知ってます。
──
ちょっと前に、糸井さんに教えてもらって、
ぼくも聴いてみました。
ロシア民謡なので、
シャンソンとも似ている部分が多いですね。
アコーディオンの音色が印象的だったり。
糸井
船漕ぐ明け暮れ、鎖につながれ‥‥ってね、
ぼくが大学生だったときに、
まわりの学生運動の連中が歌ってたんです。
人を殺したわけじゃない、
物を盗んだ覚えもない‥‥って言いながら
「捕まってる人たち」が、
「つかまりたい歌」だったんだと思う。
──
ああ、「つかまりたい歌」!
その感じは、まさにシャンソンのようです。
糸井
それこそ「難破船」だよね。
木切れでいいからつかまりたい若者が歌う、
それが「囚人の歌」だった。
デモでボカボカやられて両脇を抱えられて
歩いてるときに、誰かが歌い出す。
そうするとね、もう、涙が出てくるんだよ。
「これは俺だよ」‥‥って(笑)。

笹尾
そうだったんですね。
糸井
だからさ、当時の「丸山明宏さん」だって、
受け入れられなかったでしょ。
あの時代に、メディアに
「シスターボーイ」とかって言われて。
もしクラスの中にそういうやつがいたら、
みんなで揶揄するくらいには、
地方の子どもも含めて、
世の中や時代は差別的だったわけだから。
──
美輪さんご自身、70年代のライブのMCで、
1950年代に「メケメケ」で売れたとき、
「日本中の8割がわたしのことを嫌ってた」
みたいなことを言ってました。
糸井
きっと、そのとおりだったんでしょうね。
そういう人たちのつかまる先のひとつが
シャンソンであり、パリだった。
一方で、パリでオムレツを焼きながら
エッセイを書いてるようなイメージの
石井好子さんみたいな人もいた。
パリでは、両者が合流できたんだよね。
それくらい、文化として強さががあった。
だから「根性がある」んじゃない?
──
はい。根性のある感じはすごくあります。
取材をしていると。
シャンソンのまわりにいるみなさんって。
糸井
やっぱり、日本のシャンソンについては、
なかにし礼さんの存在が大きいんだと思う。
最初はあまり好きじゃなかったけど、
「時には娼婦のように」なんて、
それまでの歌謡曲にはなかった歌詞だもん。
乳房を‥‥とか、大きく脚を‥‥とか、
あれ、なかにしさんのフルスイングだと思うよ。
阿久悠さんだって影響を受けてるだろうし、
ぼくら下の世代も「いいな」と思った。
不倫とか水商売の人の恋を歌う演歌も、
なかにしさんの系譜でつながってるからね。
──
シャンソンの訳詞をたくさんやってきた
なかにしさんが、
日本の歌謡曲に与えた影響がすごい。
糸井
なかにしさんじゃないけど、
あの「ラヴ・イズ・オーヴァー」だって、
シャンソンだよ、ほとんど。
誰に抱かれても忘れはしない、
きっと最後の恋だと思うから‥‥ってさあ、
たまんないでしょう。
──
これもシャンソンではないんですけど、
最近「人形の家」に異様にハマっています。
糸井
ああ、あの歌も、なかにし礼さんだ。
いいよね。
──
歌っているのは、弘田三枝子さんです。
歌謡曲の人はもちろん、
演歌歌手やロックミュージシャンなど、
いろんな人がカバーしてます。

糸井
あの思い入れの強い歌い方は、
どこかシャンソンに通じるものがあるよね。
弘田さんって、基本的には、
アメリカンポップスを歌う人だったけど。
──
「V・A・C・A‥‥」でみんな知ってる
「ヴァケーション」なんかは、
カラッとして「元気!」って感じですね。
糸井
その点、「人形の家」は、
お化粧をしてから歌っている感じだよね。
だから、あの感じのまんま
竹内まりやの「駅」とか歌っちゃったら、
トゥーマッチになると思う。
ちょっと粘りっ気が強すぎるっていうか。
笹尾
深い話だなあ(笑)。

糸井
だから、そういう人たちは、
みんなシャンソンを歌えばいいんだよね。
山本リンダにしたって、
「別れの朝」なんかシャンソンぽいし。
──
実際、山本リンダさんは、
フレンチポップスを歌っていた時期もあって、
今年の「パリ祭」にも出てました。
先日、ROLLYさんも、
山本リンダさんの「きりきり舞い」の冒頭が、
ミッシェル・ポルナレフの
「シェリーにくちづけ」のイントロの
「トゥートゥートゥマシェリーマシェリー」
にそっくりだって言ってましたし。
糸井
やっぱり、シャンソンって、
あっちにもこっちにも流れ込んでるんだよね。
弘田三枝子の「人形の家」ってさ、
すごーくおとなしくはじまるじゃないですか。
──
ええ。
糸井
顔も見たくないほどあなたに嫌われるなんて
とても信じられない‥‥というところから、
最後は
「わたしはあなたに命をあずけた」‥‥って。
──
ドラマティックですよね。
最後の1行が、もう本当にヤバいです。
糸井
命をあずけたのに、
結局、ほこりまみれに捨てられた‥‥という、
娼婦の歌でしょう。
アメリカの民謡だけど
「The House of the Rising Sun」だよね。
あっちも、もともと黒人娼婦の歌だし。
──
はい、アニマルズがカバーした
「朝日のあたる家」としても有名な曲ですね。
先ほど糸井さんは、
最初なかにし礼さんの歌詞のことを、
あまり好きじゃなかったと言ってましたが、
それは、どうしてですか。
糸井
なんて嫌な詞を書くんだろうと思ってた。
それは、つまり「惹かれてる」んだけど。
──
おお‥‥いまの言葉自体が、
シャンソンの歌詞みたいです。
糸井
矢野顕子のデビューコンサートも同じでさ、
渋谷公会堂で
「みなさん、よろしくお願いします!」
じゃなくて、
「わたしの音楽を聴かせてあげるわ」
みたいに感じたんですよ。自信まんまんで。
デビューアルバムでは、
リトル・フィートがバックをやってたし。
つまり、「かき混ぜられちゃう」んだよね。
ものすごいものを前にすると。

(つづきます)

2025-10-18-SAT

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