
シリーズ「50/80」、続きましては
長崎県美術館の企画展を、ご紹介します。
被爆・終戦から80年目の夏、
同館では、18世紀から19世紀にかけて
スペインで活躍したゴヤの作品を通して
「戦争」というものを見つめています。
200年も前の作品が、
現代の戦争に対し語りかけることとは。
他にもピカソや藤田嗣治、
コルヴィッツ、丸木位里・俊夫妻から
現代日本の彫刻作品まで、
見ごたえたっぷり、盛りだくさんの内容。
ご案内は、担当学芸員の森園敦さん。
担当は「ほぼ日」奥野です。
どうぞ、じっくりごらんください。
左:ジャン・フォートリエ《人質》1944年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵 ©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 E6043
右:ジャン・フォートリエ《人質の頭部》1944年 国立国際美術館蔵
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 C5151
- ──
- あちらに見えるフォートリエは、
倉敷の大原美術館さん所蔵の作品ですか。
- 森園
- そうです。有名な「人質」シリーズです。
ナチス占領下のパリで描かれた作品。
- ──
- 大原さんでお話をうかがったたときも、
フランス国内で
レジスタンス運動に関わっていた、と。
- 森園
- はい、当時のレジスタンスの人たちは、
ナチスに捕らえられたら
拷問にかけられ、
処刑されたりしたわけですけれど、
そういった「人質」の
傷つけられた頭部などを描いています。 - 1944年、戦時下に身を隠して制作し、
戦後に発表しました。
今回フォートリエを4点出していますが、
どれも
《虐殺された人々》
《銃殺された人々》などといった
かなり直接的な題名がつけられています。
どの作品も強烈ですね。
- ──
- そして、香月泰男さん。
シベリア抑留を経験された画家ですよね。
香月泰男《1945》1959年 山口県立美術館蔵
- 森園
- 1943年に出征し、47年に帰国。
その間、非常に過酷な生活を送りました。
この作品は、
満州からシベリアへ送られる途中、
線路ぎわで見た日本兵を描いた作品です。
加害者としての日本兵に対して、
現地の人々による報復で、
生皮を剥がされ、赤黒く膨れた遺体です。
- ──
- なるほど‥‥。
- 森園
- のちに香月が広島の原爆写真を見たとき、
ご遺体が赤黒く焼け焦げて、
かつて自分の見た兵士の姿と重なり、
1945年という年を象徴する作品として、
この絵を描いたそうです。
- ──
- じつに強烈な作品です。
- そして、鴨居玲さん。
好きな作家で、
笠間日動美術館でたくさん観ましたけど、
このあたりも戦争の絵なんですか。
鴨居玲《英雄》1973年 長崎県美術館蔵
- 森園
- この作品は傷痍軍人を描いているんです。
よく見ると、腕を失っています。 - おそらくですが、作家がスペインで見た、
内戦で負傷した人たちを、
かつて日本で出会った傷痍軍人の記憶と
重ねているのではないかと。
- ──
- タイトルは《英雄》ですね。
- 森園
- かつて戦場で武勲を挙げたかもしれない、
そういう人が、
いまでは宝くじのようなものを売って、
日銭を稼いで生活している。 - でも鴨居は、そこに「みじめさ」でなく、
たくましさや人間らしさを
感じ取って描いているのではないかなと。
- ──
- こちらは《廃兵》という作品ですね。
なるほど‥‥そういう絵だったんだ。
- 森園
- この2つの絵、似ていると思いませんか。
ケーテ・コルヴィッツ《パンを!》1924年 福岡市美術館蔵
北川民次《焼跡》1945年 名古屋市美術館蔵
- ──
- 似てます。タッチはぜんぜんちがうけど。
別々の人の絵ですよね。 - 子どもがお母さんにとりすがっていて、
これは何と書かれているのか‥‥
もう1枚は2本の大根を持っています。
- 森園
- 左がケーテ・コルヴィッツで、
下に添えられた言葉は「パン」なんです。
大根のほうは、北川民次。
だからやっぱり戦争画というものには、
国や時代を超えて、
普遍的なテーマが現れるんだと思います。 - 食糧難、絶望にくれる親、
そして、その親にとりすがる子どもたち。
- ──
- 描く人もちがえば、
描いている戦争そのものもちがうのに、
同じような場面が描かれてしまう。 - こちらは、南のほうの戦地でしょうか。
阿部展也さんの《飢え》。
もう、そのものズバリのタイトルです。
- 森園
- フィリピンでの捕虜収容の情景です。
骨と皮になるまで痩せた兵士を、
たぶん実際に作家は目にしたのでしょう。
- ──
- どこかシュルレアリスム的な感じもある。
- 色合いなどから、
北脇昇の《クオ・ヴァディス》を
思い浮かべました。
- 森園
- はい。そして、ふたたび香月泰男です。
- 香月も「マイナス40度」にもなる
シベリアの極寒の地で、
食糧難や飢えに苦しめられてきました。
香月泰男《餓》1964年 山口県立美術館蔵
- ──
- こちらも、作品名は《餓》。
飢餓の「餓」で「うえ」と読ませている。
- 森園
- 香月のシベリアを描いたシリーズは、
ほぼモノトーン。
絵肌のザラザラした感じが、
厳しい極寒の北の大地を思わせます。 - 彼の地で味わった「人間の極限状態」が、
色のない世界観によって、
説得力を持って表現されていますね。
山端庸介《炊き出しのおにぎりを持つ子(銭座町)》 ゼラチンシルバープリント 1945年8月10日 長崎原爆資料館蔵
© 撮影者・撮影日・撮影地/山端庸介・1945.08.10・長崎市
- ──
- このあたりの写真は、
以前、長崎原爆資料館で見たと思います。
- 森園
- ええ、山端庸介が撮影した、
8月10日つまり原爆投下翌日の長崎です。
長崎原爆資料館からお借りしました。 - 当時、博多を拠点としていた西部軍が、
原爆投下に際し、
写真家の山端、画家の山田栄二、
詩人の東潤を長崎に派遣し、
それぞれに、見たものを記録させました。
- ──
- つまり、山端さんは写真で、
山田さんはスケッチで、東さんは文章で。
- 森園
- 山端は半日で117枚を撮影、
山田は29枚のスケッチを残しています。
- ──
- そんな短時間で、そんなに多くの記録を。
すごい。
でも、本として発表されたのは1952年。
けっこう時が経ってるんですね。
『記録写真 原爆の長崎』1959年発行(初版は1952年発行) 長崎県美術館蔵
- 森園
- サンフランシスコ平和条約で
連合軍による日本の占領が終わってすぐ、
出版されたんです。 - つまり、それまで、原爆に関する報道は
厳しく規制されていたので。
- ──
- ああ、いわゆる「プレスコード」で。
- 森園
- そうです。じつは山端も、
投下の翌日に長崎で撮影したフィルムは
軍に提出せず、
ずっと自宅に隠し持っていたらしいです。 - もしも、それがアメリカに見つかったら、
確実に没収されてしまうので。
- ──
- つまり、7年間も発表せずにいたものを、
占領が終わって4カ月も経たずに出した。
- 森園
- だから「待ちに待った」というか、
そのような思いで世に問うたんでしょう。
被爆から7年が経って、
ようやく、
3人の貴重な仕事が日の目を見たんです。
- ──
- 最後のコーナーは、
作品の雰囲気がガラッと一変しています。
- 森園
- 長崎で被爆した画家・飛永頼節が描いた
「レクイエム」というシリーズです。 - 飛永は、広島で石段に残った人影を見て、
原爆被害のうちに
人間の存在を強く感じたといいます。
この黄色は、
本人が見た原爆の閃光を、表しています。
- ──
- なるほど‥‥ただの黄色に見えなくなる。
そう聞くと。
- 森園
- そうでしょう。
- ──
- 原爆の写真ってだいたいモノクロだから、
こうして「黄色」を見せられると、
抽象的な作品なのに、
一気に「原爆」のリアリティを感じます。
- 森園
- そうですね、たしかに。
- 実際に被爆した作家が選んだ黄色なので、
モノクロ写真とは、
またちがうものを伝えてくると思います。
(つづきます)
2025-09-04-THU
-
被爆80周年の年の夏の企画展
ゴヤからピカソ、そして長崎へ
芸術家が見た戦争のすがた
今回の取材でもたっぷり拝見していますが
「幻の2点」をふくむ
ゴヤの《戦争の惨禍》82点全点展示が
何といっても静かに圧巻。
さらにはアメリカから永久貸与されている
東京国立近代美術館の藤田嗣治、
大原美術館のフォートリエ、
その他コルヴィッツ、浜田知明、東松照明、
香月泰男、北川民次、
そしてピカソの《ゲルニカ》の陶板複製。
見応え満点です。
会期は9月7日(日)まで。
詳しいことは公式サイトでチェックを。 -
ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
読者のみなさんからのお便りを募集いたします。ご自身の戦争体験はもちろん、
おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
ご友人・知人の方、
地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
テーマや話題は何でもけっこうです。
いただいたお便りにはかならず目を通し、
その中から、
「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
の特集のなかで、
少しずつ紹介させていただこうと思います。

