
シリーズ「50/80」、続きましては
長崎県美術館の企画展を、ご紹介します。
被爆・終戦から80年目の夏、
同館では、18世紀から19世紀にかけて
スペインで活躍したゴヤの作品を通して
「戦争」というものを見つめています。
200年も前の作品が、
現代の戦争に対し語りかけることとは。
他にもピカソや藤田嗣治、
コルヴィッツ、丸木位里・俊夫妻から
現代日本の彫刻作品まで、
見ごたえたっぷり、盛りだくさんの内容。
ご案内は、担当学芸員の森園敦さん。
担当は「ほぼ日」奥野です。
どうぞ、じっくりごらんください。
- ──
- ゴヤの作品で構成された第1部が終わり、
ここからは第2部です。
題して「人間の暴力、そして狂気」。 - まずは、ピカソの作品からはじまります。
作品名は
《静物ーパレット、燭台、ミノタウロスの頭部》。
- 森園
- このピカソは《ゲルニカ》を描いた翌年、
1938年の作品ですね。
描かれているミノタウロスは、
古代ギリシア神話に登場する怪物なんですが、
牛の頭と人間の身体を持っています。
ピカソはしばしば、この怪物を
人間の「暴力」や「獣性」の象徴として
描いているんです。
- ──
- はい。「死」の象徴として「骸骨」を
よく描いたりもしますよね。
- 森園
- 燭台のあかりは、おそらく希望の光。
中央に描かれたパレットと絵筆、書物は、
文明の象徴でしょう。 - 当時、スペイン内戦から第二次大戦へと
歴史が動いていくなかで、
人間の暴力性が肥大化していくようすと、
それを希望の光と文明の力で
何とか押しとどめようとする意思とが、
描かれています。
当時の社会情勢を見事に表現しています。
- ──
- こちらもピカソ‥‥なんですね。
作品名は《フランコの夢と嘘》、ですか。
- 森園
- ええ、漫画みたいに描かれた作品ですね。
《ゲルニカ》に登場するシーンです。
人間性の内に宿る
野蛮さとか暴力性を象徴するモチーフが、
ピカソらしいタッチで描かれています。
- ──
- そして、古沢岩美さん。
不勉強にて、存じ上げませんでした。
- 森園
- 一兵卒として戦争に行った画家です。
自らが戦地で見た光景を
版画集『修羅餓鬼』に残したんです。 - この《男になれ》という作品では、
戦争というものが、
男性性を強要する現実を描いています。
- ──
- その他にも《屍》《屍体清掃》という、
生々しいタイトルが並びますね。 - そして、藤田嗣治。
藤田嗣治《〇〇部隊の死闘 ニューギニア戦線》1943年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵(無期限貸与作品)©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 C5151
- 森園
- はい。この作品は「作戦記録画」ですね。
本展のなかでは唯一、
軍部から委嘱されて描かれた作品です。 - つまり、他の展示作品のほとんどは、
戦争に際して画家自身が何かを思い、
自らの意思で能動的に描いた作品ですが、
この絵だけは、
プロパガンダ的な位置づけ、
権力に与した作品ということになります。
- ──
- 東京国立近代美術館の所蔵ということは、
《アッツ島玉砕》などと同じく、
アメリカから「永久貸与」されている絵。
- 森園
- そうですね。
- ──
- この時代の藤田嗣治の絵って真っ茶色で、
パリ時代の
いわゆる乳白色の女性像や猫の作品とは
ぜんぜんちがうじゃないですか。
- 森園
- ええ。
- ──
- 戦争が終わってから
日本の美術協会に戦争責任を問われたり、
同じ画家のベン・シャーンも
藤田の戦争画を批判したりしていますが、
一方で、藤田の戦争画って、
国威発揚という
軍部から課された「目的」を超えて、
作品としての力があるという意見もある。 - さまざまな議論があると思うんですけど、
森園さんは、どう思われますか。
- 森園
- 結局、藤田という人は、
ドラクロワが描いたような
西洋絵画の最高位としての「歴史画」を
強く志向していたんですね。
その点で、
国や軍部から命令されて描いたとはいえ、
「戦争」でさえも、
歴史画の題材として描いていた面がある、
という感じはします。 - 日本における洋画のレベルを上げていく、
そのためにも
レベルの高い「歴史画」を描きたいと、
強く思っていた作家だったんだろうなと。
藤田嗣治《〇〇部隊の死闘 ニューギニア戦線》(部分)1943年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵(無期限貸与作品)©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2025 C5151
- ──
- なるほど。ようするに、
必ずしも「プロパガンダ」のためだけに
描いたとも思えないところがある、と。
- 森園
- そうですね。そういう思いがあったので、
藤田のこの作品も、
この展覧会には必要じゃないかと思って、
こうして展示することにしました。
- ──
- そして、あちらの作品は‥‥。
ケーテ・コルヴィッツ〈農民戦争〉《2 凌辱》1907年 福岡市美術館蔵
- 森園
- ケーテ・コルヴィッツの版画作品ですね。
ドイツの女性芸術家で、
第一次大戦期、銃後の悲惨を描きました。 - こちらの《凌辱》では、
レイプされ殺されてしまったお母さんを、
娘が見ているという場面。
- ──
- 簡単に言葉にすることができませんが、
そういう悲惨な場面が、
前線だけでなく銃後にもあった‥‥。 - ケーテ・コルヴィッツって、
沖縄の佐喜眞美術館のコレクションで、
知られている作家ですよね。
- 森園
- そのとなりにはオットー・ディックス。
- とにかく戦争を見なくちゃいけないと
自ら志願して第一次大戦に参加、
4年間の軍隊経験を経て帰還した作家。
ゴヤの《戦争の惨禍》に影響を受けて、
その名も「戦争」という
50枚の版画シリーズを制作しました。
オットー・ディックス〈戦争〉《被爆した家(トゥールネー)》1924年 愛知県美術館蔵 © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2025 C5158
- ──
- たしかに、生々しさは共通しているような。
- 森園
- 顔に、ひどい傷を負った男の絵もあります。
当時の「塹壕戦」では、
顔を撃たれた兵士が多かったらしいんです。 - つまり塹壕から顔を出した瞬間に撃たれる、
というケースが多発していたそうで、
皮膚の移植痕の残った肖像も描いています。
丸木位里・俊《母子像 長崎の図》1985年 長崎県美術館蔵
丸木位里・俊《母子像 長崎の図》(部分)1985年 長崎県美術館蔵
- ──
- そして、丸木位里さん、丸木俊さんの作品。
ちょうど先日、丸木美術館に行って
《原爆の図》を第14部まで見てきました。 - 最後の15部の《ながさき》が‥‥。
- 森園
- はい、長崎の長崎原爆資料館の所蔵ですね。
長崎を描いた丸木位里・俊の作品は
4点確認されているんですが、
本展ではそのうちの3点を展示しています。
- ──
- 全14部の「広島」を描いたあと、
最後、15部として「長崎」を描いた、と。
- 森園
- 他の作品と同じように、
日本画家である夫の位里さんが水墨の表現、
油絵画家の妻の俊さんが人物を担当し、
おふたりの共同制作として描かれています。
- ──
- そして、再びピカソ。《泣く女》ですね。
- 森園
- はい。この《泣く女》は、
ドイツ軍による空爆を題材にした
《ゲルニカ》から派生した作品として
有名ですよね。
- ──
- いろんな《泣く女》が描かれてますもんね。
- そして、写真家の東松照明さん。
長崎や沖縄をテーマに撮影していることは
存じ上げていましたが、
不勉強であまり作品を見てきませんでした。
- 森園
- 戦後の日本を見つめ続けてきた写真家です。
- 被爆者である片岡津代さんや
山口仙二さんを長年にわたり撮影しており、
原爆の痕跡を撮影し続けました。
- ──
- この溶けたビンの写真、
何だか、ちょっと人間の身体のような‥‥。
- 森園
- 熱線による変形ですが、
原爆の暴力性を訴えた作品が多いですね。
沖縄では、占領という事実と、
アメリカ文化が生活に浸透してくるようすを
カメラに収めています。
どちらも、背後にある
「アメリカの巨大な影」に対する告発が
感じられます。
- ──
- なるほど、そういう方だったんですね。
- とっても有名な方ですけど、
逆に、何にも知らなかったなと反省しました。
- 森園
- ぼくがここに勤め出したころはまだお元気で、
少しお話させていただいたり、
長崎の街を、カメラを首から下げて歩く姿を
たびたび見かけたりしました。
(つづきます)
2025-09-03-WED
-
被爆80周年の年の夏の企画展
ゴヤからピカソ、そして長崎へ
芸術家が見た戦争のすがた
今回の取材でもたっぷり拝見していますが
「幻の2点」をふくむ
ゴヤの《戦争の惨禍》82点全点展示が
何といっても静かに圧巻。
さらにはアメリカから永久貸与されている
東京国立近代美術館の藤田嗣治、
大原美術館のフォートリエ、
その他コルヴィッツ、浜田知明、東松照明、
香月泰男、北川民次、
そしてピカソの《ゲルニカ》の陶板複製。
見応え満点です。
会期は9月7日(日)まで。
詳しいことは公式サイトでチェックを。 -
ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
読者のみなさんからのお便りを募集いたします。ご自身の戦争体験はもちろん、
おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
ご友人・知人の方、
地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
テーマや話題は何でもけっこうです。
いただいたお便りにはかならず目を通し、
その中から、
「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
の特集のなかで、
少しずつ紹介させていただこうと思います。

