
友人の有田浩介くんが「国際映画祭」をやる。
移住先の石垣島で、たったひとりでだ。
日本、アメリカ、イラン、中国、リトアニア、
ウクライナからの作品を上映する。
それらは映画館のない石垣島の市民会館ほか、
仲間のライブハウスや
かつて映画館だったスペースで上映される。
参加作品の監督が国内外から来島、
トークセッションや交流プログラムを通じて、
参加者との対話がなされる。
食を中心にしたイベントも考えているようだ。
そんなことを、やろうとしてる。ひとりで!
おもしろそうだから取材してきました。
担当は、「ほぼ日」奥野です。
撮影:水野暁子
そろそろ、いちばん聞きたかった話をしたい。つまり「どうして石垣へ移住しようと思ったのか?」についてだ。フリーの映画配給人として、海外の映画祭をめぐり作品を買いつけ、日本各地の劇場で上映する。すでに映画業界とのネットワークはあるわけで、必ずしも東京近郊に住む必要はない。それはわかる。でも、どうして「石垣島」だったのか? あいかわらず突拍子のないことするよね、で片付けることもできなくはない。でも、よくよく聞けば「明確な契機」にあたるものが、石垣の隣の西表島・干立という集落と、2021年という年にあった。
2021年。その年、世界は停止していた。言うまでもなく、コロナ禍まっただ中だったからだ。映画館だけでなくレストランも居酒屋もライブハウスもカラオケボックスも、軒並みロックダウンを余儀なくされた。そんなとき、有田くんは「いまこそ、動こう」と思った。理由は「映画業界が止まっているいまなら、ふだんは買えないような映画が買えるかもしれない」から。そうやって買いつけたのが、ヴェルナー・ヘルツォークの『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』だった。旅行作家チャトウィンを扱った名監督のドキュメンタリー。のちに惜しまれつつ閉じた神保町・岩波ホールの最後の上映作品となった映画でもある。ぼくも観に行った。そういえば、有田くんとはじめて会ったのも、ヘルツォークの映画『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』の会場だった。
チャトウィンの映画には「自分の足で歩いた者にだけ、世界はその姿を明らかにする」という言葉が出てくる。この、自分で買った映画の中の言葉に導かれるように、有田くんは西表島へと旅立った。「強制停止中の世界で移動可能な、いちばん遠いところ」へ行こうと思い立ったのだ。そして、その旅の途中で干立とめぐりあった。その、海沿いに佇む静かな集落を訪れた瞬間、「ここに住みたい」と思ったという。「ここで、戦争の悲しみを伝える映画を上映したい」と、思ったのだという。なんで? 急に? そこに何があるというの? 有田くんに案内してもらい、ぼくも干立の集落を訪れた。
そこには、「何もなかった」。そして、すべてがあった。石垣から西表まで高速船で40~50分、さらに港から車で1時間。数百年の歴史が堆積する伝統集落・干立は、静かな静かな、本当に静かな土地だった。それは神聖とさえ言えるような静けさだった。現在100人くらいの人が住んでいるそうだが、滞在していた小一時間の間、ぼくらは、たったふたりの女性を見かけただけだった。言葉をかわしたのは、あのへんで唯一の売店の店員さんだけ。東京で情報にまみれて生きる自分には、素晴らしい意味で「何もない」と感じた。その豊かさ。昔ながらの暮らしを守り続けているようすが随所に感じられ、写真を撮ることすらためらわれる。集落からすぐの浜辺に出てみた。やっぱり誰もいない。ふと見やれば、干立の人たちが大切にしている御嶽(うたき)。夢の中か時空の狭間へ迷い込んだかのよう。いま思い出してもドキドキする。ここで、戦争の悲しみを伝える映画を上映したい。有田くんがそう思った理由を、言葉ではうまく説明できないが、自分も感じ取ることができた。戦争で祖国を追われた作家を呼び、一定期間集中して制作できる環境を提供し、作品が完成したら世界へ発信する。そして最後は、めぐりめぐって、この干立で上映する。アイディアの核は、作家の滞在制作、いわゆるアーティスト・イン・レジデンス構想だった。有田くんが干立を訪れたのは、2021年2月20日のことだった。
誰もいない干立の浜辺を歩く(撮影:奥野)
軽い興奮状態のまま葉山へ帰った有田くんは、すぐさま行動を起こした。集落を管轄する竹富町町役場へ問い合わせ、航空写真で空いた土地を探し出し、法務局で地主さんを調べた。そして、その人へ宛てて、干立との出会いの衝撃やアーティスト・イン・レジデンス構想など思いの丈を手紙につづり、土地を譲ってもらえないかと依頼した。当初のお返事は、好意的なものだった。具体的な金額交渉にまで話は進んだが、結果として、土地を買うことはできなかった。やはり干立は特別な集落であり、昔のおじいの土地だから、親族会議の場でやめておこうとなってしまったらしい。
妻のアラトモさんも、西表島への移住には慎重だった。ふたりのちっちゃい息子くんがいるのに大きな病院がない、高校もない。不安を感じるのも当然だろう。地主さんへの手紙の清書を頼まれたあたりから警戒態勢に入ったという。「あー、この人マジだな」と。結果として干立へ移住する希望は叶わなかったわけだが、しかし、落胆する有田くんを次なる行動へ向かわせたのは、他ならぬアラトモさんの一言だった。「じゃあ、石垣はどう?」。こうして、有田くんは石垣へやってきた。チーム家族とともに。2025年6月20日。はじめて干立を訪れた日から、4年と4ヶ月が経過していた。
有田くんが配給した映画に『セメントの記憶』という作品がある。シリア難民出身の監督によるドキュメンタリーだ。そもそも監督は、難民となる前はシリア政府軍の兵士だった。自国民へ銃口を向けねばならない立場にいた彼は、ほとほと戦争が嫌になり、銃を捨てた。そして、難民となった。有田くんは、その人ジアード・クルスームさんを日本へ招いた。2019年、コロナの少し前のことだ。映画のプロモーションでメディアの取材を受けてもらったり、上映後のトークなんかもやった。一通りのキャンペーンを終えたあと、有田くんは葉山へジアードさんを招待した。葉山の海と街を一望できる丘の上で、ジアードさんは、ぽろぽろと涙を流した。
「3歳とか4歳とか、まだちっちゃな子どものころ、家族でよくピクニックへ行ったんだ。ホムスの田舎へ、両親と一緒にね。だからいまでも、自然の美しいところへ行くと、そのときのことを思い出して悲しくなるんだよ」
撮影:奥野
有田くんは、このジアードさんの言葉から「美しい自然やその静けさは、悲しみを秘めた作家にとって、大きなインスピレーションの源となるんだ」ということを知った。干立におけるアーティスト・イン・レジデンス構想は、このときの経験があったからかもしれないな。誰もいない干立の浜辺で、有田くんは、そんなふうに語った。

大学院の博士課程で憲法を研究する古木さん。有田くんの配給したセルゲイ・ロズニツァ作品をきっかけに意気投合。テント芝居の劇団にも参加しており、今回の映画祭では野外で演劇公演を行う予定。作品のテーマを聞くと、どこか有田くんの映画祭に通ずるものを感じた。
「政治的・人為的に引かれた国民国家の枠を超えるような、それとは別の集団性に興味があります。パイナップルが台湾から流れ着いたり、国は違っても人はつながってますよね。自然との交流の中でうまれる一体感‥‥みたいな芝居をやりたいです。バラバラな個人の集まりがうみだす調和、みたいなものが出たらいいなと。劇団自体が多国籍なのですが、今回はそんな作品を、中国の人たちとやろうと思っています」

古木さんの属する劇団の名前は「群舟の民」という
(つづきます)
2026-03-12-THU
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映画館のない石垣島で国際映画祭を立ち上げる。
そのために、
釜山国際映画祭、東京国際映画祭、
山形国際ドキュメンタリー映画祭、
アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭、
東京フィルメックス、
そしてベルリン国際映画祭をめぐり、
約250人の映画人と対話してきた有田くん。奇しくも中東における戦闘がはじまったいま、
琉球弧に位置する石垣島で、
戦争の悲しみを伝える作品を含む
世界17カ国からの25作品が上映されます。
何名かの監督も海外から来島、
トークセッションなどのイベントに参加予定。詳しくは、映画祭の公式サイトで。
なお、昨今の世界情勢の急激な悪化により、
中東やヨーロッパ方面から招聘予定だった
海外監督やゲストの渡航費が高騰。
開幕目前のラストスパート支援を募る
クラウドファンディングがスタートしました。
上映作品の鑑賞券とセットになった支援も
あるようなので、チェックしてみてください。

