こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

◆永田のTwitterアカウントはこちらです。
Twitter:@1101_nagata

◆投稿フォームはありませんが、
感想のメールはこちらからどうぞ。
>メールを送る

前へ目次ページへ次へ

10 カーリングとスピードスケート

具体的に祈れること。

 
これだけ長くしつこくオリンピックを観ておいてなんだが、
ぼくには、観るのが苦手、という競技がある。
あ、違う違う、
ルールがよくわからないとか、
なんか好きじゃないとか、そういう「苦手」じゃない。
むしろルールなんてシンプルでよくわかっているし、
はじまる前はドキドキしながら待ち構えているし、
実際に観て、声援を送るし、ガッツポーズするし、
特別番組だって観たりもするけど、
じつは、どうもうまく観られないなあ、
と思っている競技があるのだ。
またわけがわからない話をはじめたな、
と思った人は正しい反応だと思うので、
どうぞ怪訝な表情のままおつき合いください。
いつもすみません。
ぼくがスポーツ観戦としてもっとも好きなのは
野球であるということは、
これまであちこちにしばしば書いてきた。
その理由も突き詰めて考えたことがあって、
これも書いたことがあるから要点だけ言うけれども、
野球は「つぎにこうなれ」と
具体的に願ったり祈ったりできるから好きなのだ。
野球は試合中にしょっちゅうプレイが止まる。
そして観る者はそのたびつぎの展開に対して
「こうなってほしい」「こうなってほしくない」と
願ったり祈ったりできる。
いちばんの大きな願いは「勝ってほしい」だが、
そこに至るために段階を踏んでじつに細かく
「こうなれ」と具体的に祈ることができる。
祈りの結果はいちいちすぐに現れて、
それによってつぎの祈りの内容も刻々と変化する。
そういうスポーツ観戦がぼくの好みで、
要するに、観ていて具体的に祈れるスポーツほど、
ぼくにとっては観ていておもしろい。
たとえば、冬季オリンピックの競技でいうと、
わかりやすく祈れるのはカーリングである。
野球との類似を指摘する人も多いが、
局面局面でプレイが止まり、
つぎのプレイについて考えることができるし、
実際、選手たちも試合のなかで
「つぎはこうしよう」とものすごく具体的に話し合う。
それを聞きながら「こうなれ」と願えるから、
観ていてずっとおもしろい。
昨日のデンマーク戦の2点ビハインドの最終エンドなんて、
最後にこう当たってこっちに跳ね返って、
それをこういうふうに弾き出したら、
3点とって大逆転の可能性があるから
そうなりますように、なんていう、
超都合のいい祈りがものの見事にかなったから、
ぼくだけでなく多くの人がテレビの前で声を上げた。
野球やカーリングとはまったく違うけど、
フィギュアスケートも祈れる競技だ。
はじめて観る選手だとさすがに祈りづらいけど、
日本を代表するような選手たちは、
だいたいの流れとか予定しているジャンプなどを
実況の人がわかりやすく教えてくれたりするし、
5つくらいあるジャンプが
勝負を左右することがわかっているから、
まさに心から「降りてくれ」と祈ることができる。
さすがに
「足変えのシットスピンを決めてくれ!」とか、
さらに細かく具体的にはぼくは祈れないけれど、
フィギュアのファンの人は、
そういう細かい祈りもできちゃうんだろうな。
プロトコル読んじゃう人とかは。
ちょっとうらやましい。
そうなのだ。うまく祈るためには、
そのスポーツをちゃんとわかっておかないといけない。
基本的なルールも知らないのに
「とにかく勝て」というのでは祈りにならない。
逆に、ぼくにとって
祈りづらいのがどんな競技かというと、
傾向からいえば「短い距離の速さを競うもの」である。
これはなかなか祈りが難しい。
ドン、とはじまってバーッと行って終わっちゃう。
流れ星が流れてる間に3回願い事なんて言えないように、
短距離のスプリントは祈ったり願ったりが難しい。
でも、じゃあ陸上の100メートル走が
自分にとっておもしろくないかというと、
んなこたぁない、超おもしろい。
あそこまでいくと祈りを飛び越えて、
夜空に上がるでっかい花火を
世界中の人と観るような非日常感がある。
なにしろ、陸上の100メートル走というのは、
いってみれば世界を代表する変人大会である。
おもしろくないわけがないよ、そんなの。
じゃあ、冒頭で言った苦手な観戦がなにかというと、
じつは「競泳」なのだ。
あ、同じ注釈をまた書きますけど、嫌いじゃないよ。
トビウオジャパンの結束、大好きです。
ずっと応援してるのは入江陵介選手です。
でもね、競泳って、レースの最中、
なにをどう考えていいかわからない。
なんというか、観るしかない。
観てて、がんばれと思うし、興奮もするけど、
トップでゴールしたら「やった!」と思って、
遅れたら「残念!」とがっかりするという感じで、
なんか、もうちょっとこう、
なんとかならないかなあと思う。
観てるだけじゃん、これじゃ。
いや、どうあれ、観てるだけなんだけど。
あと、競泳がほかの競技と違って祈りづらい原因は、
「レース中の選手の顔が見えないこと」もある。
いま選手がどういう表情をしているのかがわからない。
あきらめているのか、まだ冷静なのか、
なにか企んでいるのか、まだ目は死んでないのか、
そういう情報があればぼくは想像したり推測したり
願ったり祈ったりすることができるのだが、
スイマーたちって当たり前だけど、
基本、顔はプールのなかである。
そうなるともう、がんばれがんばれと思いつつ、
観ているのは選手の後頭部と背中だけで、
なんなら「トップの選手のタイム」を示す、
緑色のラインばかりを追っていたりする。
ほんと、もうちょっとなんとかしたい。
冬のオリンピックでいうと、
同じように「観てるだけ」になりがちなのが、
スピードスケートだ。
ぼくは高木美帆選手をすごく応援していて、
前に書いたように、レース前は
心拍数があがってしまうくらいなんだけど、
うーん、うまく祈れないんだよなあ。
高木美帆選手がまだ会心の滑りをしていないのは、
ひょっとしたらぼくの祈りが足りないからかもしれない。
世界が歪んでいるのはぼくのしわざかもしれない。
しかし、スピードスケートは、
競泳と違って選手の表情がはっきりとわかる。
とくに終盤、苦しそうに開いた口や、
食いしばった口元から、選手が最後の力を
振り絞っていることがはっきりと伝わってくる。
そしてスピードスケートには、
瞬間的にものすごく祈ってしまう局面もあって、
それはカーブである。
とくに選手の顔が歪むような後半のカーブ。
横へ横へと足を入れ替えるように
交互に蹴って滑りながら、
選手はぎりぎり曲がっていく。
ふくらまないように、ブレないように、
失速しないように、崩れないように、
傾きながら、滑りながら、曲がっていく。
たぶん、ぼくの身体にも、おかしなGがかかる。
観ながら歯だってくいしばっていると思う。
歯を食いしばりながら、
うまく曲がれ、うまく曲がれ、とぼくは祈る。
スピードスケートで、いちばんはらはらするけど、
いちばん観ていて祈り甲斐があるのはここだ。
高木美帆選手には、まだ3つ競技が残っている。
あのストイックな人が、
とびきりの笑顔になりますようにと、
ぼくは大きく祈っている。
今夜、女子500メートル。
小平奈緒選手も、うまく曲がれますように。

(つづきます)

2022-02-13-SUN

前へ目次ページへ次へ