こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

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9 試合後のインタビュー

スポーツはさまざま。

 
「とるべきは、兄ちゃんだな」である。
平野海祝選手の試合後のインタビューである。
兄が人知れず努力している姿を弟は見ていた、
ということにも感動するが、
やはり注目してしまうのは
「兄ちゃん(にいちゃん)」という呼び方である。
兄ちゃんかあ。兄ちゃんね。兄ちゃんよ。
ぼくもそう呼んでみようかなあ。
でもいまさら恥ずかしいなあ。
まあ、冗談みたいにして今度呼んでみるかな。
「あ、平野兄弟(笑)?」なんて、
笑って返してくれるかもしれないし。
いや、いないんですけどね、ぼくに兄は。
しかし、実際に兄か弟がいる人は、
じぶんが「兄ちゃん」と呼ばれたら、
あるいは「兄ちゃん」と呼んだらと考えたのではないか。
それとも意外に多いのかな、
「兄ちゃん」と呼んでいる人は。
ちなみに平野兄弟は三兄弟で、
オリンピックに出た歩夢と海祝のうえに長兄がいる。
『北斗の拳』でいえばトキにあたる人がいる。
え、じゃあ『北斗の拳』でいえば、
真ん中の歩夢がジャギじゃんか。
ジャギはないだろう、ジャギは。
ジャギが金メダルをとらないだろう。
とるべきはジャギじゃないだろう。
ていうか北斗の三兄弟、
長兄がトキで末っ子がケンシロウで
真ん中がジャギって、バランスおかしすぎないか。
ていうかごめん、更新後にご指摘いただき気づいたけど、
ラオウがいたわ。
北斗の人たち、三兄弟じゃなくて四兄弟だったわ。
違う、そういう話じゃなくて、
さらにお兄ちゃんがいるということは、
歩夢も長兄を「兄ちゃん」と呼んでるのかな、
と思ったのだけれど、ジャギで吹っ飛んじゃったな。
家族によってそういう呼び方って違うけど、
スポーツによっても呼び方の傾向が
いろいろあっておもしろいと、
『ミステリと言う勿れ』の久能整ふうに言えば、
ぼくは常々思っている。
たとえばサッカーでは先輩を「くん」づけする。
伊東純也選手が吉田麻也選手のことを
試合後のインタビューのなかで
「麻也くん」なんて呼んだりする。
これ、たとえば野球に置き換えると
なかなか考えられないことである。
たとえばジャイアンツの岡本和真選手が
試合後のインタビューで
「やっぱり、坂本くんが粘ってつないでくれたんで、
うしろに丸くんもいるし、
思い切っていこうと思いました」なんて言ったら、
プロ野球ファンは「ひゃあ」と震え上がる。
逆に野球ファンじゃない人は、これを読んで
「それのどこがおかしいのか」と思うだろう。
野球の世界では、先輩はほぼ「さん」づけである。
それは、選手の格とかチームに何年いるかよりも、
「学年」によるところが大きいみたいだ。
だから、高卒でジャイアンツに入った
岡本和真は今年で在籍8年目だが、
在籍5年目だけれど3コ上の若林晃弘のことを
「若林さん」と呼ぶはずだ。知らんけど。
フィギュアスケートなんかだとさらにまた独特で、
羽生結弦選手にとって荒川静香さんは
「しーちゃん」である。
もちろん、それは競技の傾向というよりも、
個人の関係によるところが大きいが、
それにしたってたとえばどんなに仲がよくても、
岡本和真選手が
「さかもっちゃんがうまくつないでくれたんで」
とは言わないだろう。
岡本和真の話はもういい。
平昌オリンピックで金メダルを獲得した
強豪カナダを破った日本カーリングチーム、
「ロコ・ソラーレ」の4人は、
試合後のインタビューの最後で
カメラに向かって「まりちゃーん!」と呼びかけた。
「まりちゃん」というのは本橋麻里選手のことで、
本橋麻里選手はロコ・ソラーレの代表理事であり、
「アスリートが競技に集中できる環境をつくりたい」
という思いから地域に根ざしたクラブチームを立ち上げた、
いってみれば創立者であり、いちばん偉い人である。
でも、チームのメンバーからすると
「まりちゃん」である。
私はもう岡本和真の話はしないと誓ったから、
岡本和真に渡辺恒雄のことを
「なべつねちゃん」と呼ばせたりはしない。
無駄話も含めていろいろ例を挙げてきたが、
むしろ無駄話のほうが多かったくらいだが、
いったいなにが言いたいかというと、
競技によって、いろんな常識が、
ほんとにさまざまだな、ということだ。
そしてそれは呼び方に限らない。
試合中に罵り合うのがふつう、という競技もある。
胸ぐらつかんだりするけれど、
試合が終わったらめっちゃなかよし、という競技もある。
競技中の選手に他者が触ったら失格という競技もあれば、
競技中の選手と観客がハイタッチしまくる競技もある。
相手を困惑させるためにウソの情報を流す競技もあれば、
同じコーチが違う国の選手を同時に指導する競技もある。
競技場のエアコンの風の向きによって
有利不利が生まれるような繊細な競技もあれば、
台風が近づいてて大荒れだけど決行しちゃう競技もある。
試合前も試合後も審判に礼をする競技もあれば、
ヘイヘイ審判アンタそりゃないぜと
しょっちゅう抗議されてる競技もある。
もう、なんていうんだろう、
スポーツという名のもとに束ねるなら
みんなスポーツだけど、
ほんとうにばらばらでそれぞれだ。
そしておもしろいのは、そういう違いというのは、
どうやらルールだけで縛られているものではない。
スノボの選手たちが
すばらしいパフォーマンスをした選手に
スコアが出る前に駆け寄って抱きつくのは、
どうやらルールではない。
卓球の選手がネットをかすった球で
自分の得点となったときに
よろこばずごめんねと謝るのは、
どうやらルールではない。
自転車のロードレースで終盤までは
トップグループが先頭を交代しながら
風による体力消費を分散させていくのは
どうやらルールではない。
そういうことって、そのスポーツが
長い時間をかけて育んできたもので、
ようするにそれを文化というのだろう。
そしてもう例をいちいち挙げないが、
国や地域や言語によっても、
競技文化というのは常識も傾向もさまざまである。
オリンピックのおもしろさは、
そういう長時間かけて培われてきたさまざまな文化を
4年に1度の世界的祭典という名目のもとに、
やや乱暴にぜんぶ集めてしまうところにある。
いやはやクーベルタン男爵はすごいものをつくった。
オリンピックというのは、
たくさんの文化を2週間ちょっとの間に、
一気に体験できる機会なのである。
さて、そんなふうにオリンピックをつうじて
文化の違いをぼくが実感できるようになったのは、
スポーツと文化を研究したからではない。
世界って、いろんな人がいて、
いろんな文化があるなあ。
そんなふうに思えるのは、
ただ、ただ、オリンピックを観ていたからだ。
オリンピックをおもしろく観ていれば、
世界がさまざまな文化から成り立っていて、
それはひとつのルールでとても縛れるものではない
ということがふつうに理解できると思う。
大きなことを言うつもりはないけれど、
多様性、ダイバーシティって、
学校の授業とか無理に教えるよりも、
いや、教えること自体はぜんぜんいいんだけど、
もっと自然におもしろく実感できる機会が
スポーツ観戦に限らず増やせると思うんです。
最後につけ加えると、
スポーツのそういった文化的な面というのは、
ニュースや記録を追っているだけではわからない。
録画やダイジェストでもちょっと削がれてしまう。
やっぱり観るのがいちばんだと思う。

(つづきます)

2022-02-12-SAT

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