
シャンソンって、フランスのふるい歌ですよね?
なーんて思い込んでいたら、もったいない。
それは、日本の歌謡曲の中にも流れ込んでいて、
いまもたまらない魅力を放っています。
たとえば、中森明菜さんの「難破船」の中で。
なかにし礼さんのつくった多くの歌の中で。
シャンソンのDNAみたいな何かが、
ぼくらの大好きな歌の中で、生きているんです。
そのあたりの尽きせぬテーマについて、
「神野美伽さんが歌う はじめてのシャンソン」
をやろうと言い出した画家の笹尾光彦さんと
糸井重里を囲んで、おしゃべりしました。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。
- 糸井
- 笹尾さんの絵、シャンソンの会場に飾るの?
- ──
- はい、今回の「言い出しっぺ」の責任、
ということで(笑)、
個展の制作でお忙しい中、
作品を描き下ろしてくださったんです。 - 会場の草月ホールのロビーに飾りつつ、
ご希望の方には、
ご購入いただけるようにしたいな、と。
- 糸井
- いいね。
- ──
- 笹尾さんの絵をあしらったスカーフとか、
くつしたなんかもつくっています。 - そういう「とくいな仕事」も混ぜながら、
ぼくらいま、
「シャンソン」について
急速に吸収しているところです(笑)。
- 笹尾
- いやあ、だって、ここにいる人の全員が
「シャンソン、はじめて」なのに、
シャンソンのコンサートを開くんですよ。 - 暴挙ですよ(笑)。
- ──
- それを笹尾さんがおっしゃる!(笑)
- ただ、暴挙かどうかはわかりませんけど、
少なくとも「冒険感」はあります。
- 笹尾
- シャンソンを聴いたことがあるくらいで、
実際はまったく未知の世界に
足を踏み入れていってるわけですから、
みなさんね、本当に勇敢な冒険家ですよ。 - ぼく以外。
- ──
- いやいや、笹尾さんは毎年恒例の
秋の文化村の個展の制作でご多忙ですし、
でも、こうして作品を描いたり、
たまに顔を出してくださったりしていて。 - これまでの経緯を、ざっとお話しますと、
以前「ほぼ日」に掲載した
神野美伽さんのインタビューを、
笹尾さんが読んでくださったんですけど。
- 笹尾
- そう、あのインタビューの神野さんの話に、
とても感動したんです。
ニューヨークの名門ジャズクラブで
演歌を歌いたいとチャレンジしている姿に。 - そして、そのあとのコロナ禍で、
大きな手術をしたばっかりの神野さんが、
首に大きなコルセットを巻いて、
声を出すのも大変な状態なのに、
インターネットの配信で、
「オー・シャンゼリゼ」を歌ったんです。
- 糸井
- はい。
- ──
- 北の大地の暴走族から
日本を代表するアコーディオニストになった
桑山哲也さんが、
アコーディオンで伴奏していた動画ですね。
- 笹尾
- その姿を見て、
ぼくは、もう、涙があふれて止まらなかった。 - 神野さんが大好きな歌を歌えるようになって、
本当によかったと思ったし、
神野さんの「オー・シャンゼリゼ」に
救われた気持ちにもなった。
あんなに泣いたことないくらい泣いたんです。
と‥‥いうことをね、恥ずかしいんだけど、
奥野さんにメールしたんです。
- 糸井
- ええ。
- ──
- ぼくは、そのことを
そのまんま神野さんにお伝えしたところ、
じつは神野さんも、
笹尾さんの絵が好きだったと言うんです。 - 「ほぼ日」でやった展覧会にも、
神野さん、来てくださっていたらしくて。
- 糸井
- おお。
- 笹尾
- そこで、昨年秋のぼくの個展のタイミングで、
3人で軽くランチをしたんです。 - そのときに「オー・シャンゼリゼ」の話から
神野さんがシャンソンの会を開催したら、
とっても素敵だろうということと、
やるのなら「ほぼ日」しかないだろう、
「ほぼ日」の読者なら、
シャンソンを知らなくても
きっと興味を持ってくれるから‥‥って。
- ──
- 笹尾さんが、ま、おっしゃいまして(笑)。
- 笹尾
- われながら、軽はずみにも(笑)、
そんなことを提案しちゃったんですけど、
その一ヶ月後にはもう、
「ほぼ日」のチームと神野さんとで集まって、
「こんなふうにしたらどうだろう」
というミーティングをやっていたんです。
- 糸井
- なるほど(笑)。
- 笹尾
- 「ほぼ日」のみんなも、神野さんもね、
まったくのはじめての世界への挑戦ですから、
苦労されていると思うんですよ。 - だって、いまどき‥‥って言ったら悪いけど、
あの草月ホールで
シャンソンのコンサートだなんて難しいです。
でも、それをやれるのは、
ぼくは「ほぼ日」しかないと思ったんですよ。
- 糸井
- でもさあ、「苦労してる」って言ってるけど、
みんな、よく笑うよね(笑)。
- 笹尾
- 大変な思いをしてるわりにはね。
- 糸井
- 明るいんだよ。冒険だ無謀だって言うけどさ、
すっごく楽しそうじゃない。
- ──
- はい、あの、楽しいのはたしかです(笑)。
- 糸井
- 伝わってくるよ。
- ──
- シャンソンまわりにはおもしろい人が多くて、
何人もインタビューしてきましたが、
話を聞けば聞くほど、
シャンソンって奥が深いなあと感じています。 - それと、今回に限らずなんですが、
笹尾さんって、最初のミーティングのときに、
かならず、
こういう資料をつくってきてくださるんです。
- 糸井
- そうだよね。
- ──
- こんなプロジェクトになったらいいねという、
大元のコンセプトが描かれてるんですが、
これがまた、ちいさなアートピースなんです。 - そこでぼくらは、
「うわー、こんな素敵にできたらいいなあ!」
なんて、その気にさせられちゃって。
- 糸井
- いいねえ。もともとそういう人だもんね。
- ──
- はい。50代の半ばまで
広告代理店でクリエイティブをやっていて、
最後、画家に転身する直前まで、
外資系広告代理店の副社長だった方なので。
- 笹尾
- これは、ぼくの「夢」なんですけどね。
- このシャンソンの会が徐々に評判になって、
毎年秋になったら
「ほぼ日のシャンソンの会を聴きに行こう」
なんてことになったらいいなあって。
- ──
- ぼくら「ほぼ日」を見込んでくださって、
期待してくださっていることが、
ありがたいなあと思っています。 - なにしろ、
笹尾さんが不意に扉を開けてくれなければ
シャンソンの会をやるなんて、
たぶん一生、ならなかったと思うので。
- 糸井
- でもさ、奥野くんは中森明菜が好でしょ。
そこに「接点」がある気がするけど。
- ──
- あっ、それは、まさしくそう思いました。
- はじめて、シャンソンの会へ行ったとき、
「あ、ここから『難破船』につながってる」
というふうに感じたんです。
つまり「難破船」って、
中森さんが泣きながら歌ったりしますよね。
- 糸井
- うん。
- ──
- よく考えたら、「難破船」をつくったのは
加藤登紀子さんでした。
加藤さんご自身がお歌いになったあとに、
「この歌はあなたが歌うべきよ」と言って、
中森さんにプレゼントしたという話は、
ファンの間では有名なんですが。
- 笹尾
- ああ、そうだったんだ。
- 糸井
- だから、シャンソンの要素って、
どこかで「歌謡曲」に流れていくんですよ。 - 越路吹雪さんもシャンソンで有名ですけど、
「ラスト・ダンスは私に」なんか、
もともとはアメリカン・ポップスですしね。
- ──
- あ、そこにも「流れ込んで」いるんですね。
シャンソンの要素が。
- 糸井
- 前川清さんにも、玉置浩二さんにも、
シャンソン要素の流れている曲があるよね。
- ──
- 石川ひとみさんの「まちぶせ」なんかにも、
どこかシャンソンを感じます。
物語性なんですかね。
つくったのは荒井由実さんだと思いますが。
- 糸井
- ぼくは、つくり手でいえば、なかでも
なかにし礼という人が重要だと思うんです。 - シャンソンの訳詞をたくさんやった人で、
そのエッセンスを、歌謡曲に持ち込んだ人。
影響を受けた作詞家、たくさんいるよね。
- ──
- なるほど。
- 糸井
- 明らかに、なかにしさんのことをいいなと
思ってるつくり手が、何人も思い浮かぶもんね。
だから、シャンソンって、
おじいさんとかひいおじいさんみたいな、
それくらいの役割で、
ずっと遺伝子が生き続けてるんだと思うんです。 - 日本の歌謡曲の中に、いまも。
(つづきます)
2025-10-17-FRI
-
神野美伽さんが歌う
はじめてのシャンソン演歌歌手の神野美伽さんが、はじめて
「シャンソンだけのコンサート」を開きます。
期日は11月15日(土)、会場は赤坂の草月ホール。
大切にしたいのは「自由」ということ。
自由に「歌」を楽しむ会にできたらと思ってます。
この下で歌唱予定曲を発表していますが、
おそらく聴き覚えのある曲が多いはず。
帰り道に「オー・シャンゼリゼ」を歌いたくなる、
そんなコンサートにしたいと思ってます。
どうぞ、お気軽に遊びに来てくださいね。
