シリーズ「50/80」、続きましては
長崎県美術館の企画展を、ご紹介します。
被爆・終戦から80年目の夏、
同館では、18世紀から19世紀にかけて
スペインで活躍したゴヤの作品を通して
「戦争」というものを見つめています。
200年も前の作品が、
現代の戦争に対し語りかけることとは。
他にもピカソや藤田嗣治、
コルヴィッツ、丸木位里・俊夫妻から
現代日本の彫刻作品まで、
見ごたえたっぷり、盛りだくさんの内容。
ご案内は、担当学芸員の森園敦さん。
担当は「ほぼ日」奥野です。
どうぞ、じっくりごらんください。

前へ目次ページへ次へ

第2回 「匿名性」が「本質」に迫る

──
ゴヤの《戦争の惨禍》という版画作品に、
戦争というものに対する
普遍的なメッセージを感じて、
被爆80年の年の夏の企画展の軸に据えた。
森園
当初は「原爆」だけをテーマにしようと
考えていました。
でも、現在のウクライナやガザの状況を
報道などで見るにつけ、
やはり現在の戦争、世界情勢にも訴える、
そういう展覧会にしたいと思ったんです。
──
原爆だけでなく、
原爆の災厄をもたらした戦争そのものに
焦点を当てたい、と。
森園
時代を超える普遍的なメッセージを持ち、
人間の誰もが内に持つ暴力性を描いた
ゴヤの世界観を通じて、
これらの「惨禍」は、
この現代の世界でも起きていることだと
伝えられるのではないかと。
──
なるほど。
森園
難しいことではありますが、
長崎の美術館として、
戦争にNOを突きつけたいという思いで、
今回、ゴヤを軸にしています。
──
たしか
《1808年5月3日、マドリード》という
民衆が処刑される絵も、ゴヤですよね。
森園
はい、同じ時期に制作された作品です。
──
堀田善衛さんに『ゴヤ』って本があって、
パラパラとしか読んでないんですが、
たしかスペインの宮廷画家なんですよね。
いわばエスタブリッシュメントというか、
画家の中では成功した人だと思いますが、
そこに安住せず、戦争とか、
民衆が虐げられる場面も描いていたんだ。
森園
そうですね。ゴヤは首席宮廷画家として
王族の肖像も数多く描きましたが、
一方で、
民衆の目線で描いた作品も多いんです。
さらに、さっきお話に出た
《我が子を食らうサトゥルヌス》を含む
14点の「黒い絵」シリーズのように、
人間の暗部、
おどろおどろしい部分に迫った絵もある。
──
ゴヤが自宅の壁に描いたシリーズですね、
黒い絵って。
あの《我が子を食らうサトゥルヌス》も、
その一部だったんですか。
森園
はい。プラド美術館に行けば、
ゴヤの芸術の幅広さが一目でわかります。
──
ちなみに首席宮廷画家としての肖像画は
依頼されて描くものでしょうが、
この《戦争の惨禍》は自主制作、ですか。
森園
はい。誰にも頼まれず、描いたものです。
──
82点も。制作時間は、どれくらい‥‥。
森園
当館では1810~15年ごろと見ています。
他の仕事もこなしながらなので、
大変な作業だっただろうなと思います。
──
これ、版画にした理由は何なんですかね。
森園
版画って何枚も刷ることができますから、
イメージを流布させるため、
「戦争の惨禍」というテーマを
広く伝えるためじゃないかなと思います。
──
それぞれの作品につけられたタイトルも、
印象的ですよね。
誰かが兵士に殺されたあとの場面なのか、
31枚目の「これはひどい!」とか。
37枚目の「これはもっとひどい」なんかは、
手が切断されたうえに
身体が木に突き刺さっていて、
本当にひどい場面ですけど、
およそ絵のタイトルとは思えないような。
森園
これらのタイトルも、
ゴヤ本人がつけたものだとされています。
敵とはいえ同じ人間に対して
どうしてここまでできるのか‥‥という、
ゴヤの思いが伝わってくるし、
かなり残虐な描写もあります。
──
これだけの作品が並んでいるなかで、
森園さんが
とくに印象に残っている絵はありますか。
森園
たとえば、3枚目の「同じことだ」とか。
スペイン民衆が、
フランスの兵に斧を振り下ろす場面です。
ゴヤはスペイン人ですが、
スペイン人の目が狂気に憑かれたようで、
敵味方関係なく
戦争が人を変えるさまを描いていますね。

フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉《3番 同じことだ》1810-14年(1863年初版) 長崎県美術館蔵 フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉《3番 同じことだ》1810-14年(1863年初版) 長崎県美術館蔵

──
戦争は、等しく人間性を破壊する。
そこのところを
公平というか客観的に描いている。
森園
フランス兵の悪行だけを描くのではなく、
スペイン人も同じように
戦争になれば狂気に憑りつかれてしまう。
「誰が」とか「どこで」とかじゃなくて、
すべてが匿名性に満ちているんですけど、
そのぶん、
戦争の本質に迫っていると感じます。
──
歴史上、戦場に赴いた従軍画家たちって
たくさんいたと思いますが、
ゴヤも同じように現場を見たんですかね。
森園
実際の戦場を見たかどうかは不明ですが、
人から聞いた話などをもとにして、
つまり取材をして描いたと考えられます。
──
処刑の場面もたくさんありますけど、
女性に対する暴力の場面も多い印象です。
森園
性暴力を描いた絵は多いです。
拉致されそうになっている女性を助けようと、
母親と思われる人物が
背後から兵士をナイフで刺そうとしていたり。
ゴヤの時代でも、
戦時には、そのような女性に対する性暴力が
頻繁に起こっていたということが、
よくわかります。

──
なるほど。一部ではなく、
こうして全点を通して観ることでまた、
わかることがありますね。
森園
後半では、寓意的な表現として、
動物を人間に見立てた絵も出てきます。
戦争中の飢饉の問題も描かれています。

フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉《76番 人食い禿鷲》1810-14年(1863年初版) 長崎県美術館蔵 フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉《76番 人食い禿鷲》1810-14年(1863年初版) 長崎県美術館蔵

──
戦争と飢餓の問題。
たしか、太平洋戦争でも、
餓えて亡くなる兵士がとても多かった、
と聞きますよね。
そして《戦争の惨禍》が終わったあとには、
ゴヤの油彩が2点。
森園
どちらもプラド美術館から借りた作品です。
ゴヤは戦争中に、「ボデゴン」つまり
静物画として、
死んだ動物の絵を数多く描いているんです。
こちらはそのうちの1点ですけれども、
暴力によって死をもたらされた七面鳥です。
当時、スペインの戦場には、
兵士たちの死体があふれていたわけですが、
その生々しさを
七面鳥の死と重ねて描いているんでしょう。

フランシスコ・デ・ゴヤ《死した七面鳥》1808-12年 プラド美術館蔵 フランシスコ・デ・ゴヤ《死した七面鳥》1808-12年 プラド美術館蔵

──
そして、こちらの巨人の絵は有名ですよね。
その名も《巨人》なのか。
今回の展覧会のメインビジュアルにも、
使用されています。

フランシスコ・デ・ゴヤに帰属《巨人》1808年以後 プラド美術館蔵 フランシスコ・デ・ゴヤに帰属《巨人》1808年以後 プラド美術館蔵

フランシスコ・デ・ゴヤに帰属《巨人》(部分)1808年以後 プラド美術館蔵 フランシスコ・デ・ゴヤに帰属《巨人》(部分)1808年以後 プラド美術館蔵

森園
はい、そうですね。ただし、
現在は「ゴヤに帰属」とされているんです。
2008年に、
「作者がゴヤではない可能性」が指摘され、
いまだに議論が続いているので。
──
そうなんですか。それは知りませんでした。
別人説の根拠というのは‥‥?
森園
たとえば民衆や動物の描き方が
様式的にゴヤではないんじゃないか、とか。
科学的な分析などもされているようですが、
いまだに結論は出ていません。
でも、民衆や動物たちなどが
到底抗えない巨大な力から逃げまどう姿は、
戦争の表象とも捉えられるので、
今回の展覧会の
メインビジュアルに使用しています。
──
ゴヤであろうとなかろうと
この夏の長崎県美術館の企画展のテーマに
ふさわしい作品として。
森園
はい。

(つづきます)

2025-09-02-TUE

前へ目次ページへ次へ
  • 被爆80周年の年の夏の企画展
    ゴヤからピカソ、そして長崎へ
    芸術家が見た戦争のすがた

     

     

    今回の取材でもたっぷり拝見していますが
    「幻の2点」をふくむ
    ゴヤの《戦争の惨禍》82点全点展示が
    何といっても静かに圧巻。
    さらにはアメリカから永久貸与されている
    東京国立近代美術館の藤田嗣治、
    大原美術館のフォートリエ、
    その他コルヴィッツ、浜田知明、東松照明、
    香月泰男、北川民次、
    そしてピカソの《ゲルニカ》の陶板複製。
    見応え満点です。
    会期は9月7日(日)まで。
    詳しいことは公式サイトでチェックを。

     

    >詳細はこちら

  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

    メールを送る

  •  

    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶